長谷川博己演じる萬平に学ぶ、信頼されるヒント 『まんぷく』“自分が一番大事”が示すメッセージ
映画
ニュース
萬平(長谷川博己)にとっては2度目の災難であった。1度目は軍事物資の横流しの疑いで憲兵に捕まり、2度目はクーデターの疑いで、会社の男性社員たちと共に進駐軍に捕まった。
「ある行為を行った、あるいは行おうとしていた」とみなされるのは割と簡単である。それこそ家から手榴弾が一つ見つかるだけで、クーデターを疑われるのには十分。しかし、ある行為を行っていないこと、行おうともしていないことを示すのは極めて難しい。「悪魔の証明」とどこか似たところがある。今週の『まんぷく』(NHK総合)では、萬平たちが無実であるという証拠が乏しいとして、進駐軍はなかなか釈放を認めなかった。
しかし、福子(安藤サクラ)たちをはじめ、多くの人物が彼らの無実を晴らすために奔走を続けた。今週の放送では、立花萬平という人物がいかにたくさんの人々から信頼され、愛されていたかが伺えたわけであるが、それはただ単に萬平が心優しい人物であるからではないだろう。
象徴的なのは、加地谷(片岡愛之助)の奔走ぶりである。かつて加地谷の暗躍により、萬平は無実にもかかわらず憲兵に捕まったことがある。しかし、その加地谷が萬平たちの釈放のために必死になって汗を流したのだ。直接進駐軍の兵士に会って説得したり、ちんどん屋のピエロの恰好で街中の人々に訴え続けたりした。なぜ、彼がここまで萬平を救うことに全力を尽くすのだろうか。もちろん、萬平に昔ひどいことをしたという罪悪感もあるのだろう。しかし、それだけではない。加地谷は戦後になってから、萬平からハンコをプレゼントされることで、人生をやり直すきっかけを与えられたことがあった。ここに、萬平がみんなから信頼されるヒントが隠されているように思える。
“対立ばかりでは何も生まれない”という、当たり前のようで普段私たちが意識していないことを、萬平は自覚しているようだ。戦後、萬平が加地谷と再会したとき、福子は加地谷に怒りをぶつけようとしたが、萬平はそれを止めたことがあった。あるいは、進駐軍からの取り調べのとき、栄養食品・ダネイホンを作る必要性を訴える萬平は、「あなたたちとまた、喧嘩をしようなんてそんな下らないことを考えている暇はない」と怒鳴った。対立するよりも先になすべきことがある。
そんな萬平の考え方を裏付けるのが、傘屋の話である。萬平は子供のころに見た、とある傘屋の人間のようになりたいと言う。その傘屋は、「雨が降れば傘が売れて嬉しい。晴れれば青空が見えて嬉しい」と言ったのだとか。そんな風にして、自分の仕事をとにかく好きになる。そして、自分も、一緒に仕事をする人も、世の中の人々もみんなが幸せになる。確かに、その通りである。そこには“対立”が入ってくる余地など微塵もない。その話を聞いていた、進駐軍の兵士・ビンガム(メイナード・プラント)もきっと心のどこかで何か思うことがあったのだろう。みんながみんな幸せになれば、それで十分だ。そんな考えを持つ人間が誰かを憎んで、クーデターを起こすとはとても思えない。
ここで、興味深いのは、ビンガムから「君は自分が可愛くないのか?」と聞かれたとき、正直に「もちろん、“自分が”一番大事です」と言ったことである。これまでの放送の中でも、しきりに“人のため”を掲げてきた萬平。それゆえに、福子も、牧(浜野謙太)も、加地谷も、三田村会長(橋爪功)も彼の人間性を保証すべく訴えかけてきたのだろう。でも、萬平は“自分が一番”大事だと言う。どうしてだろうと考えてみたが、萬平の言っていることは間違っていないように思える。自分が大事。だから、自分がハッピーになるためには、自分以外のみんながハッピーになればいい。幸せでいるみんなと一緒にいれば、自分もおのずと幸せを享受できるようになる。「等価交換」の経済法則は幸せにも当てはまるのだ。みんなに幸せを授ければ、自分にも幸せのリターンがあるのだ。だから、対立などせずにできるだけ多くの人々が共存出来たほうが、世界の幸福の総量は増えるはずだから。
そう考えてみると、世良(桐谷健太)が取り調べのときに口にした言葉はあながち間違っていないのではないかと思える。
「こんなしょうもないことで立花くんを潰したら日本の損失や。(中略)東洋の損失や。ほんでな、僕を潰してみろ。世界の損失や、ロスト・ワールドや!」
世良が伝えようとした趣旨とは異なるのかもしれないが、萬平のような人間も、世良のような人間も、あるいは加地谷のような人間もいなくなっては困る。損失である。あらゆるタイプの人間が対立することなく、それぞれの人生を歩んでいるということ。それこそが『まんぷく』が伝えるメッセージの一つではなかろうか。(國重駿平)