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『Red Bull Music Academy』が示す“コミュニティの重要性”とは? ベルリン現地レポート

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 2018年10月、ベルリンの東に位置するアンダーグラウンド感漂う音楽スタジオに、61人のアーティストが集まった。

(関連:【写真】『Red Bull Music Academy』レポ

 広大なスタジオの中では、毎年恒例となった『Red Bull Music Academy 2018』が開催されていた。

 世界的なエナジードリンクブランドであり、音楽やスポーツ、eスポーツと様々なジャンルのクリエイターを支援するレッドブル。彼らは次世代の音楽クリエイターを育てるために、1998年から音楽の学校の運営を始めた。

 年一度、世界の音楽都市で開催されるこの学校には、過去20年に渡って、エレクトロニックミュージックやミニマルテクノ、エクスペリメンタルヒップホップ、オルタナティブR&Bなど、あらゆるジャンルを横断したクリエイターたちが世界各地から参加してきたことで知られる。

 生徒として参加したアーティストを振り返ってみると、音楽好きな方であれば、レッドブルの先見の明に驚かされるはずだ。過去には、フライング・ロータスやティーブス、ドリアン・コンセプト、トキモンスタなど実験的エレクトロニカやアヴァンジャズ、ヒップホップを展開する<Brainfeeder>勢や、ビブロやハドソン・モホークなど<Warp Records>に参加するUKエレクトロニックアーティスト、さらにはニーナ・クラヴィッツやオンラーといった世界的な実力者も同校の卒業生だ。

 日本人アーティストの参加も際立つ。ベルリンで活躍するAkiko Kiyamaをはじめ、Sauce81やDaisuke Tanabe、Yosi Horikawa、Keita Sanoなど、日本と世界を行き来するエレクトロニックアーティストが参加を果たしてきた。今回も日本からは佐藤那美が参加している。

 生徒たちはオリジナルの楽曲を提出した上で、レッドブルの審査を通らなければ参加はできず、セレクションは毎年狭き門として知られる。

 開講中、アーティストたちはミュージック・アカデミーが選んだ、業界有数のアーティストや先進的な音楽プロデューサー、エンジニア、DJからのレクチャーを受けることができる。ここでは、音楽の歴史や音楽シーンの構造、ジャンルの変貌、作品の制作裏舞台など、音楽を作る上で他では聴くことの出来ない話を、クリエイターたち本人から聴くことができるのだ。

 そしてこの学校では、アーティストたちが自由に使える録音スタジオが開放される。彼らは自分のスタジオに籠もり、音楽に没頭しながら楽曲制作したり、独自のサウンドを実験したり、他のアーティストたちとコラボレーションすることができるようになっている。

 同アカデミーの開催場所は、これまでニューヨークやロンドン、パリ、東京、ケープタウン、サンパウロ、シアトル、トロントなど、世界各地でエレクトロニックミュージックやクラブカルチャーの聖地と知られる音楽都市、毎年数十名の生徒を集めて開催されてきた。20周年を迎えた2018年の『Red Bull Music Academy』は、原点に立ち返り、20年前に初開催されたテクノの聖地であるベルリンに戻って開催された。

 筆者は、世界37国から参加した61名のアーティストたちのうち、後期の参加者たちと共に数日、スタジオやワークショップで共に時間を過ごす貴重な経験をさせていただいたので、ここでその内容をレポートしたい。

 今回の舞台となったのは、旧東ベルリン郊外に位置する歴史的な録音スタジオ「ファンクハウス」(Funkhaus)。サッカー競技場25個分の広大なエリアに設立されたこの建物は、ベルリンの壁崩壊以前、東ドイツが運営する国営ラジオの放送局であったという共産主義時代の長い歴史を持つ。ファンクハウスのファンク(Funk)はドイツ語で「ラジオ」を意味する。1970年代には3500人以上の職員が働いていたこの場所には、今でもある種の威圧感が随所に漂っている。

 冷戦終焉とともに閉鎖されたラジオ放送局だが、ファンクハウスはその後も変化を続け、アーティストやクリエイターが集まる最先端の設備を備えた現在も、カルチャー発祥の場所として機能している。ファンクハウスは今、旧東ドイツを代表する建物として重要文化財に認定されているそうだ。音楽スタジオを重要文化財に認定するという、ドイツの音楽に対する愛情を感じさせてくれる話だ。

 ファンクハウスの内部も紹介したい。複数の録音スタジオを軸に、広大なオーケストラ用の演奏ホール、ワークショップ用のスペース、コワーキングスペースなどで構成されるこの世界最大級の複合型クリエイティブキャンパスの圧倒的な巨大さに驚かされる。特にフルオーケストラの録音に使われる「Studio1」は、900平方メートルという巨大なスペースに加えて、階段状の客席、高々とした天井に囲まれた異様な存在感がある。スペースの中に一歩足を踏み入れただけで、スケールの大きさと厳かさに圧倒されるだろう。

 独特の幾何学的な設計、合理性かつ機能的なサウンドエンジニアリング、政治的な威厳が融合したファンクハウスは、ドイツ特有のエレクトロニックミュージックの世界観やテクノロジー文化の要素が随所に感じられる。ここでは、2018年には坂本龍一とドイツの電子音楽家アルヴァ・ノトのライブをはじめ、サクソフォン奏者の清水靖晃、Aphex Twinといった世界的なアーティストのライブが開催されたほか、クラブイベントやカンファレンスなど幅広い用途で活用されていることも納得できる。

 9月8日から約1カ月に渡り開催された『Red Bull Music Academy』に参加したアーティスト61名は、このファンクハウス内でお互いに交流を深め、コラボレーションしながら、音楽制作やワークショップを行っていった。期間中のファンクハウスは、ベルリンに拠点を置くデザインスタジオ『New Tendency』が手がけたカスタムメイドの家具や未来的なインテリアで飾られ、一般的な内装とは一段と異なる、想像力を刺激する演出が会場の至るところにあり、歩き回るだけでサプライズの連続だった。

 期間中、ファンクハウスでは、アーティストや音楽プロデューサー、レーベルオーナーなど、音楽のプロフェッショナルたちを招いたレクチャーが連日開催されていた。筆者が会場を訪問した日のゲストは、デトロイトテクノシーンをリードしてきた<Underground Resistance>のプロデューサーであるマッド・マイク・バンクスと、ベルリンが世界に誇るアンダーグラウンドテクノクラブであり、レコードレーベル<Tresor>のオーナー、ディミトリ・ヘーゲマン、<Tresor>初のレーベルマネージャーで、自身のレーベル<PullProxy>創立者でもあるキャロラ・ストーバーが登場した。テーマは「デトロイトとベルリンのつながり」だ。

 ヘーゲマンが<Tresor>を始めたのは1991年。当時はベルリンの壁が崩壊して数年しか経っておらず、統一したベルリン内では、あらゆる社会インフラやライフスタイルが激変していたそうだ。そんな中で、1980年代のデトロイトテクノに心酔していたヘーゲマンとストーバーは、ベルリンにマッド・マイク・バンクスと彼の僚友ジェフ・ミルズをオープン直後の<Tresor>に招いたことが運命の出会いとなり、そこからベルリンとデトロイトのテクノシーンの交流が始まったと、ヘーゲマンは語った。

 この出会いがあったからこそ、ベルリンはテクノの街として世界的に知られるようになった。また欧米でのテクノのリリースに苦戦していた<Underground Resistance>は、プロジェクト「X-101」による同名のアルバムを<Tresor Records>からリリースすることができたという。

 3人は、テクノという共通言語を紐解きながら、音楽文化の海外発展や交流、都市開発、ローカルシーンの支援、次世代の育成など、あらゆるテーマにトークを広げていった。3人の話は、3時間以上にも及んだが、生徒たちはテクノの歴史誕生に関わってきたゲストの一言一句を聞き漏らさないよう聞き入っていた。

 1990年代以降、テクノ都市へ変貌を遂げたベルリンだが、今では世界有数の観光都市となり、毎週多くの旅行者が訪れる街となった。経済効果や商業の活性化が進む一方で、音楽都市としての文化的な活動の継続と発展も重要になってくる。ヘーゲマンは音楽文化を支援するアイデアについてこう語った。

「マイクと私は財団を始めるアイデアを話し合っている。Underground Resistance Foundationかもしれない。大きなテーマで考えてみたい。宇宙や人、自分の場所を持ちたいけれど持てない起業家かもしれない。(中略)私たちはもっと大勢の人が文化的な活動にアイデアや情熱を注ぐことを願っている。そうした人たちは、自分たちの場所を持つべきだ。どこでも構わない。でももし場所が買えないなら、私たちの財団が支援したい」

 “音楽文化の発展”という意味では、大都市であるベルリンにドイツ各地から集まる若者は今でも多い。しかし、仕事を見つけられず、挫折する若者が増えているという現状の課題も深刻化しているとヘーゲマンは指摘していた。

 「『ベルリンには来るな』『地元に残れ』とは言いませんが、場所に関係なく、同じ考え方の人や、安心や刺激や力を感じることができる人との出会いを、私は常に重要と考えます」とストーバーは語り、大都市以外の場所で音楽やアートの活動を広げていくことの重要性を強調していたことが印象的だった。

 レクチャーの後半では、<Underground Resistance>の創作活動に話題が移った。オリジナルメンバーの一人でミニマルテクノの代表格であるロバート・フッドがベルリンテクノに与えた影響についてマイク・バンクスが語ったほか、Galaxy 2 Galaxyが2005年に日本で開催されたテクノフェス『METAMORPHOSE』に出演した映像を紹介する場面もあった。

 トークの最後に設けられた生徒からの質問では、“イベントスペースの確保や運営維持のために、自治体にどれだけの働きかけができるのか”といったコミュニティ作りについて問いかけるアーティストや、音楽で新しいムーブメントを生み出す上での課題やその克服方法について熱心に尋ねるアーティストの姿があり、バンクスやヘーゲマンは彼らに対して真剣に答えていた。

 レクチャーは3時間以上に及ぶ長時間セッションだった。にも関わらず、終わってからもゲストの周りには、積極的に意見交換するアーティストたちの輪が広がっていた。スタジオの中だけでなく、レクチャーでさえもアイデアをお互いがぶつけ合い、音楽や文化について議論する場所なのだ。多種多様なバックグラウンドと実績を積んだ、音楽のプロフェッショナルたちと考えをストレートに交える機会など、なかなか得ることはできない。音楽やアートの世界で、自らの道を切り開こうとしている新世代のアーティストたちに、新たな視座を確実に与えたことだろう。

 筆者がベルリンに滞在する以前、レクチャーのためにベルリンを訪れたアーティストには多彩なメンバーが顔を揃えていた。ここで名前だけでも紹介したい。

 ニューヨーク出身のヒップホップアーティストのプシャ・T。グラミー賞ノミネートのR&Bシンガー、ジャネール・モネイ。デリック・メイやホアン・アトキンスと共にデトロイトテクノを作った創始者の一人、ケヴィン・サンダーソン。Abelton Liveの共同開発者でもある、ベルリン在住の電子音楽家ロバート・ヘンケ。ロシア出身のDJ、ニーナ・クラヴィッツ。元Canのリードシンガーであるダモ鈴木。ドイツのフリージャズ・サキソフォン奏者、ピーター・ブロッツマン。フィラデルフィアソウルやネオソウルを代表するアレンジャーのラリー・ゴールド。

 音楽カンファレンスでも決して見ることの出来ないこのような多彩なゲストの並びは、まぎれもなく、『Red Bull Music Academy』を構成する上での重要な要素の一つと言える。

 ちなみに、『Red Bull Music Academy』のレクチャーは、基本、生徒であるアーティストのみしか参加できない。SNS用の写真撮影や動画シェアも原則NG。

 ゲストのトークや音楽のテーマが気になる方向けには、レッドブルがYouTube チャンネルで随時レクチャーの様子を公開している。是非一度動画アーカイブを掘ってみて欲しい。

 参加した生徒であるアーティストたちにも触れておきたい。前述したようにアカデミーの審査を通り、世界37カ国から選ばれた61人だが、音楽ジャンルや創作活動スタイル、目指す方向性も多種多様である。

 今回日本からは仙台出身のアンビエントミュージシャン佐藤那美が参加したことはすでに述べた。佐藤は2011年の東日本大震災を機に、本格的な音楽活動を開始。仙台の荒浜を拠点にフィールドレコーディングで集めた音や電子音から作られる彼女の音楽世界には、普遍的な感覚と、強迫観念的に変化し続ける社会環境を表現するかのような壮大なテーマが感じられる。

 参加アーティストたちの中には、日本で暮らしていては想像できない、”異質”な音楽人生を送ってきた人も見かけることができる。イランの首都テヘラン出身のアート・セイブスは、夜のクラブイベントが法律で禁止されている環境下で、ひそかにエレクトロニックミュージックのイベントを開催しながら創作活動を行っていた。

 南アフリカ出身のJakindaは、わずか2年前にYouTubeの動画から音楽制作を学び、キャリアをスタートさせ、その1年後の2017年にデビュートラックをリリースしたプロデューサーだ。自身のスタイルをヒップホップに南アフリカのGQOM、Kwaitoを合わせた、「アフロフューチャーエレクトロニカ」と表現する彼独自の音楽観は、映画『ブラックパンサー』が表現したアフロフューチャリズムにも通じるところがある。

 出身国だけで分類しても、アメリカやドイツ、イギリスといった国は勿論、韓国、フィリピン、インド、南アフリカ、ケニア、ナイジェリア、トルコ、エストニア、メキシコ、チリなど世界各地に散らばっている。

 音楽のジャンルやスタイルも、エレクトロニックミュージックからヒップホップ、エレクトロクラシック、アンビエントテクノ、ジャズと、細分化とマイクロジャンル化が際立つ。

 「音楽は国境やジャンルを超える」と言うは易く行うは難し。実践するのは、アーティストやクリエイターの行動や意識に委ねられるのだが、『Red Bull Music Academy』はそうした化学反応を強制的に作るのではなく、お互いが初めて触れるであろう異なる音楽文化圏やダイナミズムを緩やかにつなぐ音楽コミュニティ作りのファシリテーション役に徹していることが何より大きい。

 さらに、音楽を取り巻く社会環境の変化も加速する一方だ。ベルリンというテクノの街の関係者たちが、マクロな視点で都市開発やローカルコミュニティ作りについて語っていたことは音楽環境の変化や問題意識を示している。「デトロイトは今でもテクノの街だが、テクノのクラブはもはや存在しない。皮肉だな」とシニカルな笑みを浮かべてマイク・バンクスは語ったことが印象的だった。

 音楽の学校である『Red Bull Music Academy』は、今後も続く。過去20年間に渡り、先鋭的な音楽の実験場を提供してきた彼らの活動を、”未来の音楽”、”アンダーグラウンド・ミュージック”の学校と捉えることができるが、それは本質の一部分にすぎない。

 レッドブルの音楽学校は、音楽文化の過去・現在・未来を行き来するコミュニティの重要性を、より強く意識させるものだった。未来の音楽シーンを創造するのは、常にアーティストやクリエイターが中心になるだろう。だが、音楽に何らかの形で携わる全ての人も一緒に様々なことを学び続けることで、次世代の音楽に向けて可能性を広げていくことにもつながっていくはずだ。(ジェイ・コウガミ)