福島県白河市から全国の映画館へ 夢破れた男の濃密な人間ドラマ『ライズ ダルライザー』がアツい!
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福島県白河市には、長らく映画館がなかったという。大型のシネコンが流行し、「街の映画館」が消えていく時代。白河市もその例外ではなかったのだろう。そんな環境において、2017年、1日や2日の特別上映ではなく、通常のロードショーのように一定期間上映され、市民の歓迎を受けた映画がある。白河市を舞台とした、いわゆる「ご当地ヒーロー」の映画化、『ライズ ダルライザー THE MOVIE』だ。上映は、市内の新白信イベントホールを使用することで実現し、その後、シネマナナハチという期間限定の映画館を誕生させるにまで至った。
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同作は、2019年に『ライズ ダルライザー ‐NEW EDITION-』と装いも新たに、池袋シネマ・ロサ他で上映。その期待値を上回るクオリティは口コミで広がり、2019年4月現在、関西や中国・四国地方での順次公開が決定している。福島県白河市から、全国の映画館へ。ダルライザーのひたむきな熱さが着実に伝播してきている。
前述のとおり、ダルライザーとは、福島県白河市の「ご当地ヒーロー」である。市の名産である「白河だるま」がモチーフとなっており、赤と白のスーツ、そして黒いサングラスが特徴だ。しかし、だるまモチーフの最大の効果は、そのデザインではない。何度倒れても起き上がる。そんなだるまの特性を踏まえた「不屈の一般市民」として、市民に愛されているのだ。映画のタイトル「ライズ」は、「起き上がる」の意。まさにダルライザーの根幹を表したワードである。
本作は、ジャンルとしては「ご当地ヒーローもの」に分類されるが、実のところ、「ヒーロー譚」や「町興しエピソード」といった性質の作品ではない。夢破れた男の、濃密な「人間ドラマ」として仕上がっている。
東京で俳優になる夢を追っていた主人公・アキヒロは、妻の妊娠をきっかけに、地元・白河市へ戻ることとなる。取り急ぎの職を見つけ、毎日を過ごす中、市のキャラクターコンテストの開催を知り、だるまのヒーロー・ダルライザーを考案。手作りのスーツとメットを被り、街やイベントでの活躍を重ねていく。ダルライザーはひょんなことから市民にその名が知れ渡るが、一方で、街では謎の組織・ダイスによる次世代デバイスを用いた計画が進行ししていた。俳優の夢を諦め、それでも、妻と生まれる子のために奮闘するアキヒロ。夢の中で語りかけてくる謎の女性の声を頼りに、ダルライザーは、ダイスの陰謀に立ち向かうのであった。
このストーリーからも分かるように、ダルライザーは、言ってしまえば「お手製のスーツを着たただの一般市民」である。よって、必殺技もなければ、派手なエフェクトによる攻撃もない。派手な爆破も、強力な武器もない。一般的な「特撮ヒーロー」の観点で語ってしまうと、絵的な寂しさを感じざるを得ないだろう。
しかし、だからこその「実在性」が、ダルライザーの魅力である。実際のヒーローショー活動で登場するダルライザーは、スクリーンの中の本人と遜色がない。地元・白河市の公園でポーズを取り、講堂で子供たちと対話し、道端のゴミを拾うその姿は、まるでノンフィクションのドキュメンタリーを観ているような錯覚を呼び起こす。それもそのはず、主人公・アキヒロを演じる和知健明その人が、正真正銘の「ダルライザーの生みの親」であり、自身の半生が本作のストーリーにこれでもかと盛り込まれているのだ。よって本作は、スクリーンの向こうに透けて見える実話の手触りによって、心地よい倒錯感を伴う鑑賞体験を提供してくれる。
だが、物語の中盤、その「実在性」がにわかに揺らぎ始める。ダイスによるシャングリラ計画の全容が明かされるが、それは、次世代デバイス「パーソナルシート」(腕に貼ることで健康状態等を電子データとして収集できる代物)を介したディストピアの形成であった。ダイスなりの平和を目指す行為こそが、結果として管理社会の創生に繋がっていく。この一連の流れは、ジャンル的に『仮面ライダーゴースト』の眼魔世界を思わせる作りにもなっており、「パーソナルシート」の絶妙な現実感と相まって、地に足の着いた恐怖感を演出する。
物語の前半でダルライザーの「実在性」を提供し、ドキュメンタリーのような観心地を作りつつ、後半からは逆に「フィクション性」がその領域を広めていく。この、現実をシームレスに浸食していく虚構の構図により、ダルライザーは、市民の中にその身を置きながら、ある種の英雄としてのヒーロー性を勝ち取っていくこととなる。
クライマックスは、拳で敵を屈服させるのでも、派手なキックでボス怪人を倒すのでもない。「お手製のスーツを着たただの一般市民」だからこそ可能な、そんな方法でダイスの陰謀を阻止しようとする。ここに、ダルライザーの、主人公・アキヒロの、伝えたいメッセージが凝縮されているのだ。しかし同時に、「ヒーローもの」成分としての「面割れ」が配置されている辺りもそつがない。狙った箇所に軸足を置きつつ、それでもエンターテインメントとして成立させる。クレバーなバランスが垣間見える作りとなっている。
「ご当地ヒーローもの」の作りを逆手に取りながら、同時にしっかりと本懐に着地していく様は、クランクインを遅らせてまで練り込まれた脚本のクオリティによるものだ。主人公を演じつつプロデューサーも務めた和知健明と、監督である佐藤克則が、火花を散らしながら意見を交わしたとされる脚本制作。ご当地ヒーローとは何か、エンターテインメントとは何か、そして、ダルライザーとは何か。あらゆる視点を盛り込みつつ、決してそれが散漫な結果に終わっていないのは、制作規模から考えるに驚きの出来と言えよう。市民を愛し、そして愛され、同時に、妻と子を守るひとりの男の物語。エンターテインメントとしての強度を保ちつつ、ヒーロー性も忘れない。『ライズ ダルライザー ‐NEW EDITION-』は、そんな贅沢な作品として、強固な土台の上に成立している。
キャストには実際の市民が多く参加しており(なんとアクションスタントも全員が市民である)、主題歌においても、福島出身のアーティスト3名が本作のためだけにコラボレーションを果たしている。来る5月には、街から生まれた映画をまた街に還元するように、ダルライザーと共に行くロケ地巡りツアーも計画されるなど、どこまでも福島県や白河市に寄り添った姿勢が貫かれている。
モチーフとなっただるまは、ご存知の通り、目を書き入れることで希望を願う風習がある。言ってみれば、『ライズ ダルライザー ‐NEW EDITION-』という作品は、「ダルライザーを映画にしたい」「地元で映画を上映したい」「市民に映画に参加してほしい」といった願いが込められ、まずそれが制作陣による「左目」となったのだろう。そしてその声に応えた街の人々は、確実にもう片方の「右目」を書き入れた。その結果、何度でも起き上がり、今もなお、着実に公開規模を広げている。「ライズ」の精神が、まるでスクリーンから人々に伝播していくように、作品そのものもまた、願いが込められたひとつのだるまなのである。
是非とも多くの人に、日本中に広がっていくこの泥臭くも熱いだるまを、“映画館で”、目撃していただきたい。(結騎了)