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小さなライブハウスの挑戦 第7回 “下北沢がカッコよかった頃”、ZOO / SLITSの時代はこうだった

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左から山下直樹、松田“CHABE”岳二(CUBISMO GRAFICO、Neil and Iraiza、LEARNERS)、スガナミユウ

店長を務める下北沢THREEを拠点に、独自性の高いライブハウス / クラブの運営方針で注目を集めるスガナミユウ。「カッコいい時代の下北沢を取り戻す」ことを志向する彼が“カッコいい時代の下北沢”の象徴として語っているのが、1980年代末から90年代にかけて、下北沢から日本の音楽カルチャーを牽引した伝説のクラブ、ZOO(のちにSLITSに改名)だ。

連載内でも「現代版のZOO、SLITSを俺たちがやるべきだ」と語ってきたスガナミは、5月19日に東京・LIQUIDROOMで開催するイベント「FEELIN'FELLOWS 2019」のテーマとして“今と今までの下北沢をつなぐ”を打ち出し、ZOO、SLITSの店長だった山下直樹をDJとして招聘した。

今回イベントに先駆けて、スガナミは、山下に加え、THREE、ZOO、SLITSを知る松田“CHABE”岳二(CUBISMO GRAFICO、Neil and Iraiza、LEARNERS)による鼎談をセッティング。“今と今までの下北沢をつなぐカギ”を探った。

荏開津くんがThe Stranglersをかけていて

スガナミユウ 僕は今38歳で、世代的にZOOやSLITSには行ったことがないんです。でもTHREEで店長をやるようになって4年目なんですけど、チャーベさんや今里(STRUGGLE FOR PRIDE)さんを介してZOOやSLITSにご出演されていた方や遊びに行っていた方に出てもらうこともあって。そういう方々に「店の雰囲気がSLITSに似てる」って言ってもらうことがあり、それで興味が湧いてきて、「LIFE AT SLITS」(山下直樹、浜田淳著のZOOとSLITSの回顧本)などを読むうちにだんだんと目標みたいになっていきました。だからどうしても山下さんに会ってみたいなって。

山下直樹 僕はTHREEには何回か来たことがあるんです。知り合いのイベントとかで。あと、ネットに上がっているインタビュー記事かなんかを読んで、わりと自分の周りの人が出ているんだなって知って。そのインタビューでスガナミくんが「今の下北をカッコいいと思ったことがない」って言っていて、そういう意味でもちょっと興味がありました。あまり街を絶賛していないっていうか……店でブッキングを始めたときはわりと自分もそうだったというか、街に思い入れがなかったし。

スガナミ そうだったんですね(笑)。

山下 でも店をやっているうちにいろいろな人が集まってくるから、途中から「この街でしかできないことがあるんだな」ってことがわかってくるというかね。

スガナミ 山下さんはなぜ下北で店をやろうと思ったんですか?

山下 僕、自営じゃなかったんですよ。

スガナミ ほかにオーナーさんがいたんですね。今の僕と一緒です。

山下 そうなんだ。店に入った経緯としては、ZOOってもともとは下北ナイトクラブっていう、駄菓子居酒屋っていうのかな。そんな店だったんです。1年ちょっとしかやってなかったんですけど。そこで昭和の曲をDJでかけなきゃならないってことで藤井悟くんがDJとして雇われていて。それから悟くんが荏開津広くんを呼んだりしていくうちに、コンセプトがだんだんとクラブ寄りになっていった(笑)。それから後にZOOになるんですけど、そのちょっと前に入ったんです。

スガナミ へえ。

山下 下北ナイトクラブには何回か行っていたんだけど、あるときに荏開津くんがDJをやっていたんですよ。そのときに、The Stranglersの僕の好きな曲をかけていたんです。それで「この店は信用できる」って思った。The Stranglersなんて当時全然流行っていなかったし、クラブでかけている人がいるとも思っていなかったから。「ここは流行っていないやつをやっているから信用できるな」って興味が湧いて(笑)。それから足繁く通って店長に「働かせてくれ」って言い続けて、店長が根負けして入れてくれたんですよ。最初はテープを作って持って行ったりしてDJで入ろうと思ったんですけど、それはダメでした。

スガナミ アルバイトみたいな形だったんですか?

山下 バイトですよ。最初は週に2日、みたいな。それと僕、九州出身なんですけど、地元でクラブみたいな店をやりたいっていう知人に手伝ってくれって言われていたんです。僕はディスコでは働いていたことがあったんだけど、クラブの経験はないから、「ちょっと修行」じゃないですけど、そんな感じでした……すみません、話が長くなっちゃいました。

スガナミ いえいえ(笑)、それは何年くらいの話なんですか?

山下 1988年の頭ですね。87年に東京に来たばかり。田舎モンですよね。しかも26歳とかでそんなに若くもなくて、当時の店では周りの人より大人でした。加えて性格的にも冷めているところがあるから、お客さんたちに何か言われてもあまり気にせず、「はあ」「何言ってんの、君?」みたいな対応ができる(笑)。店からしたらそれがちょっと重要だったのかな。それで働くようになって、88年の4月頃にZOOになったんですよね。

松田“CHABE”岳二 僕は上京してすぐ、客としてZOOに行っていました。高校のときに「宝島」とかを読んで行きたくて。スカとかパンクがかかるところに行きたいと思っていたんですけど、ツバキハウスはもうなくなっていたので、だったらZOOだと。荏開津さんがやっている月曜日とか、TOKYO No.1 SOUL SETの日とかによく行っていて。渡辺俊美さんには最初に声をかけてもらいました。当時、終電の時間を過ぎるとフロアのお客さんが3人くらいになって(笑)。初めはあまり話さないんだけど、みんな朝まで帰れないしお酒もそんなに飲んでいないから、じわじわ近付いて話すようになったりしていきましたね(笑)。

山下 それから90年になると、チャーベくんはレゲエMCとして出演するようになるんだよね。強烈に覚えていますよ。「こんな高い声のレゲエMCの人、いるんだな」って(笑)。

いつ行っても刺激があった

スガナミ ZOOやSLITSは、曜日ごとにイベントのジャンルが分かれていたんですか?

山下 そう。初めのうちは週ごとにジャンルが分かれていたんだけど、どんどん解体されていって、そのうちに月1のイベントの集合体みたいになっていきました。土曜日は俊美くんとか川辺(ヒロシ)みたいにレジデント的な人がいて、ほかの日はもう、月1イベントの集合体。ライブハウスはそういうのが当たり前だったかもしれないけれど、クラブでそういうブッキングになっているところはなかったと思います。とはいえ、縦帯ではカラーはそろえていました。木曜はニューウェイブやネオアコ、みたいな感じで。

CHABE 何曜日に行くとどういうジャンルがかかる、みたいなのがなんとなくありました。でも、本当に半年ごとに新しい音楽が出てくる。僕なんかもスカから入って、あっという間にダンスホールレゲエが好きになって、そのあとで瀧見憲司さんがやっていることを知って……って。とにかくみんな詳しい。古い音楽から新しい音楽まで全部詳しい。いつ行っても何か刺激があった。オタクの集まりみたいな感じで、その仲間に入りたかった。まあ今考えると、19、20歳とか、そりゃあどんどん吸収しますよね。

山下 チャーベくんが言う通りで、本当にあの頃って、半年でトレンドが変わっていましたよね。“トレンド”っていうとちょっと違うかもしれないけれど。移り変わりが早すぎるから、いろいろ混ざっていく。それが本当に面白いと思っていたんです。お客さんは僕よりも若い人が多かったから、刺激的すぎて頭の中が大変だったんじゃないかな。

CHABE 僕も一時期、ダンスホールは継続しつつ、ハウスやフリーソウルに興味が出てきたりして。自分の中に3種類の人格があるみたいでした。すごく覚えているのが、キャッシャーで山下さんに「あれ、今日レゲエの日じゃないのになんで来てんの?」って言われたこと(笑)。

山下 ははは(笑)。それがやりたいことだったから、全然いいんですよ。僕、田舎にいたとき、「パンクだったらパンクだろ?」みたいな雰囲気があって、筋が通ってないとハンパもんみたいな扱いを受けることが多かった。そういうのが昔からずっとハテナマークで。「いろいろ好きなんだからいいじゃん?」みたいな。だからそういう店にしたかったし、お客さんもそういう感じで行き来してくれるようになればいいって思っていたんです。

CHABE ある年の大晦日に、SNAPSHOTとカジヒデキくんと僕が出て、僕らが終わったらすぐSHAKKAZOMBIEが出る、とかそんなライブもありました。その日、僕はSHAKKAZOMBIEと1曲コラボをしたりして(笑)。

山下 そうそう、けっこう無理やりなブッキングをしていることもありましたね(笑)。瀧見くんのイベント「ラヴ・パレード」にかせきさいだぁに出てもらったりとか、そういうことをめちゃめちゃやっていたの。やらされるほうもアウェー感があって気乗りしないこともあったと思うんだけど、「いいからいいから」って強引に。それがきっかけでかせきとカジくんが仲良くなったりしてね。もちろんうまくいかないこともあったけど(笑)。今の時代だったら、そういうのももっと自然にできるのかもしれませんね。

スガナミ 「笑っていいとも!」の最終回みたいですね(笑)。アーティストの人たち、そういうふうに“実は現場でつながっていた”みたいなこと、多いんだろうなあ。僕、福島にいたからかもしれませんけど、みんな全然別で活動しているものだと思っていました。

若気の至り

スガナミ 当時の下北沢の街の雰囲気はどうでしたか?

山下 夜中は真っ暗でしたね。ぶーふーうー(2014年に閉店した喫茶店)と松屋くらいしか夜中に開いているところがなかったんです。それと、松屋の前のところにあったドーナツ屋くらいかな。

CHABE あとは飲み屋ですよね。TROUBLE PEACHとか、古いロックの飲み屋さんがあって。

山下 うん。今みたいにチェーン店はそれほどなかったし。閑散としているというと違うかもしれませんが、そんなに人はいませんでしたね。

スガナミ そうだったんですね。若者の街、みたいな感じではなかったんですか?

山下 昼間はポロシャツの襟をピンと立てているような大学生がいっぱい歩いていたし、そういう大学生が飲んだりするような街ではあったみたいですけど。僕、1年半くらい前から髪を下北で切っていて、3週間に1回くらい来るんです。だからそのあたりを歩くんですけど、まあ雰囲気はあんまり変わらないかな。「こういう感じで朝店が終わって、自分からタバコの匂いが出ているのを感じながら帰ってたな」って思いながら歩いてますし。店を閉めたあと、しばらく下北に来なかった時期もあるんですけど、最近歩いていて、愛着みたいなものはあるんだなって感じていて。若いときに何もわからずに無茶苦茶なことをしていた土地なんで。それは忘れられないですよね。

スガナミ 無茶苦茶なこと(笑)。

山下 あんな狭い店でThe Ska Flamesにライブをやってもらって、駅のほうまで人が並んじゃったり。当たり前ですよね、前売りも出していないし、入場制限もしていなかったんだから。とんでもないことになりました(笑)。それと、レーベルを始めてThe Dropsの7inchアナログを作って、インストアライブで配ったりね。まあ思い付きです。思い付きでパパパッとやるのって、若気の至りじゃないですか。後先考えてないっていうか。

昼にラヴ・タンバリンズやフリッパーズ・ギターが出る店

スガナミ この前友達が山下さんのインタビュー記事を送ってくれて、そこで「どういうイベントを入れるかってことの基準についてはいろいろと聞かれるんだけど、店を運営していくっていうのはバンドをやる感覚に近いものがあって。やっぱりカッコいい人間とバンドを組みたいし、売れるために音を変えたりしないで、自分の理想を妥協しないでバカバカ売れるっていうのがやっぱり最高じゃない?」っておっしゃっていて。まさに、と思いました。

山下 まあ、それはね。

スガナミ 僕たちもせっかくこういう仕事をしているんだから、自分たちの楽しめる音楽をやりたいっていう思いがあるんです。例えば土曜日は昼、夜、深夜と分けて営業することがあるんですけど、昼はギターポップ、夜はハードコア、深夜はハウス、みたいにジャンルが雑多になることもざらにある。それがめっちゃ楽しい。

山下 僕のやりたかったこともまさにそういうことで。SLITSも昼に営業をやっていたことがあるんですよ。日曜日の昼、15時くらいから。当時のクラブで昼に開けるところはなかったんじゃないかな。

CHABE やっていましたね。僕、そこでラヴ・タンバリンズを初めて観たんです。当時はお客さんが15人くらいでした。

山下 初めのうちは、昼に店を開けてもなかなか来てくれなかったんですよね。でも下北沢だから絶対できるって自信はありました。西麻布とかはダメだろうけど、下北沢だったらできると思った。

CHABE 90年か91年にフリッパーズ・ギターが「アノラック・イズ・ノット・デッド」っていうイベントをやっていましたよね。僕が大学生のときで、昼に行きましたもん。アノラックを着ている人はディスカウントされる、とかそういうイベントでしたよね。確か。

山下 うんうん、すごいイベントだったんですよ。入り口にフリッパーズの2人が立って、お客さんが着ているアノラックをチェックしていくんです。「NME」の“アノラックの定義”みたいな記事をコピーして貼ってあって、それと照らし合わせながら、「それちょっと違うんだよ」とか言って(笑)。お客さんも喜んでいましたね。あれは本当に面白かった。

スガナミ 今はわりと昼に営業するクラブも多いですけど、当時はそういうイメージはなかったんですね。

山下 全然なかったです。僕、90年にイギリスに行ったときに、ジャイルス・ピーターソンのイベントを観たんですけど。それは昼にやっていて、めちゃめちゃ人がいて、みんな踊っていて、周りはフリーマーケットで。そのとき「これ、下北沢っぽいな」「がんばればできるんじゃないの?」って思ったんです。

CHABE 日曜の午後って初めてだったかもしれません。今はむしろ普通で、逆に日曜日にオールナイトをやろうとするほうが難しい。人が来ませんから。

山下 うん。でもスタッフにはつらい思いをさせたなって、いまだに思います。完全にブラックですよ。土曜日だってめちゃめちゃ人が来るのに朝までがんばってもらって、その次の日に14時とか15時とかに来いって……ひどいじゃないですか。まあそんな時代だったのかもしれないけれど。

ステージを作ってSLITSに

CHABE そういえば、お店にステージを作ったのはかなりエポックメイキングな出来事でしたね。あれはSLITSになるタイミングですか?

山下 うん。ライブハウスをいろいろと見ていて、うらやましかったんですよね。天井も高いし。ウチの店は天井が低くて飛んだらダクトにぶつかるくらい天井が低いし、狭いし。それでもライブをやってましたけど、見づらくて嫌だったんです。もっと見えるようにしたかった。で、がんばればステージらしいものを作れるんじゃないかって思って改装したんです。でも頭の中で「こういうのがいいんじゃないか」って考えたものを作っただけだから、音響とかを計算していなくて……ステージができて名前をSLITSに変えたんですけど、まずはリハをやらなければってことで、夜中にCOOL SPOONに来てもらって試しに音を出してもらったんです。それで演奏してもらったら、「これ、ちょっとやりづらいですね……」「あれ?」って(笑)。「ダメだな、素人の設計は」って思いましたね。暗雲でした。

CHABE 僕、月に2回くらいはライブをしていたんですけど、あんまりやりづらいってイメージはなかったんです。

山下 まあお客さんが音を吸ってくれてうまくいくパターンもあるし、あとは時代の雰囲気ですよね。いろいろな店でDJとバンドを分けなくなってきて、混ざってきていて。出演者もそういう意気込みで演奏しているから、あんまり気になってなかったのかもしれない。ただ当時、ライブとDJを一緒にやるようなほかの店に僕も行ってみたりしていたんですけど、どっちかって言うとDJがメインに思えるような店もあって、完全に混ざっている感じのところは少なかったですね。代々木チョコレートシティは一番混ざっている感じというか、「ここはクラブなのか、ライブハウスなのか」みたいな面白い感じはあったんですけど。自分もそういうのをいろいろと混ぜてやりたかった。

CHABE まあ、楽しい思い出しかなかったです。クラブでバンドを観るって、僕の中ではめちゃくちゃ新鮮でした。ライブのときって山下さんPAもやっていましたよね。

山下 何もやったことがなかったので本当に恥ずかしいんですけど。なんか、録音とかしてたな。DATにライン録音して全部残していて。だからありますよ、RHYMESTERのライブ音源とか。今ではレアなものがたくさんあります。いつかデータにして、本人たちに配ろうかな(笑)。 

“早めの時間”の可能性

スガナミ 山下さんは下北に住んでいたんですか?

山下 いや、住んでいないです。その頃は神泉に住んでいて、原チャリで通っていました。池ノ上のほうから回って行ってて、よくフィッシュマンズの佐藤伸治くんとすれ違っていました。通勤のとき、diskunionの上の丘みたいなところで一旦バイクを止めて、下北の街を見るんです。「今日はケンカとか起きないでほしいな」とか思いながら。そうやって願をかけて降りていくと店の入り口に血まみれの人がいて、「また?」って(笑)。そういう苦労はたくさんありましたね。THREEは大丈夫ですか?

スガナミ 大丈夫ですよ、今のところ(笑)。若い子、いい子が多いんで。

山下 ケンカは何度もあって、その対応は大変でした。僕はヤンキーでもなかったので少し病みましたよね(笑)。しかもただのケンカ好きじゃなくて音楽がめちゃくちゃ詳しい人たちだからややこしいし、筋金入りだからすさまじい(笑)。

スガナミ あははは(笑)。ちなみに、SLITSの時代、夜は0時で締めていたんですよね?

山下 1年目は夜中もやっていたんだけど、2年目は0時で締めたんですよ。それでその年に店をクローズしたんです。

スガナミ そうだったんですね。僕ももうすぐ40歳になるので、体力的にも朝までやっていけるのか少し不安があって。

山下 僕も平日はもっと早い時間を有効に使うべきだと思っていて。やっぱり平日の夜中って、人は寝ていて当たり前だなって思う。ディスコは終電までの時間に人が集まっていたんです。それで遊び足りない人がクラブに行く感じ。

CHABE 仕事が終わった人たちが、ごはんに行く前にクラブに行くっていうのはいいですよね。

山下 うん、ごはんのあととかでもいいかもしれません。当時SLITSではライブを22時からにしていました。その代わり、スタッフを終電で帰らせなきゃならないから終わりの時間はバタバタ。以前、代官山のSALOONで火曜と水曜をもらって、早い時間のイベントにトライしたことがあったんです。初めのうちはそこそこ反応がありました。19、20時とかに人が入り始めて、21時にはピークみたいな。そのときは「こんなことができるんだ」って思いましたけど、でもやっぱり夜中に遊びに行きたいなって人も出てくる。家帰って、オシャレして出かけるぞ、みたいな。そのあたりは難しいですけど、まあ、習慣を付けたら早い時間でもできるかもしれないし、そういう時間から踊るって全然ありなんじゃないかな。イギリスに行ったときに1週間ずっとクラブに通ったんだけど、平日の夜はガラガラでしたからね。めちゃくちゃ有名なDJがやっているんですよ。でも3人、みたいな。

スガナミ 結局週末なんですかね。

山下 現地の人に話を聞いたら「やっぱり平日は仕事があるだろ?」って言っていて、そりゃあそうだよなって。だから選択肢の中に、終電前にクラブに行くっていうのがあってもいい。立ち飲み屋とクラブとかが一緒にあるとか、いいと思うんですけど。

CHABE 僕、Organ Barで火曜日の21~27時にイベントをやっているんですけど、もう少し早い時間でもいいなって思ってます。そのほうがお客さんを呼びやすくて。

やれるなら、満たされるような店をやりたい

スガナミ ハコの店長って、その人の性格や趣味がモロに店に反映されますよね。今日いろいろお話を聞いて、やっぱり山下さんだからこそSLITSの感じが出たんだろうなって改めて思いました。山下さんの「いろんな音楽を好きでいいじゃん」ってところから、いろいろ始まっている。お客さんや出演者の皆さんの交流も含めて。自分がどんな理想を持って、場所や音楽について考えていくのか。けっこう自分次第。

山下 スガナミくんと会ってみて、思っていたような人だなあって感じましたね。5月の「FEELIN'FELLOWS」に呼んでいただいたので、去年の「FEELIN'FELLOWS」の内容をネットの記事などで見てみたんです。出演バンドを1つひとつ追ったわけじゃないけれど、オールジャンルなのは雰囲気でわかる。この感じ、僕の思っているような“よさ”を追求しているなって思いました。あとは下北って、老舗も含めていろいろなライブハウスがあるじゃないですか。その中で、この店は自分が考えていたことと似たコンセプトを持った人がやっているんだろうなって勝手に思っていたので、そういう意味でも思った通りの人でした。

スガナミ うれしいですね。最後に、山下さんが今、もしクラブをやるとしたらどういった店をやりたいですか?

山下 うーん、難しいなあ。自分が働いていて思ったことなんですけど、ディスコって全部あるんです。食べ物にしてもハンバーグとかもあって、めっちゃ食べられる。だから17時くらいからお客さんが来るんですよ。なんかそういう、満たされるようなものをやりたいですね。食事もできるし静かにしゃべることもできる、みたいな。

スガナミ ディスコってそんなに食べられるんですね……すごい(笑)。ちなみにTHREEは夜中に「スタンドかげん」という立ち飲み屋になるんです。食事も出していて。

山下 それはいいですね。あとはまあ、自分としては大きい店はやりたくないです。昔「Straight No Chaser」って雑誌をやっていたポール・ブラッドショウって人がいたんだけど、その人が東京のある大きなクラブに行ったらしいんです。それで、「ああいうところからは何も生まれないぞ」「キャパは300以下じゃないと無理だ」と言っていたんです。「どの国だって同じだ。多すぎるところからは無理だ」と。当時は大きなハコに対して少し思うところがあって、それを読んで勇気付けられたんですね。だからもしやれるとしても、大きなハコには興味がないですね。飯がうまくて、チルできる場所があって、そんなに大きくない、みたいなイメージの店だったらいいですね。

※記事初出時、画像キャプションに誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

取材 / 望月哲(音楽ナタリー編集部) 文 / 加藤一陽(音楽ナタリー編集部) 撮影 / タマイシンゴ