『俺のスカート、どこ行った?』が描く「ダイバーシティ」への返答 古田新太の新しい教師像とは
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働き方やダイバーシティにフォーカスした作品が注目を集める今期クールで、学校を舞台に反響を呼んでいるのが『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ系、以下『俺スカ』)だ。
主役は古田新太演じるゲイで女装家の高校教師・原田のぶお。原田が副担任の田中(桐山漣)たちと協力して生徒の問題解決に奮闘するという筋書きは、一見すると王道の学園ドラマそのものだが、内容は刺さるセリフの詰まった意欲作である。
豪林館学園高校校長の寺尾(いとうせいこう)に誘われて2年3組の担任になった原田は、第1話でいきなり校門を壊す。文字どおり重機で物理的に破壊してしまうのだが、学校と外部の境界を撤去する行為は原田がしようとすることを象徴している。
原田の教育手法はかなりユニーク。自分を辞めさせるために屋上から飛び降りようとする若林(長尾謙杜)に対して「私が受け止めるから飛べ」と言い、大会が間近に迫ったチアダンス部の生徒には、ショーパブを練習場所に提供。原田流のスパイスの効いた言動に、生徒たちも次第に心を開いていく。
原田はゲイであるが、『俺スカ』はLGBTQそのものをテーマにしているわけではないと考える。しかし、原田という存在によって『俺スカ』は従来の学園ドラマと異なる位相の作品に仕上がった。
言うまでもなく学校という社会では、教師と生徒、生徒同士の関係が主要な関心事となる。「スクールカースト」に代表される学校特有のしがらみに対する原田のスタンスは「フラット」と「対話」という2つのキーワードに集約される。
「フラット」は原田と生徒の関係性を示すものだ。なぜ教師になったのかと生徒に尋ねられ、「稼ぎがいいから」と原田は答える。身も蓋もない答えだが、建前や耳触りの良い言葉で終わらせず本音で語るのは、生徒を対等に見ている証拠。当然、教師としての発言には責任がともなうが、人生経験がにじみ出た原田の言葉には不思議な説得力がある。
原田のフラットな態度は教室の中に堆積したしがらみをリセットする。人と接するのが苦手で常にマスクを着けている若林は、原田によってスクールカーストの呪縛から解放される。原田のつくりだす空気に引き寄せられるのは生徒だけではない。原田を囲んで教師たちが羽を伸ばす保健室は、さながら緩衝地帯のようだ。
ぶっ飛んだ言動が目立つ原田だが、よく見ると一貫した行動原理があることに気づく。それが「対話」だ。ともすれば他者不在のモノローグに陥りがちな風潮の中、相手の言葉を受けて返すという基本を原田は忠実に実践する。
第3話で不登校になった光岡(阿久津仁愛)に再テストを受けさせるため、原田は光岡の自宅を訪ねる。ベランダで窓1枚をはさんで対峙する原田と光岡。窓ガラスを割りそうな原田の勢いに根負けして光岡は原田を自宅に上げる。
もし光岡が開けなかったら、原田は窓ガラスを割っただろうか? 答えは想像する以外ないが、おそらく原田は割らなかっただろう。光岡の母親が1人で家計を支えていることを知っていたし、なにより光岡を信じていたからだ。
ある意味、原田と対照的なのが名作ドラマ『GTO』(フジテレビ系)の教師・鬼塚である。家族の会話がなくなった生徒宅の壁をハンマーでぶち壊し、プライベートにも踏み込む鬼塚は、破天荒な言動で凝り固まった学歴主義に風穴を開けるアンチ・ヒーローだった。原田の場合、校門や自転車を壊すことはあっても、生徒と対峙するときはあくまでも1対1の対話がベース。基本的に相手の内心に立ち入らないが必要とあれば率直に切り込む。その見極めが絶妙だ。
北風でも太陽でもなく、相手へのリスペクトが根底にあってはじめてできることだろう。生徒が心を開いた瞬間に原田のズラが取れるシーンは、コミカルな中にも、教師やゲイなどの属性も脱ぎ捨てて1人の人間として向き合う原田の姿勢が表れている。
学校という閉じた社会に内部から一石を投じる原田。多感な10代の心情に先入観なく向き合うことができるのは、ゲイバーを経営していたという経歴や、娘の元彼の安岡(伊藤あさひ)から慕われる人間的魅力に負うところも大きいだろう。
今後、原田の過去が明かされるにつれて、生徒との関係にも変化が生じることが予想される。ダイバーシティを取り巻く問題に等身大のアンサーで返す原田の活躍に注目したい。
■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京の片すみで音楽やドラマについての文章を書いています。