『なつぞら』北海道編のモチーフが東京編で反復 朝ドラで「労働争議」はどこまで描かれるのか
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連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『なつぞら』がはじまって2カ月弱が過ぎようとしている。
朝ドラ100本目となる本作は、アニメーターを志すヒロイン・奥原なつ(広瀬すず)の物語だ。現在は東映動画の人々からヒントを得ていると思われる東洋動画が舞台となっているのだが、北海道編で描かれたモチーフが東京編で反復されることで、テーマがより深まっているように感じる。
本作はなつがアニメ制作に携わることもあってか、アニメ作品の影響が多い。中でも宮崎駿と故・高畑勲が関わった作品の影響は大きく、戦災孤児だったなつと兄の咲太郎(岡田将生)の関係は、高畑が監督を務めたアニメ映画『火垂るの墓』、十勝で酪農をする姿は、高畑が演出を務めたテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』を思わせる。
【写真】東洋動画のメンバー
また、行く先々で女性を虜にする咲太郎だが、「『心の操』を貸したままだから返してくれ」と土間レミ子(藤本沙紀)に言われる場面は、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』のルパンを思わせる。そもそも、働くことを通して成長していくヒロインの姿は、宮崎・高畑が手がけた作品で繰り返し描かれてきたモチーフである。
一方、演劇というモチーフも繰り返し登場する。
高校に入学したなつは演劇部に所属し、顧問の倉田隆一(柄本佑)から演技の指導を受ける。そこで教わるのが、スタニスラフスキー・システムだ。ソ連(ロシア)の演劇人コンスタンチン・スタニスラフスキーが提唱したこの演劇論は、かいつまんで言うと、役柄を演じる際には、想像力で役の内面を掘り下げ、自分の気持ちを投影することで心身共に役に成り切るという考え方だ。
なつが『白蛇姫』のヒロイン・白娘が泣き崩れる動画を描く場面や、舞台女優の亀山蘭子(鈴木杏樹)が声優として声を吹き込む場面において、絵に魂を吹き込むとはどういうことか? という問いが繰り返されるのだが、そこで導き出される“自身の経験から想像してキャラクターの内面を掘り下げ、自分ならではの演技をする”という結論は、スタニスラフスキー・システムの応用であり、アニメのリアリティと演劇のリアリティを同じ尺度で見せるのは、本作ならではの解釈だろう。
このように、劇中には演劇とアニメを題材にしたモチーフが多数登場するが、それが物語と深く絡んでいるのも本作の見どころだ。文化祭の演劇では『白蛇伝説』、アニメでは『白蛇姫』という作品が登場する。どちらも人間に化けた白蛇の悲恋が描かれている。
なつが『白蛇姫』の白娘の悲恋に感情移入する姿が強く描かれたが、好きな人と生きられない白蛇の悲劇に、男のように働きたいけどそれが認められない東洋動画の就労環境に重ねられているように見える。
白娘の声を当てるのが『人形の家』で主人公を演じた蘭子だったことが、それをより際立たせる。ヘンリック・イプセンによって1879年に書かれた戯曲『人形の家』は、自分を人間扱いしない弁護士の夫に愛想をつかした妻・ノラが最後に家を出ていくという物語で、婦人解放運動の旗印となった作品としても知られている。
第66話でなつが、結婚して母親になったら仕事を辞めるのが当然という社長の態度に憤っている場面を見ると、今後はなつを含めた働く女性の困難に焦点が当たるのだと思うのだが、おそらく本作が最終的に描きたいのは、女性も含めた労働者の権利と自立のための闘争ではないかと思う。
史実を踏まえた時に今後重要になってくるのは、手塚治虫が61年に虫プロを設立して63年に国産テレビアニメ『鉄腕アトム』の制作に乗り出すことと、東映動画で起きた労働争議だろう。
宮崎、高畑はもちろん、なつのモデルとなっているであろう奥山も深く関わっていた労働組合による低賃金での長時間労働に対する待遇改善を求める運動は泥沼化し、1974年まで続いた。赤字続きの東映動画は強硬なリストラが行い会社を合理化、宮崎、高畑、奥山、小田部羊一ら有能なクリエイターたちが会社を去ることになる。
背景には様々な問題があったが、大きな要因は手塚治虫がテレビアニメ制作をスタートしたことで、膨大な数のアニメをアニメスタジオが量産せざる負えなくなくなったことが挙げられる。本数が激増する中、長時間の低賃金労働を強いられるというアニメ制作現場における悪循環はこの時期に生まれてしまったのだが、本作はおそらく、この時代を振り返ることで現代における労働の在り方を見つめ直そうとしているのではないかと思う。
その前哨戦は乳業メーカーに対抗するために酪農家が農協で団結するという話で描かれていた。ここまでの東洋動画の社長の描き方をみていると、労働争議を描くのは間違いないと思うのだが、果たして、どこまで朝ドラで描けるのか?
おそらく、1968年に作られた高畑勲監督のアニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』が象徴的な作品として描かれるのだろう。資本家に搾取される労働者の共闘を、この時代にどう描くのか? 注意深く見守りたい。
(成馬零一)