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植草 信和
フリー編集者(元キネマ旬報編集長)
博士と狂人
20/10/16(金)
ヒューマントラストシネマ有楽町
本作の原作であるサイモン・ウェンチェスターの『博士と狂人――世界最高の辞書OEDの誕生秘話』は未読だが、映画『舟を編む』について調べているときに、その存在を知った。 三浦しをん原作の『舟を編む』は『大渡海』という日本語辞書編纂の物語だったが、こちらは世界最高峰と称される『オックスフォード英語大辞典』(通称OED)誕生までを描いたノンフィクション。スケールが桁違い、映画化されたら是非観ようと楽しみに待っていた。 それから7年、ようやく対面できた映画『博士と狂人』は、前人未到の難事業に挑んだふたりの男の友情物語として、知的冒険譚として楽しめる素晴らしい映画に仕上がっていた。活劇ではないが、スリルとサスペンスに充ち充ちている。 こんな物語だ。 19世紀のロンドン。独学で言語学博士となったマレー(メル・ギブソン)と、エリートながら精神を病んだアメリカ人の元軍医マイナー(ショーン・ペン)。運命の糸に手繰り寄せられるようにふたりは、オックスフォード大学で言語辞典編纂に携わることになる。だが、様々な障害に阻まれてついには、時の内務大臣ウィンストン・チャーチルや王室をも巻き込んだ危急存亡の窮地に――。果たしてふたりは人類初の言語辞典を完成させることができるのか? 演出、撮影、演技、美術、音楽すべて完璧で、見事というしかない出来。製作も兼ねているメル・ギブソンの執念の成せる業だろう(ギブソンは原作が出版された20年前から映画化に取り組んでいた、と資料に書かれている)。 辞典作りという高尚なテーマを掲げながら、男の友情、夫婦の絆、戦争の狂気、階級差別など今日的な問題も内包しているエンタテインメント。監督のP・B・シェムランは1975年生まれのイラン系アメリカ人。メル・ギブソンが監督した『アポカリプト』の脚本を担当。本作が長編監督デビュー作とのこと。恐るべき新人監督の登場だ。
20/10/16(金)