長編小説の映画化では、大河ドラマの総集編のように全体をダイジェストにするか、ある部分のみを取り出して映像にするかの2つの方法があるが、これは後者。
司馬遼太郎の原作は、河井継之助の青年時代から始まるが、この映画は、前半どころか、原作のかなりの部分をばっさりとカットし、徳川慶喜の大政奉還から始まる。そこから回想シーンに入るのかと思ったら、まったく、河井の過去は描かれない。
いわば、大河ドラマの最終回だけを見るような感じ。
その意味では河井継之助や戊辰戦争について、ある程度の知識がないとわかりにくいかもしれない。しかし、それはこの映画の弱点ではない。これは、ある人物の伝記映画というより、戦争映画なのだ。長編小説の脚色として、見事な例と言える。
戦争映画だが、いたって静謐だ。音楽で盛り上げようとか、派手な演出がない。『乱』など、黒澤明晩年の様式に近い。
戊辰戦争は、関ヶ原の戦いのような合戦から、近代的な戦争への移行期にあたる。先見性のある河井継之助は、「近代戦」をやろうとしているが、官軍は合戦の感覚でいる。そのため、和平交渉ができない。そのすれ違いの悲劇が、重い。
時代に早すぎた人が、時代遅れとなった幕府の側につかざるをえなくなる、歴史の皮肉と悲劇が胸に刺さる。
河井継之助の妻を、松たか子が演じており。宴席で踊るシーンがあるのだが、その踊りがうますぎる。さすが、高麗屋の娘。