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吉田 伊知郎

1978年生まれ 映画評論家

生誕90年 映画監督・大島渚

今年、大島渚は生誕90年を迎える。 大島が生涯にわたって描き続けてきた〈国家・犯罪・性〉は、アクチュアルなテーマとして我々の前にそびえ立っている。大島渚を観ることは、今を見つめる行為に他ならない。 大阪のシネ・ヌーヴォで始まった大規模なレトロスペクティブは、デビュー作の『愛と希望の街』から遺作の『御法度』まで──『マックス、モン・アムール』を除く劇映画と、ドキュメンタリー『ユンボギの日記』『KYOTO, MY MOTHER'S PLACE キョート・マイ・マザーズ・プレイス』、さらに唯一の連続テレビドラマ『アジアの曙』を含めたラインナップは、大島渚の全貌を目にする絶好の機会である。 全上映作が必見と言いたいところだが、とても全ては見きれないという方に、独断でこれだけはという数本を選んでおくと、死刑執行の失敗で記憶を喪失した在日朝鮮人死刑囚を主人公に、刑場の係官たちがあの手この手で記憶を甦らせようとする『絞死刑』は、ブラックユーモアに満ちたシチュエーション・コメディの傑作だ。「民族・国家・犯罪」を凝縮させた大島映画を代表する1本である。 1960年代の作品は男性視点が際立ち、1970年代に入るとジェンダーに目覚めたと言われがちな大島だが、マッチョな視点が際立つ60年代の作品でも、『白昼の通り魔』のように、旧弊な村社会で生きる自立した女性を、〈性と犯罪〉の視座から描いた作品もあり、『愛のコリーダ』『愛の亡霊』を観る前にぜひ観ていただきたい。 今年上梓した拙著『映画監督 大島渚の戦い「戦場のメリークリスマス」への軌跡』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)でも記したが、大島映画で最も知名度の高い『戦場のメリークリスマス』は突然変異的に生まれた映画ではない。13歳で敗戦を体験した大島は、初期作から、等身大の視点で戦争を見つめてきた。誤解を恐れずに言えば、それは、〈戦争ごっこ〉のようだった。 大江健三郎の同名作をもとにした『飼育』では、少年たちの目線から戦争と敵兵が捉えられる。それ以降も、大島は〈少年〉の視点から戦争を見つめていく。『戦メリ』が、まるで少女漫画的とも言われた粉飾性をまとっていたのも、少年の想像する捕虜収容所と思えば、本作が漂わせる不可思議な雰囲気も納得できるだろう。 その意味で、今回ぜひ観てほしいのは、今も失敗作という不当な評価がつきまとう『帰って来たヨッパライ』である。 ザ・フォーク・クルセダーズの同名曲を、加藤和彦らメンバーを主役に起用した異色の歌謡映画だが、全国松竹系で公開されたとは信じがたいほどの実験的な試みを軽やかにやってのけており、殊にフォークルメンバーが韓国人と間違われて強制送還され、ベトナムの戦場へ送られるくだりを、上野の不忍池やまだ副都心が出来る以前の新宿で撮ってしまう大胆不敵さには呆気にとられる。この遊戯じみた描写こそは、〈戦争ごっこ〉そのものであり、大島が描いてきた戦争を、このキーワードで読み解くことが可能であることが本作を観ればわかるはずである。 こうして数本をピックアップして並べるだけでも、大島渚は過去の映画監督ではなく、今を生き続ける存在であることがわかってもらえると思う。この特集は、大島渚を現代へ召喚するための“儀式”となる。

22/8/3(水)

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