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文学、ジャズ…知的映画セレクション
高崎 俊夫
フリー編集者、映画評論家
百合の雨音
22/10/14(金)
ヒューマントラストシネマ渋谷
日活ロマンポルノが50周年を迎えた記念プロジェクトとして「ロマンポルノ・ナウ」と題し、3本の新作が製作された。松居大悟の『手』、白石晃士の『愛してる!』に続いて、いよいよ金子修介の『百合の雨音』が公開される。まさに真打登場といってよい。金子修介は、45周年の「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」の時に自分が抜擢されなかったことを大いに悔しがっていたが、『百合の雨音』にはそんな彼の長年のロマンポルノへの熱い思いが全篇に迸っている。 金子修介のデビュー作『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(1984)は、スポ根マンガ「エースをねらえ!」のパロディという意想外な趣向で観客を唖然とさせた。当時、まだ濃厚な濡れ場を売り物にしていたロマンポルノの中ではそのポップなライト感覚がきわめて新鮮だったのである。 それ以後、金子修介は、平成の『ガメラ』三部作、『デスノート』などのヒット作を飛ばし、日本の娯楽映画の王道を切り拓いてきたが、『百合の雨音』は、かつてロマンポルノの二作目『OⅬ百合族』で描いたLGBTの世界でもあり、金子にとっては満を持しての原点回帰といえよう。 冒頭、モノクロの映像に真っ赤な傘が浮かび上がり、二人の女子学生が雨に濡れながらキスを交わすシーンから、しっとりとした艶やかな情感が画面に充満する。 先行する若手二人の作品が一般映画としても充分に通用するドラマの結構を保っているのに対し、金子修介は「これこそがロマンポルノだ!」といわんばかりに、ハードなシーンを惜しげもなく次々に披歴する。出版社に勤める葉月(小宮一葉)と憧れの上司、栞(花澄)が、何度もラブホテルで逢瀬を重ねるシーンは、かつての小沼勝監督を思わせる独特のねちっこさ、異様なまでのエロスのボルテージの高さに、往年のロマンポルノを観ている錯覚に陥ってしまうほどである。とりわけ、年齢不詳のヒロイン花澄が、どんどん奔放に、妖しく、魅力的になっていくのが、この映画の大きな見どころのひとつだ。 金子修介は、延々と続く、白い裸身の戯れ、濃厚な絡み合いを、悠然たる演出で見せてゆく。どこか、アナクロニズムすれすれのノスタルジックな世界に身を浸していると、やがて、湾岸の都市景観の中で、小春日和のようなラストシーンが来る。ここで、私は、一抹の寂寥感とともに、日活ロマンポルノのほんとうの遺伝子を、その血脈を、身をもって体現し、継承できるのは、もはや金子修介以外にはいないのではないか、と呟くのである。
22/10/15(土)