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芸術・歴史的に必見の映画、映画展を紹介

岡田 秀則

国立映画アーカイブ主任研究員

BOWシリーズの全貌-没後30年 川喜多和子が愛した映画

このコロナ禍の3年間にあって、侯孝賢やジム・ジャームッシュ、ヴィム・ヴェンダースといった監督たちの大規模な回顧上映が、ミニシアターを連日賑やかにしたのは記憶に新しい。日本に初めて紹介された時から観客の支持は変わることなく、さらに新世代のファンを得て盛り上がっている。そしてその原点を探ってみると、必然的に、映画によって結ばれた一組のカップルに突き当たる。映画配給会社フランス映画社を率い、「BOW(Best films Of the World)シリーズ」の名のもと世界から傑作映画を日本に届けた柴田駿と川喜多和子である。筆者の世代は今でもこのシリーズを血肉にして生きていると言ってもいい。 彼らの根本には、信じた映画作家を一貫して擁護するという態度があった。このポリシーは、夫妻がそうした監督たちの信頼を得る礎となったが、この展覧会では夫妻と彼らとの交流が余すところなく示されている。母である川喜多かしこの薫陶を受け、映画を通じた天性の社交家であった川喜多和子と、厳格な経営者でもあった柴田。この二人は事業家として互いを補う絶妙のコンビであった。会場には二人の配給作品のポスターが壁いっぱいに展示されているが、若き日に全国の自主上映を組織化しようとした「シネクラブ研究会」の資料も貴重だ。たった数年の活動だが、劇場にはかからない、でも絶対に見たい映画を見ること、そして日本各地に行き渡らせることが道なき道をゆく事業だったことがよく分かる。 だが1993年、川喜多和子は53歳で急死してしまう。あまりに早かったその死を悼む大島渚監督の弔辞が展示会場の入口にあるが、名文家大島の文筆の中でもこれは屈指の名文だろう。彼女の映画への貢献を抽出したこの文を読むためだけでも、この展覧会に赴く価値はある。そして彼女がどれだけ国内外の映画人に愛されていたかは、会場のベンチにひっそり置かれた弔辞・弔電をすべて読めばよい。 近年はようやく女性監督に光を当てる上映企画が多くなったが、映画作りだけが映画ではない。この企画は、輸入配給という職能に光を当てた点でも価値がある。川喜多和子ほど華麗に世界を渡り歩いた日本の女性映画人はそういない。シャンタル・アケルマンの映画を観た方が、そのまま湘南新宿ラインで鎌倉へ向かえばいいのに! 6月25日まで。

23/4/20(木)

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