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文学、ジャズ…知的映画セレクション

高崎 俊夫

フリー編集者、映画評論家

東京組曲2020

三島有紀子監督の新作『東京組曲2020』は、コロナ禍で平穏な日常の風景が一変した2020年の東京を描くドキュメンタリーである。 冒頭、緊急事態宣言を発令する首相安倍晋三の声が聞こえてきて、一瞬、ドキリとする。すでに<死者>となっている安倍晋三の声は、あたかも冥界から響いてくる呪文のようである。さらにショッキングなのは、シャッターで閉ざされた渋谷のキノハウスをとらえた深い陰影をたたえた不吉なショットである。  シネマヴェーラ渋谷、ユーロスペース、ユーロライブ、映画美学校の試写室が入っているこの建物は、私が東京でもっとも日常的に通っていた親密な空間であり、コアな映画ファンにとっても、いわば聖地のような場所であった。だから、さりげないこの一瞬のショットは、否応もなく、あの三年前のパンデミックの悪夢をフラッシュバックのように脳裏によみがえらせるのである。 三島監督は、コロナ禍によって、映画の企画が次々に延期され、あるいは頓挫してゆく中で茫然自失し、同年4月22日、誕生日を迎えるが、夜が明ける時刻に自宅のベランダでどこからともなく聞こえてきた女性の嗚咽する<声>に魅入られ、本作のモチーフが一挙に思い浮かんだという。  演出家として直に役者たちに向き合うことを禁じられた中で、三島監督は三つの条件を自らに課す。 一つ目は役者たちの日々の暮らしや感じていることを監督が引き出し、共有した上で何を撮るのかを決定する。 二つ目は撮影は役者自身か同居人が行うこと。 三つ目は、明け方に聞こえてきた女の泣き声を録音し、すべての出演者に聴かせてそのリアクションを記録するというものだ。 この制約によって、コロナ禍で仕事が激減したとおぼしい20名の役者たちによる演じられているのか、ドキュメントなのか、一見、判然としない日常の断片が、断片のままに、無造作に提示され、移ろうように流れ去ってゆく。子育てで悩む女、夫の鬱を吐露する女、故郷の母親と電話で口論になる男、実家に帰省しても隔離状態に身を置き、感情を暴発させる女、etc。それぞれのカップル、あるいはシングルが抱えているであろう痛みや歓びは、その語り口の断片性ゆえに、なまなかな感情移入を拒む。 私は、ふとレイモンド・カーヴァーの複数の短篇をもとにロバート・アルトマンがロサンゼルスという都市の悪夢を描き出した群像劇『ショート・カッツ』(1993)を思い起こす。あまりにささやかな断片の集積によってしか見えてこない光景というものがあるはずだ。三島有紀子は、『東京組曲2020』で、頑ななまでに断片性に固執することで、コロナ禍の東京を覆いつくす、理不尽に幽閉されているという感覚そのものをあざやかに抽出した。その不穏でリアルな感触は意外なまでに後を引くのである。

23/5/8(月)

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