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文学、ジャズ…知的映画セレクション
高崎 俊夫
フリー編集者、映画評論家
ノスタルジア 4K修復版
24/1/26(金)
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下
ひさびさに、たぶん、封切り以来、40年ぶりにアンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』(1983)を見て、彼の代表作であり途方もない傑作だとあらためて思った。当時、配給したフランス映画社の尽力によって、引き続いて遺作『サクリファイス』(1986)も公開され、時ならぬ<タルコフスキー・ブーム>が沸き起こったことも懐かしく思い起こされる。 この度、上映されるのは2022年に撮影監督ジュゼッペ・ランチの協力による4K修復版で、モノクロからカラーへ、カラーからモノクロへとゆるやかなグラデーションで転調を繰り返す、研ぎ澄まされた審美的な映像には、まさに眩暈を覚えるようだ。 タルコフスキーの映画は、就眠儀式の代名詞のごとく語られがちで、実際に、画面に見入りながら深く寝入ってしまうのもしばしばだったのだが、今回はすべてのショットが覚醒効果を帯びたようで、一瞬たりとも緊張が途切れることがない、尋常ならざる視覚体験を味わうことになった。 イタリア中部のトスカーナ地方を訪れた詩人アンドレイと通訳の女性エウジェニア。ふたりは、ささいな口論、行き違いで関係は醒め切っている。重篤な病を抱えた詩人は、世界の終末を説くドメニコとの出会いを経て、異郷の地で、故国ロシアへの止みがたい郷愁へと誘われる。 『ノスタルジア』ほど、際限もなく夢想を掻き立てる映画は珍しいのではないか。『僕の村は戦場だった』(1962)の少年時代への回帰、『アンドレイ・ルブリョフ』(1967)の荘厳なる聖像画、『惑星ソラリス』(1972)の<水>の氾濫、『鏡』(1975)の親密なる母への忘れがたい思慕、『ストーカー』(1979)の降り注ぐ雨etc、『ノスタルジア』を見ながら、タルコフスキーの過去の作品の断片が記憶の中で次々に走馬灯のように現れては消えてゆく。 『タルコフスキー日記Ⅰ、Ⅱ』(キネマ旬報社)には、彼が愛してやまない、おびただしい文学作品が引用されているが、とりわけ印象的なのは、アレクサンドル・ゲルツェンの自伝文学の傑作『過去と思索』だ。たとえば「不幸の持つ気品……」という謎めいた一節。 ゲルツェンは19世紀ロシアを象徴する<浪漫的亡命者>だが、『ノスタルジア』という映画は、20世紀ロシアが生んだ最後の、そして最大の<浪漫的亡命者>タルコフスキーのあからさまな自伝にほかならない。
24/2/2(金)