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水先案内人のおすすめ

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監督、役者に着目して選んだこの映画

樋口 尚文

映画監督、映画評論家

関心領域

『オッペンハイマー』はヒロシマ、ナガサキの惨状を具体的に見せずに原爆開発に関わった男の内面を掘ろうとしたが、『関心領域』はアウシュビッツに隣接する邸宅に住む収容所の所長と家族を収容所の惨劇そのものを一切見せずに凝視した異色篇である。それにしても『オッペンハイマー』以上に、壁ひとつ隔てたところで繰り返される惨劇を何ひとつ描かず(犠牲者が遺したおびただしい靴の山の画こそ挿入されるものの)美しく平穏で豊かな生活の後景だけで全篇を貫き通したのは快挙というほかない。そもそもの監督のプランではさすがにいくらかホロコーストを具体的に描く細部も想定されていたようだが、ここまできっぱりとそういった場面を排除したことで、本作は圧倒的に戦慄に満ちた傑作となった。そしてその際、明るくのどかな平和的光景の背後に時々聞こえてくる不審な収容所のノイズは雄弁にここに描かれないものを想像させてやまない。だが、この理想的な家の暮らしを向上させることに心血注いできた妻は「夫の転勤でせっかく築いたこの豊かな家を離れることはあり得ない。私はここにいたい」と主張する。まるでこれが戦後の郊外に住む善良な会社員家庭のホームドラマであるかのように。だがここはアウシュビッツである。こうして目を開いて真昼の悪夢を見ているかのような本作にあって、すべての人間のネジがはずれている。なぜ人は何食わぬ顔でここまでたどりつけてしまうのか、そのことへのおぞましさ、気色悪さが最大限に膨張する。だが、こうしたすさまじき空洞のような虚無につきあわされながら、同時にわれわれは映画に籠められた挑戦的な試行への意志、その豊饒な横溢にふれることになる。

24/5/29(水)

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