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政治からアイドルまで…切り口が独創的

中川 右介

作家、編集者

関心領域

ナチスのホロコーストを題材とした映画も、80年近くが過ぎると、「何を描くか」よりも、「どう描くか」に重点が置かれるようになる。 誰もが知っているアウシュビッツ強制収容所と、その所長でナチスの親衛隊将校だったルドルフ・ヘスの物語を、誰も思いつかない方法で描いた。 それは、「何も描かない」ということだ。ヘスの家庭での日常生活を描くということならば、思いつく人もいるだろうが、この映画の脚本・監督のジョナサン・グレイザーはさらに踏み込んで、ヘスとその家族を描きながら、何も描かないことを貫く。だから、「面白い」映画ではない。まるで、家族の誰かがスマホで撮った動画のような、劇映画とは別の文法の映像が続く。この描き方が、画期的というわけだ。 夫であるヘスの仕事が何であるかを、妻は知っている。しかし、それには何の関心も示さない。暮らしている家の隣、塀の向こうには多くのユダヤ人がいて、毎日、何人も殺されているのに、それに対して、彼女は何の反応も示さない。その静かな恐怖を解説めいたセリフなしに、どう伝えるのか。 無関心を表現するというのは、かなり難しい。俳優たちは、演技していることを感じさせてはいけないのだから、これは難役だ。ドラマとして盛り上がることを拒絶しているので、背景音楽もほとんどない。カメラも、その存在を感じさせない。すべての部屋に備え付けられた監視カメラの映像を見せられているような感覚になる。 そうした映像が、すべて綿密に計算されたシナリオに基づいた劇映画であると気づいて、驚愕するという、そういう仕掛けの映画だ。過剰な演技、説明しすぎる演出の日本映画とは別次元の映画だ。

24/5/19(日)

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