Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

水先案内人のおすすめ

評論家や専門家等、エンタメの目利き&ツウが
いまみるべき1本を毎日お届け!

歌舞伎、文楽…伝統芸能はカッコいい!

五十川 晶子

フリー編集者、ライター

国立劇場 令和6年6月歌舞伎鑑賞教室

国立劇場6月の歌舞伎鑑賞教室では実に24年ぶりに、上方和事の演目『封印切』が上演される。同じ歌舞伎の演目でも、助六や弁慶のような英雄たちが登場する『歌舞伎十八番』や、音楽的な台詞が印象的な河竹黙阿弥の世話物とは一味も二味も違う。華やかな大立廻りや「実ハ誰々」といった設定もない。だが時代も環境もまるで違うのに、登場人物たちの「その気持ち、とてもわかる」と思えるリアリティが魅力だ。 『封印切』の主人公は、農家から大坂の飛脚問屋亀屋に養子に入った男・忠兵衛だ。許嫁のある身だが、新町の廓の遊女梅川と深いなじみの仲となっている。その梅川を身請けして自由の身にさせるには二百五十両を返済しなくてはならない。忠兵衛は梅川を抱える槌屋治右衛門に五十両の身請けの手付金を払い、治右衛門も忠兵衛の願いを聞き入れたところだった。 だが嫌われ者の丹波屋八右衛門も梅川を身請けしたいと名乗り出て、治右衛門の目の前に身請けの金二百五十両をポンとこともなげに差し出す。忠兵衛は血相変えて詰め寄り、自分も金を持っていると見栄を張ってしまう。八右衛門の挑発に乗ってしまい、もみあううちに懐にあった三百両の金、つまりよそから預かっている人様の金の包みの封印がちぎれ、その勢いで小判をばらまいてしまう。これで梅川は忠兵衛に身請けされると周囲は盛り上がるが……。 序盤の忠兵衛と梅川の、ふたりの熱さにあてられてしまいそうなじゃらじゃらした微笑ましいやりとりや、井筒屋の女房のおえんと忠兵衛の本音ベースのやりとりが実にリアルだ。タイムスリップして、そこで息づく人々のとりとめもない日常を覗き見ているかのよう。 そして忠兵衛と八右衛門との激しい応酬には手に汗握る。八右衛門の挑発に乗って越えてはいけない一線を越えてしまう忠兵衛。その気持ちの揺れが手に取るように伝わってくる。そして挑発した八右衛門の、「こいつ、まさか公金に手を出すとは」という動揺まで伝わってくる。 人の欲望、面子、プライドと裏返しの劣等感、それらの入り混じった感情に一度火が点いてしまうと自分では消せない。時代や遊郭という設定は違っても、「その気持ち、あるある。わかる」と、物語の世界に入り込めるはず。「あの一瞬で運命が変わってしまった」「戻れるものなら3分前の自分に戻りたい」と思ったことのある人なら特に。 手紙だけではなくお客から金を預かり届けるのも当時の飛脚の仕事だった。忠兵衛が封印を切ってしまうのはその時点で公金横領の罪に当たる。梅川はこの金で忠兵衛に身請けされ、廓からは足を洗えることになったが、ふたりとも人の世の定めからは逃れられなかった。この後の『新口村』の場ではふたりの逃避行が描かれる。

24/5/22(水)

アプリで読む