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政治からアイドルまで…切り口が独創的

中川 右介

作家、編集者

ボレロ 永遠の旋律

モーリス・ラヴェルの「ボレロ」は、誰もがどこかで聞いたことがあるはずだ。タイトルは知らなくても、数秒聞けば、「ああ、この曲か」と分かるだろう。『愛と哀しみのボレロ』という映画でも使われている。 オーケストラのコンサートで演奏されることが多いが、もともとは、バレエダンサーのイダ・ルビンシュタインの依頼で作曲された、バレエのための曲。 この映画は、ラヴェルが新作バレエの作曲を始め、色々あって、「ボレロ」として完成するまでが「いま」として描かれ、青年時代からの「過去」が随所にはさまれている構成の伝記映画。 音楽の専門家向けの映画ではないので、作曲技法などは詳しく描かれないから、作曲についての知識がなくても大丈夫。逆に言えば、どのようにしてあの曲ができたのかを知りたい人には物足りないかもしれない。あくまで人間ドラマで、音楽解説映画ではない。 それでも、「ボレロ」の完成形を知っている人なら、「これがヒントだったのか」「この断片がああなるのか」と、犯人がわかっている倒叙形式のミステリ(「刑事コロンボ」「古畑任三郎」など)を見るような気分を味わえる。 ラヴェルは最も有名な作曲家のひとりで、名前は誰もが知っているが、そのキャラクターと生涯は、モーツァルトやベートーヴェンほどは知られていない。というのも、私生活がヴェールに包まれているのだ。生涯独身で、深い関係になった女性の影がないことから同性愛説もある。 しかしこの映画は、同性愛説は採用していない。むしろ、ラヴェルの周囲に実在した女性たちとの交友が丁寧に描かれ、男性はあまり登場しない。その女性たちはそれぞれまったく違ったタイプで、距離感も異なるが、ラヴェルにとって欠かせないひとたちだ。彼女たちとラヴェルの真の関係は誰にも分からないが、この映画では、断定的に「あること」を描き、まあ、そういうこともあるかもしれないと、一応の説得力はある。 音楽面でのクライマックスは、イダ・ルビンシュタインが踊る「ボレロ」の初演のシーンで、吹き替えなしにジャンヌ・バリバールが踊り、圧巻だ。 劇中で流れるピアノ曲は、現代の名ピアニスト、アレクサンドル・タロー(日本人ではない)が弾いており、アップで映るのは、タローの指だそうだ。さらにタローは音楽批評家の役で出演もしており、クラシック音楽ファンとしては見逃せない。 実際にラヴェルが暮らしていた家で撮影されているのも、興味深い。 日本映画とは違って説明台詞がないので、ラヴェルや20世紀前半のフランスの知識がゼロだと、分かりにくいかもしれない。公式サイトで、ストーリーや登場人物の予習をしておいたほうがより楽しめると思う。

24/8/6(火)

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