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芸術・歴史的に必見の映画、映画展を紹介
岡田 秀則
国立映画アーカイブ主任研究員
川喜多かしこと“映画の仲間”エキプ・ド・シネマの半世紀
24/7/23(火)~24/9/29(日)
鎌倉市川喜多映画記念館
もう私たち東京の映画ファンは、岩波ホールのない世界に慣れてしまったのだろうか。あの映画館が扉を閉じた2022年7月29日から早くも2年、私たちはそのことに慣れさせられている。だがひとりひとりに、記憶に残る作品がいくつもあるだろう。私たちは、「エキプ・ド・シネマ」と名づけられた岩波ホールの一連の映画を精神の養分として生きてきたのだ。そこへ現れた力強いリマインドの試みが、今鎌倉で行われているこの展覧会だ。 同ホールのオープンは1968年だが、アート映画の常設館となったのは1974年。その第1回公開作、サタジット・レイ監督の『大樹のうた』以来、同ホールは48年間で66の国や地域で生まれた274もの作品を上映したという。ヨーロッパ映画をメインに、世界的な傑作なのに日本未公開という作品の解消にも務めた初期、アジアや中南米、アフリカ映画にも展開しつつ日本の女性監督の顕彰にも務めた1990年代、そして世界各地より気品と野心に満ちた映画を迎え、ジョージア映画の熱心な導入にも目を見張った近年。その歴史の中には『八月の鯨』(1988年公開)や『宋家の三姉妹』(1998年公開)といった爆発的なヒット作も含まれる。 この展示を見ながら心中に膨らんでくるのは、「エキプ・ド・シネマ」が映画のシリーズ名である以上にひとつの「運動」だったという感慨だ。その前からあった、川喜多かしこ率いる日本アート・シアター・ギルド(ATG)も「映画配給の運動体」だったが、劇場総支配人高野悦子の率いた「エキプ・ド・シネマ」は日本で初めての「運動体としての映画館」だった。大森さわこ氏の近著『ミニシアター再訪』によれば、1980年代の東京の少なからぬミニシアターは、同ホールを指針として、いわば信頼できる先達の道筋を見つめながら個々の路線を確立させたという。 展覧会としてはポスター展示が大きな位置を占めるが、それゆえ同ホール公開作の多くの宣伝デザインを手がけ、映画ポスターのグラフィックを革新した小笠原正勝氏の小ポスター展の趣きもある。そして個人的な宣伝となるが、筆者も初めて同館に展示品を提供した。大きいので見逃しようがないはずだが、カール・テオドア・ドライヤーの『奇跡』のフランス版ポスターにも暖かき一瞥を。
24/8/14(水)