評論家や専門家等、エンタメの目利き&ツウが
いまみるべき1本を毎日お届け!
監督、役者に着目して選んだこの映画
樋口 尚文
映画監督、映画評論家
シビル・ウォー アメリカ最後の日
24/10/4(金)
TOHOシネマズ 日比谷
なんでもありそうなアメリカ映画なれど、合衆国で内戦が起こる映画というのはあまり聞いたことがない。40年前のジョン・ミリアス『若き勇者たち』がそうだったかなと一瞬思ったが、あれはなんとアメリカ国内に当時のソ連、キューバといった共産圏軍が侵攻してきて田舎の小さな町の若者たちがいきなりサバイバル空間に放り出されるという作品だったので、後半が何となく似てはいるが、内戦の話ではなかった(余談だが『若き勇者たち』は割と最近、ソ連を北朝鮮に変えて『レッド・ドーン』としてリメイクされた)。それこそ南北戦争の昔に遡るとか、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のようなSFに仕立てたりしなければ、さすがにアメリカの観客も身内が殺し合う映画はあまり観たくないということだろうが、本作はそれをごく生々しいかたちで真正面からこれでもかとやってのけた。 ただこういう作品を作る際に「大状況」をスペクタキュラーに描いてしまうと間違いなく駄作になるので、そこはどうするのだろうというのが観る前の大きな興味であった。しかしそこは『エクス・マキナ』『アナイアレイションー全滅領域-』のアレックス・ガーランド監督のA24製作作品ということで、こう来たか!というアプローチであった。要は闘いに巻き込まれた者の極めて限定された主観的なポジションからのみ事態を探ろうという試みであり、そのゆえの「大状況」がつかめぬ不穏さが全篇に持続する。そしてさらにその恐しさの根拠となっている「敵」が、あたかも人間に憑依したエイリアンのように、アメリカ国民の姿をしているというのだから、もう不穏さも恐怖も底なしである。 そして、このことが恐怖とともに圧倒的なシニカルさで戦争のナンセンスを伝えてくる。つまり人間が殺戮しあう戦争というものは不条理であり究極の虚無であるわけだが、それは煎じ詰めれば同じ言語を話し、同じようなものを食い、同じような顔をしたアメリカ人どうしが殺し合うことと同じではないか、というわけである。「おまえはどこのどういうアメリカ人だ?」と尋ねては殺しまくる戦争というものはナンセンスの極みに映るが、しかし今ウクライナやガザ地区で起こっていることは、まさにそれと変わりがない事象ではないか。そういった意味で、本作における合衆国「内戦」という一見突飛な設定は、あまねく戦争一般のラディカルなくだらなさを濃く抽出する装置なのだった。そしてこの意図は、あたかもアイマックスでアートフィルムを観ているかのごとき「触知的」な表現がもたらす恐怖と虚無によってみごとにかなえられている。
24/10/4(金)