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植草 信和
フリー編集者(元キネマ旬報編集長)
狂熱のふたり~豪華本「マルメロ草紙」はこうして生まれた~
24/12/7(土)
ポレポレ東中野
古本屋で文庫本しか買えなかった赤貧時代、『潤一郎新々訳 源氏物語』(全11巻/1964-65年中央公論社刊)を手にしたときの驚きは、今も鮮明に覚えている。これが、「豪華本」というものか! それは、安田靫彦、前田青邨、小倉遊亀など超一流画家の大和絵と谷崎「源氏新々訳」の文章が合体した、画期的な「豪華本」だった。そんな体験を思い出したのは、『狂熱のふたり~豪華本「マルメロ草紙」はこうして生まれた~』を観たからだ。 エッセイ、⽂芸評論、⼩説、戯曲、古典の現代語訳など膨⼤な作品を遺した作家橋本治と、ダイナミックな構図と煌びやかな⾊彩表現で知られる異能の画家岡田嘉夫というふたりのクリエーターが、『マルメロ草紙』という豪華本作りを立ち上げるところから始まる。本作は、その超々豪華本の企画から完成までの8年余を追ったドキュメンタリー映画だ。 作家でありながら「美しい本であれば、文字なんか読めなくてもいい」と言い放つ橋本治と“現代の浮世絵師”と称される岡田嘉夫が目指したのは、アールデコ様式の優美さに貫かれた、美しい本。そこに、装丁家・編集者・製版オペレーター・印刷技術者・製本職⼈たちが加わって、「美しい本」の完成を目指して邁進していく。本作のほとんどが、8年間に及ぶ彼らのディスカッション・シーンで占められている。編集者生活を送ってきた身としては、「原価計算」をどう考えているのか? と問いたくなるコストパフォーマンス無視の本作り。 「文字なんか読めなくてもいい」とは言いながら、気になるのは本の“売り”になる物語だ。時は20世紀初頭のパリ。ブーローニュの森近くの瀟洒な屋敷で暮らす、大実業家と慎ましやかな夫人シャルロット、女優を目指す奔放な妹のナディーヌ。その館にひとりの美青年が招かれたことから、姉妹の心に波風が立ち始める。ロダン、ジャン・コクトー、ニジンスキー、モディリアーニなども登場するパリ社交界を舞台に、姉妹は官能の波にのまれていく。アールデコ様式全盛時代のパリを舞台にした、香気に満ちた物語だ。 橋本と岡田のふたりはその物語を、艶やかな表現で紙上に蘇らせるために、互いを挑発しあい美意識を戦わせ、版元(集英社)と印刷会社を巻き込みながら2013年に完成させる。何と、定価35,000円、シリアルナンバー付き150部限定! ため息が出るような豪華本の誕生だ。 監督の浦谷年良は、『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』『「もののけ姫」はこうして生まれた。』『伊丹十三の「タンポポ」撮影日記』など、我が国で初めて「メイキング映像」を普及させた、テレビマンユニオンのディレクター兼プロデューサー。8年間もの長きにわたって、「本作りの過程」を追い続けた浦谷監督の粘り強さには脱帽するしかない、稀有なドキュメンタリー映画だ。
24/11/24(日)