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文学、ジャズ…知的映画セレクション
高崎 俊夫
フリー編集者、映画評論家
どうすればよかったか?
24/12/7(土)
ポレポレ東中野
大島渚は、かつて優れたドキュメンタリー作品が生み出されるためのふたつの条件として「被写体である対象への深い愛と、その対象に向き合い、費やされた時間の長さ」を挙げたことがある。これは未来永劫まで通用する公理ではないだろうか。 『どうすればよかったか?』は、その意味においてまぎれもないドキュメンタリーの傑作といえるだろう。 1983年に、面倒見がよくて、優しくて頭も良かった八歳上の姉に統合失調症の症状が現れる。しかし、医師と研究者であった父と母は、その現実を認めようとしない。逆に姉を外に出そうとせず、玄関に南京錠をかけて家に閉じ込めてしまう。この映画の監督である藤野知明は、何度か両親を説得しようと試みるも、解決は先送りされてしまい、結局、家を出ることになる。 やがて、日本映画学校で映画作りを学んだ藤野は、姉が発症した時から18年が経過した2001年以降、帰省するたびに、カメラを回し、家族の日々の営みを黙々と記録し続けることを決意する。藤野は、父親と母親に、さまざまなありえたかもしれない可能性をめぐってインタビューし、絶えず問いかける。最愛の姉にもカメラを向ける。ときに奇声を発するかと思えば、意味不明なつぶやきを漏らし、そして静謐さに包まれる瞬間もある。とりわけ姉との間でかわされる、一見、とりとめのない会話が際立って深い印象を残す。藤野自身も、これほどまでの長い歳月にわたって、カメラを回し続けるとは思わなかったのではないだろうか。 文字通り、「どうすればよかったか?」という問いかけに対しては、観る者がなまなかな答えなど出せるわけがない。家族とは何か、精神を病むとはどういうことなのか。あたかも悠久な大河ドラマを観ているように、ファインダーの向こうに過酷な歴史を刻んだ、ある家族の肖像が静かに浮かび上がってくる。最初に被写体にカメラを向けた瞬間からライフワークであることを運命づけられたともいえる稀有なドキュメンタリーである。
24/11/24(日)