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映画は、演技で観る!
相田 冬二
Bleu et Rose/映画批評家
はたらく細胞
24/12/13(金)
TOHOシネマズ日比谷
佐藤健は色白である。 いや、顔の色艶の話ではない。いやいや、確かに彼はビジュアル的にも色白であることは間違いないが、佐藤健は芝居が色白なのだ。 演技が色白。そんな表現がしっくりくるひとを、わたしたちは何人とっさに挙げられるだろう。無理もない。ほとんどの演じ手は、色黒だからだ。もう一度言うが、顔の色艶の話ではない。強い印象を残す役者は大抵、芝居が顔黒なのだ。濃い。濃ゆい。むしろ観客のほうが、芝居とは濃厚なもの、そう思い込んでいる節がある。 佐藤健の演技は、田舎そばではなく、更科蕎麦である。蕎麦好きならわかっていただけると思うが、粗野なところがなく、洗練されている。洗いざらしの真っ白な麻のように、抜けている。野暮ったさがまるでなく、それでいて、蕎麦の美徳のひとつであるエッジはきりりと屹立している。すがすがしい。良質の蕎麦を手繰る際の、あの心地よさが、いつも肌にやさしい。 だから『何者』における能面のような面持ちには比類なき説得力が宿ったし、緋村剣心は死闘が開始される直前の沈黙で時間というものを完全に静止することができた。そうした“白の迫真”の一方で、『半分、青い。』の萩尾律では“白の無垢”の究極を見せた。 そんな白無垢の貴公子が『はたらく細胞』で白血球を演じると聞いて、観客の無意識はおそらく合点がいったはずである。なにしろ、白が白を体現するのだから。 この白血球。これまで佐藤健が演じてきた様々なキャラクターを想起・リンクさせると同時に、誰にも似ていない。なぜなら、ここでは“白の迫真”と“白の無垢”が同時に存在しているからである。伴奏者が永野芽郁であるということの意味は計り知れない。 白に白を重ねるとどうなるか。 予告編で、あまりの白塗りぶりに腰を抜かした人も少なくないだろう。心配するな。白を熟知した男は、わたしたちに“真新しい白”を体感させる。目も覚めるような鮮やかな更科蕎麦を黙って手繰ればそれでよい。
24/12/14(土)