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植草 信和
フリー編集者(元キネマ旬報編集長)
《ナショナル・シアター・ライブ2025『博士の異常な愛情』》
2025年05月09日(金)公開
TOHOシネマズ 日本橋
最近、『千と千尋の神隠し』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『RRR』など、意想外な映画の舞台化が多くなった。『博士の異常な愛情』もそのひとつ。イギリスの国立劇場ロイヤル・ナショナル・シアターが厳選した名舞台を映像化して、映画館のスクリーンで上映する「ナショナル・シアター・ライブ」の1作だ。スタンリー・キューブリック監督の名作『博士の異常な愛情』がどのように舞台化されるか? 主舞台のひとつ「ウォールーム」と呼ばれる軍事会議室や軍事基地はともかく、映像でしか表現できないであろうB52爆撃飛行部隊、水爆投下シーンはどのように演出されているのかなど、興味津々で見た。 1962年10月、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚、米ソ間の緊張が高まり、「核戦争」勃発かと世界を戦慄させた。以降、「核戦争」は人類の最大の脅威になった。その恐怖をテーマにした『博士の異常な愛情』が製作・公開されたのは翌々年の1964年のこと。影をひそめていた「核戦争」の脅威が再び蘇ったのは、2022年のロシア・ウクライナ戦争で、プーチンが「核恫喝」をチラつかせてからだ。 映画『博士の異常な愛情』は軍事理論家ハーマン・カーンをモデルにした科学者ドクター・ストレンジラブを中心に、米大統領、軍人、ソ連大統領(音声のみ)が、眼前に迫った核戦争の危機をどう乗り越えるかを喧々諤々と議論する「戦争ブラックコメディ」。キューブリック監督は当初はシリアスなドラマを考えていたが、共産主義、軍国主義、ナチズムの信奉者がわめき合い罵り合うあまりの愚かしさに、「コメディ」にするしか方策がない、と路線変更したと伝えられている。 英国のロイヤル・ナショナル・シアター側は、キューブリックの1962年当時のその「核戦争」の危機感が、ロシア・ウクライナ戦争でいま再燃していることを痛感して、舞台化に踏み切ったのだろう。舞台化に賭けるスタッフ・キャストの熱気が、画面からも伝わってくる。その白眉は、B52爆撃機機内と水爆投下の技術処理だ。投下と爆発シーンは、スクリーン・プロセス技術を生かした映像と爆撃機の巧妙なモンタージュ表現によって、舞台ならではの迫力を醸し出している。天才映画監督キューブリックの発想が、見事な舞台劇として蘇った。 『スターリンの葬送狂騒曲』のアーマンド・イアヌッチがローレンス・オリヴィエ賞受賞演出家ショーン・フォーリーと共同で脚本を担当。フォーリーが演出を手がけ、『ナイト ミュージアム』シリーズのスティーヴ・クーガンが主演を務めた。海外へ行かずして日本の映画館で、最高級の演劇が見られる貴重な機会を体験してみてはいかがだろうか。
25/5/7(水)