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文学、ジャズ…知的映画セレクション
高崎 俊夫
フリー編集者、映画評論家
アイルランド映画祭2025
25/5/30(金)~25/6/12(木)
YEBISU GARDEN CINEMA
今年で第三回目を迎える《アイルランド映画祭》で最大の目玉といってよいのがジョン・フォードの三話オムニバス『月の出の脱走』(1957)の完全版である。タイロン・パワーが紹介とナレーションを担当しているが、それぞれタッチや語り口は違えど、ジョン・フォードのアイルランドに対する深い郷愁に満ちた郷土愛が画面から脈打っているのが最大の魅力となっている。 第一話「法は何にも勝る」は、フランク・オコナーの短編が原作で、シリル・キューザックの刑事が隣人を殴った老人を逮捕するためにやってくる。被害者の男は保釈金を払うから老人を牢屋に入れないでほしいと懇願するが、老人は自分の一族の名誉をけがす発言をした奴は殴って当然なのだと意に介さず、翌日、自ら出頭する。いかにもジョン・フォード好みの頑固で一途な、しかし誠に愛すべきアイルランド魂そのものを鼓舞するようなお話だ。 第二話「一分間の停車」は、田舎の小さな駅を舞台に、一分間停止で止まった汽車が、走り出しそうになるたびに、トラブルが発生し、停車時間がどんどん引き伸ばされる。プラットホームで右往左往する人物たちを豪放なユーモアで自在にさばく演出は圧巻で、見終わると言いしれぬ多幸感に包まれる。こういうフォード特有のホラ話のようなおおらかな笑いは、『周遊する蒸気船』(1935)、『ウィリーが凱旋するとき』(1950)の系譜に連なるもので、ほんとうに素晴らしい。とりわけ、この第二話は、何度でも見たい。 第三話「1921年」は、独立運動の指揮官が処刑される寸前に仲間の機転で刑務所を脱走し、果たして逃げおおせるかというサスペンスがラストまで持続する。斜めの構図を多用する鋭角的なカットが際立って印象的だ。 『ブルーロード エドナ・オブライエン物語』(2024)は、映画化もされた鮮烈なデビュー作『カントリー・ガール』に始まる自伝的三部作、そして何といっても『八月はいじわるな月』の辛辣で苦いユーモアが忘れがたい女流作家エドナ・オブライエンの生涯を描くドキュメンタリーだ。早くに名声を得たために、年上の作家であった夫の嫉妬によってあえなく崩壊した家庭生活、マーロン・ブランド、ロバート・ミッチャムらと浮き名を流し、トルーマン・カポーティばりのパーティ好きのセレブ生活が昂じて豪邸を売り払うなど、初めて知るような驚きのエピソードが次々に披瀝され、飽くことがない。 はち切れんばかりの若さを誇示する、スウィンギング・ロンドン時代の寵児であった20代から、精力的に執筆を続けた老境に至るまでの時代を通覧するインタビュー映像も貴重だ。エドナ・オブライエンは、昨年、93歳で亡くなったが、保守的なアイルランドの風土に反逆したそのフェミニンでラディカルな批判精神は、あらためて顕揚されるべきだと思った。 新作ではゲイの作家と四人の母親が織りなすヒューマン・コメディ『フォー・マザーズ』(2024)、少女と老人の交流を静かにみつめる『青いヴァイオリンの奇跡』(2024)、ダブリン市内にある名物パブの歴史を綴ったドキュメンタリー『あるパブとの別れ』(2024)などがある。なかでも、『湖畔』(2023)は作家ジョン・マクガハンの自伝的小説が原作で、生まれ故郷のアイルランドの田舎町に移住してきた作家ジョーと画家である妻の夫婦が、地元の一癖も二癖もある住民たちと心を通わせてゆくさまを描いて出色だった。監督のパット・コリンズはドキュメンタリー出身らしく、スケッチ風の筆致を積み重ねることによって、思わず息を呑むようなアイルランドの美しい自然を背景に、詩的瞑想に耽っているような優雅さが感じられる。
25/5/31(土)