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水先案内人のおすすめ

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映画は、演技で観る!

相田 冬二

Bleu et Rose/映画批評家

国宝

吉沢亮はここで、ヤクザの組長である父親を殺され、天涯孤独となり、歌舞伎の家にもらわれた男の子を演じている。その家には正統な後継者である男の子がいて、当初は立場的に先輩後輩であったが、共に切磋琢磨して稽古を重ねることで、友情が芽生え、対等の関係となる。両者とも舞台の人気者。しかし、ヤクザの息子が大役に抜擢されたことにより、ふたりの関係には亀裂が生じ、やがて木っ端微塵に。修復不可能な事態にまで発展していく。 歌舞伎の家の子を横浜流星がエモーショナルに演じる。本来、数奇な運命はヤクザの息子である吉沢亮のはずなのに、道を踏み外した流星は艶やかに落下していく。奈落に堕ちるほどに、黒が輝く。輝くほどに、黒はカラフルになる。 言ってみれば、横浜流星は動。血筋の子である彼を追い抜いてしまう芸の子、吉沢亮は静。流星は表情豊かに失墜と空虚を体現するが、吉沢の表現は「ある場所」に留まり続ける。その動きのなさ、頑なというよりは、どこか「凝固」を思わせる佇まいに見入ってしまう。 吉沢亮は、翡翠だ。生命が結晶となり、ひとつの美しい石となっている。いたたまれなさも、申し訳なさも、苦悶も、緊張も、高揚も、放心も、泣くことも、泣けないことも、誰かと居ることも、ひとりきりでしかいられないことも、全部等しく同じように「凝固」していて、わたしたちの視線もろとも取り込んでしまう。 こちらが自由にアングルを変えられない歓びがある。吉沢亮という翡翠に、封入された観客の瞳はそれでも生き生きと呼吸し、潤い、魂が光合成していることが確かに感じられるからである。 この物語は悲劇だろうか。それとも苦難の果てに何かを掴みとるカタルシスだろうか。そんなことなどどうでもよくなるほど、吉沢亮という存在の重心は魅惑的だ。わたしたちは何も考えなくよい。解釈しなくてよい。 ただ、そこに留まり続けるひとつの翡翠に見つめられていればそれでよい。わたしたちが見ているのではない。吉沢亮がわたしたちを見つめているのだ。だから動けなくなる。不自由の愉悦。 これは一生で何度体験できるかわからないほど崇高な体験である。もしそれを「国の宝」と呼ぶ者がいたとしても、何ら不思議ではない。

25/6/6(金)

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