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日本映画の新たな才能にフォーカス
イソガイマサト
フリーライター
ルノワール
25/6/20(金)
新宿ピカデリー
早川千絵監督もいろいろなインタビューで語っているように、本作は主人公の11歳の少女・フキを演じた鈴木唯(撮影時11歳の)との幸福な出会いがなければ産み落とされることはなかったかもしれない。彼女の自由でのびやかな、とても芝居とは思えない自然体の言動と嘘のない眼差しこそが、この映画の視点の基準になっているからだ。 子供はそれなりに何でも分かっている。11歳ともなればなおさらだ。もちろん社会の細かいことは理解できないかもしれない。でも、不穏な空気はすぐにキャッチするし、大人たちの会話も何気に聞いている。幼少期の自分を思い出してみて欲しい。何をすれば大人が喜んでくれるか分かっていて、彼らの顔色を窺いながら、心地よい関係性を作りあげていたという記憶が蘇る人も決して少なくないはずだ。 早川監督は恐らく、当時の自分が感じていた疑問やわだかまり、目にした驚きや違和感などをまったくそのままではないにしろ高い純度で視覚化したかったに違いない。そして、そのささやかにしてハードルの高い目論見を自分に近い感性を秘めた鈴木唯の肉体を得てまんまと実現させたような気がする。 前作の『PLAN75』(22)に続いて、早川監督が“死”、あるいは“生きるということ”についての独自の考えや思いを提示し、観客の見解を促しているのも興味深い。それだけに、観終わるころには、あのころの自分は“死”や“生きるということ”をどうとらえていたのか? そこに起因する家族を含めた他者との関係性をどのように築こうとしていたのか? いまの自分の考え方やスタンスはあれからどんな変遷を辿ってきたのか? といった感慨にふけることにもなる。
25/6/22(日)