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文学、ジャズ…知的映画セレクション
高崎 俊夫
フリー編集者、映画評論家
ショーン・ベイカー 初期傑作選
25/7/4(金)~
YEBISU GARDEN CINEMA、 Stranger、 アップリンク吉祥寺、 京都シネマ、 Cinema KOBE2、 第七藝術劇場、 横浜シネマリン、 シネマテークたかさき、 ナゴヤキネマ・ノイ
『ANОRA アノーラ』(2024)でカンヌ国際映画祭のパルムドール、更にはアカデミー賞作品賞を受賞するなど、アメリカのインディーズ・シーンから一躍、メインストリームに浮上したショーン・ベイカーの初期四作品を一挙上映するというまことにタイムリーで、先端的な企画である。 『フォー・レター・ワーズ』(2000)は、アメリカ郊外の男子大学生たちが真夏のパーティで泥酔し、馬鹿騒ぎに興じる一夜をスケッチした長編デビュー作。たとえば当時人気のポルノ女優トレイシー・ローズをめぐる品定めなど、とりとめのない会話の断片から、性欲をもてあました浮薄な青年たちの狂態があぶり出される。あまりにくだらない、無為そのものをじっくりと定点観測のようにみつめるショーン・ベイカーのクールな視線は、いっぽうで、寸景のように現れる女子学生が男たちの欲望の眼差しを介してしか存在しないオブジェのようにとらえているのが印象的である。 『テイクアウト』(2004)は、密入国業者への借金を抱えながら、ニューヨークの中華料理屋で配達員として働く不法移民の青年の一日を描く。降りしきる雨のなかをずぶ濡れになりながら黙々と自転車で疾走する青年、さまざまな階層の客との短い会話、延々と続くこの執拗なまでのリフレインから青年のやりきれない、意気阻喪させるような熾烈極まりない日常が浮かび上がる。 『プリンス・オブ・ブロードウェイ』(2008)は、やはりニューヨークの路上で怪しげな偽ブランド品を売りさばいている黒人青年ラッキーのところへ、突然、かつての恋人が現れ、あんたの息子だと称して幼児を置いて、立ち去ってしまう。口八丁手八丁のラッキーに突然、訪れたトンデモナイ受難の顚末やいかに……。 ショーン・ベイカーは、移民、黒人、性的マイノリティ、セックスワーカーといった社会の底辺、周縁に身をおいて、いわれなき差別を強いられ、押しつぶされそうになっている人々の叫び、呻きにも似た“声”にじっくりと耳を傾けて、深いシンパシーをもって掬い取っている。初期作品の『テイクアウト』『プリンス・オブ・ブロードウェイ』でもその萌芽は明瞭に見出されるが、とりわけ、二作ともにリング・ラードナーの名短篇のようなささやかな救済をもたらすエンディングが忘れがたい。 ショーン・ベイカーが作家として大きく飛躍を遂げた刻印を示すのは、『スターレット』(2012)であろう。「スターレット」とは女優志願のヒロイン、ジェーン(ドリー・ヘミングウェイ)の愛犬チワワの名称で、このスターレットがユーモラスかつシンボリックで特権的な役割を演じている。ジェーンはガレージセールで買ったポットに大金が入っていたことに気づき、そのポットの持ち主である老婦人セイディが気にかかり、さりげなく接触を試みる。まったく年齢も境遇もお互いに隔たったふたりの奇妙な交流は、ちょっと『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(1971)を思わせるが、ポルノ女優として脚光を浴び始めるジェーンの日常で起こる小波乱の数々が、彼女にある大いなる決断を迫ることになる。映画は、迂回に次ぐ迂回を重ねながら、終幕に至ると、ふたりの奇跡のような出会いを祝福するかのような、深い余韻だけが残るのだ。
25/6/29(日)