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小劇場から大劇場まで、年間300本以上観劇。素晴らしい舞台に出会うため、気になる作品は何でも観ます。

森元 隆樹

演劇ジャーナリスト/プロデューサー/演劇伝道師/読売演劇大賞選考委員

いいへんじ『われわれなりのロマンティック』

ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、筆者は3月末まで三鷹市芸術文化センターに演劇企画員として従事し、退職するその日まで、今年のMITAKA “Next” Selectionの準備に勤しみ、後を後輩たちに託した。そんな3月下旬、私は「いいへんじ」の過去の作品を思い浮かべながら、以下のような紹介文を書き上げた。 <<<>>> 細く、いまにも千切れそうな糸の上に編み込まれた言葉の、驚くべき強さ。風に煽られ、どんなに幹がしなっても、その根は流されない。いいへんじ。 <<<>>> 脚本を担当する中島梓織が生み出す言葉はとても繊細で、まるでお祭りの屋台で売られている綿菓子のように口にした瞬間から溶けていき、抱きしめると急速にその体積を無くし小さな塊だけが姿を残してしまうような感覚を抱かせる時がある。しかしその研ぎ澄まされた言葉は、そして的確な演出が導き出す役者の表情や間や距離感は、河川や湖沼の水際で強風に煽られながらもしなり続ける葦のようにどこまでも強く、中島梓織と「いいへんじ」の信念とも言うべき根っこは、決して流されることはないのである。 <<<>>> [劇団ホームページより] クワロマンティックとは、自分が他者に抱く好意が恋愛感情か友情か判断できない/しない恋愛的指向(romantic orientation)のことです。 思えば、これまでずっと、誰かに対する強い想いを「好き」という言葉で解釈するまでに、高いハードルを越えなければならない感覚がありました。 めっちゃ好きではある。でも、「好き」という言葉にすると、当然のように「性的欲求を伴う恋愛感情」と捉えられてしまう。いやいやそうじゃない、それだけでは捉えきれない感情があるんだよ、という強い違和感を抱く。でも、「好き」という言葉にしないと、相手にも周りにも共通言語として伝わらない。友人たちには、ただの言い訳だと捉えられたこともあります。 だから、暫定的に「好き」という言葉を使っていました。(後略) <<<>>> 近年、今までほとんど語られてこなかった人生の手触りについて、舞台化を試みる作品を拝見する機会が何度かあった。もちろん、秀逸な作品も多く、様々な思いを脳裏に浮かばせてくれることもしばしば有ったが、題材がセンシティブな感触を内包しがちであり、時に作品として昇華させることが難しく、抱えきれず消化し切れない感情をそのまま台詞にしてしまい、どこか「青年の主張」のようになってしまう舞台も拝見することがあった。 中島梓織と「いいへんじ」が織りなす舞台は、その作品作りへの胆力が素晴らしく、時に会話で、時に役者の表情や関係性で、それぞれの人間が抱え続けている心の深海に、そっと光を当てていく。『われわれなりのロマンティック』に刻まれた言葉が、仮に自らが抱える煩悶と直接的には交わらなかったとしても、その力強い繊細さは、いつか必ず、あなたの心を、柔らかく灯す。

25/7/25(金)

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