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歌舞伎、文楽…伝統芸能はカッコいい!

五十川 晶子

フリー編集者、ライター

「八月納涼歌舞伎」歌舞伎座松竹創業百三十周年

『野田版 研辰の討たれ』が20年ぶりに再演される。「しないでじらしてされるがジェラシー」「武士は脳卒中では死なん!」などの台詞の数々に客席は沸きどよめいた。2001年8月の納涼歌舞伎で野田秀樹と十八世中村勘三郎(当時、勘九郎)とがタッグを組み、既存の作品を新しい視点からとらえ書き直し、当たりをとったのがこの『野田版 研辰の討たれ』だ。2005年十八代目勘三郎の襲名披露狂言として再演もされた。 原作者は劇作家木村錦花。松竹株式会社の重役でもあった錦花は『東海道中膝栗毛』など大衆的な世話物が得意だったという。文政年間、女房の不倫を知った研屋の辰蔵が、相手の侍を殺して逃げ回った末に討たれたという珍奇な事件が起こり、この事件は後にいくつかの歌舞伎狂言となった。これらの先行作品を錦花が読み物に書き直し、後に平田兼三郎が脚色した狂言は、喜劇の新歌舞伎『研辰の討たれ』として昭和~令和元年まで何度か上演されている。 野田版の研辰(研屋の守山辰次)は、侍となって剣の稽古に励むふりをしつつ、町人時代の言動が抜けず、侍たちが絶賛する赤穂浪士の敵討ちを揶揄する場面から始まる。話題の事件や新規なものにすぐに飛びつき熱狂し振り回される人々、そしてそんな群衆の目を気にして右往左往する侍たちの実態をも描く。20年ぶりの上演だが、群衆の関心事が雪崩のようなエネルギーを持ち、それに振り回される人々の様子など、リアルもフェイクも瞬時に増殖して拡散してしまう現在の方がよりストレートに客席に響くかもしれない。 超高速で繰り出される膨大な台詞、言葉が言葉を呼んで紡いでいく世界観、群衆の一人ひとりまでが生き生きと舞台を走り回る野田作品の魅力を詰め込んだ構成が、歌舞伎として違和感なく溶け合っていることに興奮した。そして何より舞台を飛び跳ねるように走り跳び回り、台詞を言いつつ自分で笑いだしてしまう勘三郎に笑い転げた記憶がある。 この狂言の見どころ中の見どころ、あの“野田版 研辰のだんまり”の場面なんて、もう永遠に観ていたい。舞台センターに逆三角形に役者たちが並び、両手で指を鳴らすしぐさをしながら、上げる足の角度まで揃えてテンポよく踊る様子は『WEST SIDE STORY』さながら。凄まじい拍手が起こった。 世間で起きた事件や事故をネタに物語が編まれ、歌舞伎の世話物になり、当たりを取り、さらにまた時を経て、時代を象徴する言葉を持った狂言作者、象徴する肉体を持った役者によって、新しい息が吹き込まれる。歌舞伎の狂言が、元の狂言からそうやって少しずつ軸をずらしながら新しさを獲得していくものだとしたら、この「野田版」はその典型であり、古典になりうるだろう。 今回の辰次は中村勘九郎だ。声や体つき、ふとしたときに見せる表情など「お父さんそっくり」。と同時に父ゆかりの古典の役をいくつも勤めながら父とはまた違う魅力を放っている。新しい肉体を得て、この作品も新しい魅力を放つにちがいない。 初演再演と松本幸四郎(当時七代目市川染五郎)が勤めてきた平井九市郎を幸四郎の長男染五郎が、勘九郎(当時二代目勘太郎)が勤めてきた平井才次郎を勘九郎の長男勘太郎が勤めることも楽しみだ。十世坂東三津五郎が勤めた家老平井市郎右衛門は幸四郎が勤める。 改めて『野田版 研辰の討たれ』の映像を見直してみて、終盤、辰次が漏らす「生きてえなあ」という台詞に胸を突かれる思いがした。勘三郎と、その盟友であり、家老を勤めて客席を沸かせた三津五郎……。役者として脂が乗り、さあこれから歌舞伎界を本格的に背負っていくのだろうと思っていた矢先だった。この二人を初め、人生半ばでこの世を去った役者たちの叫びのようにも聞こえた。

25/7/27(日)

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