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文学、ジャズ…知的映画セレクション

高崎 俊夫

フリー編集者、映画評論家

よみがえる声

戦後80年という節目の年に、突如、出現した朴壽南(パク・スナム)とその娘である朴麻衣(パク・マイ)の共同監督によるドキュメンタリー『よみがえる声』の鈍い痛みをともなう衝撃をどのように形容すべきだろうか。まさに軽々とした感想を口にすることがためらわれるような苛烈で圧倒的な映像体験を強いられるのである。 朴壽南は在日二世で、これまで『もうひとつのヒロシマーアリランのうた』(1986)、沖縄戦での「軍夫」と「慰安婦」の実相を探った『アリランのうたーオキナワからの証言』(1991)、沖縄戦の「集団自決」と「朝鮮人慰安婦」「軍属」の証言を集めた『ぬちがふぅ(命果報)ー玉砕場からの証言』(2012)、韓国の「慰安婦」被害者たちの闘いを記録した『沈黙ー立ち上がる慰安婦』(2017)などを監督してきた。 いずれも日本帝国の植民地時代に耐え難いまでの辛酸を舐めてきた在日同胞たちの個々の悲痛な〈声〉を丹念に粘り強く記録した作品である。『よみがえる声』は、在日三世である朴麻衣を絶妙な聞き手にして、これまでに撮影された約50時間にも及ぶ16ミリフィルムを復元、デジタル化する作業の中で、母の〈語り〉を介し、在日朝鮮人の100年に渡る受難の歴史と朴壽南という稀有な表現者の実人生をまるごと二重写しに浮かび上がらせる画期的なセルフ・ドキュメンタリーである。 たとえば、映画の中で、朴壽南がマイクを向けると、証言する元慰安婦の女性があまりに過酷な記憶がよみがえってしまったがゆえに絶句し、嗚咽し、発話できなくなる瞬間がたびたび現れる。そのしばし続く、名状しがたい〈沈黙〉をこそ、キャメラは凝視するのである。 朴壽南がドキュメンタリー作家を志す大きな転機となったのが、1958年に起きた小松川事件で死刑判決を受けた在日朝鮮人・李珍宇との往復書簡集『罪と死と愛と』(三一新書)を上梓したことだったというのも驚きだった。その結果、ノンフィクション作家であった彼女は朝鮮総連から追放されることになるのである。 映画のなかで、朴壽南は、小松川事件の被害者である女子高生の母親が関東大震災の際に自分の家族が朝鮮人虐殺に加担したこと、近所の荒川が数多の朝鮮人の遺体で真っ赤に染まったこと、そしてその残虐な行為を自分たちはまだお詫びしていないと語ったと回想している。その朴壽南の独特の艶を帯びた〈声〉を介することによって、見る者は、血の通ったリアルな歴史の証言とはいかなるものであるかが深く諒解されるのである。彼女が小松川事件をモチーフにし、往復書簡集『罪と死と愛と』からも台詞として少なからず引用している大島渚の『絞死刑』(1967)を「解釈が違う」と激烈に批判しているのも強く印象に残った。いずれにせよ、今年公開されることにもっとも意義がある傑作であることは間違いない。

25/8/2(土)

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