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映画は、演技で観る!

相田 冬二

Bleu et Rose/映画批評家

ふつうの子ども

映画は恋を描くが、ある人がある人のことをどうして好きになったかを明示する場合と、明示しない場合がある。 この作品は後者だと考えられるが、推測できるかもしれないという意味では前者の要素もなくはない。逆に言えば、観客それぞれの推測が解釈になるような自由が保証されている。映画には正解というものがあると頑なに信じ、その答え探しをすることが鑑賞だと思い込んでいる人には向いていない。 小学4年生の男の子が、同じクラスの女の子を好きになった。というより興味を持った、と言う方が正しい。作文の朗読で、環境問題への見解を読み上げ、大人たちへの激しい批判を繰り広げた女の子のことが気になった。恋心というより好奇心である。 彼女はどうやらグレタ・トゥーンベリにかなり影響されており、孤立を恐れぬ少女闘士なのだ。男の子は勇気を持って彼女に話しかけ、環境保護の本を読むようになる。彼女に興味を持つことは、彼女の思想を知ることだった。これはかなり健全なコミュニケーションの交通である。 やがて、クラスの問題児である別な男の子も加わり、3人で、小学生なりの環境保護運動を密かに繰り広げることになる。その運動を幼稚と言うことはできないだろう。なにしろ、現実の運動家たちも、美術館の名画を汚すという、ひどく幼稚な自己承認欲求の実現化をリピートしているからだ。 こうした運動への後ろめたさと、芽生えてしまったのかもしれない恋心から自然に生まれる後ろめたさの混合を、嶋田鉄太という俳優は見事に演じている。ふたつの後ろめたさは明らかに違うものなのに、お互いがお互いを侵食し、なにがなんだかよくわからない後ろめたさとなり、そしてそれは彼が生まれて体験するジレンマなのだということが、当たり前に伝わってくる。 なぜ好きになったか、より、好きになって行動して、あるいは行動して好きになって、そのあとで、どんな感覚を知ったかのほうが、はるかに大事なのだ。 大げさなことは何もしないこの俳優が、けれども、大切なことはたったひとりで抱えるしかないという真実を、郷愁とは別種の鮮やかな切実さとして、わたしたちに届けてくれる様は、物語の成り行き以上に感動的だ。 不満とも反抗とも無縁の男の子が抱えるふたつの秘密のコンフュージョン。それを『ふつうの子ども』というタイトルで送り出す作り手たちの気概と本気の志に胸打たれる。2025年必見の1本。

25/8/14(木)

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