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歌舞伎、文楽…伝統芸能はカッコいい!

五十川 晶子

フリー編集者、ライター

国立劇場 令和7年9月歌舞伎公演

今年3月歌舞伎座で通しで上演された『仮名手本忠臣蔵』。通しとはいえ、全部の段が上演されることは少ない。9月の国立劇場では、歌舞伎座で上演されなかった段のうち、二段目と九段目を上演する。九段目「山科閑居の場」は忠臣蔵の中でも濃密な一幕であり、単独で上演されることも多いが、二段目「桃井館力弥使者の場」「桃井館松切りの場」はめったに上演されない。国立劇場で2016年10月に上演されて以来だ。だがカットされてしまうのがもったいないほど、この二段目、見どころの多い一幕なのだ。 大序で高師直と直接トラブルとなったのは、塩冶判官ではなく桃井若狭之助の方だった。若狭之助は判官よりもずっと気短でけんかっ早いらしい。あのままいけば、師直に斬りつけて若狭之助切腹、桃井家断絶……になっていたかもしれない。まさに二段目では、桃井家の家老加古川本蔵が、鎌倉鶴ケ岡で起きた一触即発のできごとについて懸念する場面から始まる。 本蔵の心配した通り若狭之助は師直のしうちを許せず、「討って捨てる、必ず止めるな」と怒り心頭。それどころか「家が断絶となってもそれが天下のため」とまで自ら言う。若いとはいえなかなかにブチ切れている。でももっとびっくりなのは本蔵だ。一切止めようとしない。それどころか若狭之助の「小さ刀」を手に取り、縁先の松の片枝をスパッと切り落とし鞘に納め、「こんなふうにやってしまいなさい」とそそのかす勢い。「この激昂では止めたってこのお方は聞く耳持たないだろう」と、若狭之助の性情をよく知るこの家老は一枚上手だった。この後、ひそかに、そしてテキパキと、師直への賄賂を用意し、馬を駆って足利館門前へと向かうことになる。この場の名は「松切り」。若狭之助の刀であえて松を切るのは、松脂を刀身に着けて鞘から抜けにくくするためという芸談もある。 またこの「松切りの場」の前には「桃井館力弥使者の場」がある。大星由良之助の息子力弥は、本蔵の娘小浪とは許嫁の仲。判官の使者として若狭之助への口上を伝えるためにやってきた。その口上を承るのは小浪。だが力弥のことが好きすぎて、うっとり見つめるばかり。「梅と桜の花角力」という義太夫の通り、若いふたりのやりとりが甘酸っぱい。だからこそ後の九段目での別れが切ない。 忠臣蔵の主軸に据えられた塩冶家と由良之助。それと対比させながら、桃井家と本蔵、その家族の物語を味わいたい。そして、忠臣蔵に重層的な魅力を仕組んだ作者たちの熱量に拍手を送りたい。

25/8/24(日)

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