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日本映画の新たな才能にフォーカス

イソガイマサト

フリーライター

遠い山なみの光

ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの1982年の長編デビュー作を原作とした本作は、いまの日本映画界を牽引する映像クリエイターのひとり、石川慶監督が自らの脚本で映画化したところに大きな意味があったと思う。 石川監督は『愚行録』(17)や『蜜蜂と遠雷』(19)、『ある男』(22)などで知られる精鋭だが、物語や世界、登場人物たちの愛憎や欲をセリフよりも映像の力で感じとらせようとしているヴィジュアリスト。作品ごとに異なる先鋭的なアプローチの画で観る者の心をザワつかせるし、そこは『ある男』以外のすべての石川監督の長編に参加しているポーランド出身の撮影監督ピオトル・ニエミイスキの力とも無縁ではないが、そんな石川監督が40年以上前に書かれた長崎の戦後の話を現代に蘇らせるところに、このプロジェクトの魅力と製作陣の思い、映画の可能性を何よりも感じたのだ。 その期待が裏切られることがなかったのは言うまでもない。作家を目指す次女のニキに問われてイギリス在住の悦子(吉田羊)が少しずつ語り出す、戦後の長崎で暮らしていたころの1950年代の記憶。それは妊娠中の悦子(広瀬すず)が出会った謎めいた女性・佐知子(二階堂ふみ)とその娘・万里子とのひと夏の思い出だったが、そこには悦子の嘘も紛れていて……。 そんなミステリアスな語り口にも自然に引き込まれるが、回想される50年代の長崎が当時の文化や風俗を伝えるレトロモダンな映像で再現されながらも決して懐古主義にならず、生命力に溢れた画で映し出されるのがとにかくいい。 映画を観ている私たちも“過去の記録だから自分とは関係ない”と俯瞰することなく登場人物たちに寄り添い、我が事のように考えるようになるからだ。 その構造は、歌舞伎という特殊な世界を私たちの日常と完全に切り離して描くのではなく、李相日監督の才能と現代の映像技術で等身大の青春ドラマとして可視化した『国宝』にも似ている。風化してはならない80年前の戦争の記憶と疵をいまを生きる私たちの世界と繋がる映画として結実させているところに、本作の強さと素晴らしさがくっきりと現れていた。

25/9/12(金)

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