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植草 信和
フリー編集者(元キネマ旬報編集長)
佐藤忠男、映画の旅
25/11/1(土)
K's cinema
映画評論家の佐藤忠男氏は、68年にわたる評論家人生で、共著含めて約160冊弱の著書を残した。たぶん、日本はもちろん世界でもこれほど多くの著作をもつ映画評論家は、例がないのではないだろうか? 本作『佐藤忠男、映画の旅』は、その佐藤氏にスポットをあてた、“映画評論家を主人公にした”日本で初めてのドキュメンタリー映画。 佐藤氏の最初の著書は、26歳で著した『日本の映画』。以後、『斬られ方の美学』『黒澤明の世界』『小津安二郎の芸術』『日本映画史全4巻』『世界映画史』『大島渚の世界』『わが映画批評の五〇年』など、列挙すればキリがない。佐藤氏が他の映画評論家と大きく異なる点は、映画評論以外、例えば『長谷川伸論』の文芸批評、『漫画と表現』のマンガ評論、『映画子ども論』の教育論など、映画を越境した文化論に言及していることだ。その広く開かれた視野は、『キネマと砲聲』『韓国映画の精神 林権澤監督とその時代』で中国、韓国映画に及び,さらに『アジア映画』ではタイ・ベトナム・モンゴル・イスラム世界の映画にまで裾野の広がりをみせる。この守備範囲の広さと筆勢には、ただただ脱帽するしかない。 そんな“知の巨人”の映画人生に迫るべく、スタッフは“映画の旅”へと船出する。最初のロケ地は南インドのケーララ州。「小津安二郎監督の『東京物語』と比肩するくらい、インド映画『魔法使いのおじいさん』(G.アラヴィンダン監督)が好きな映画」という佐藤氏の、映画的故郷の原点ともいえるのがケーララ州。そこで氏と交流があった映画人や出演者にインタビューを重ね、映画の魅力と佐藤氏の人となりを浮き彫りにしていく。それにしても、多くはないであろう製作費(たぶん)を割いて、インド南西端にまで撮影を敢行したスタッフの熱意に感心させられる。 本作のもうひとりの主人公は、妻の久子さんだ。自費出版の『映画史研究』の共同編集者であり、佐藤氏の大きな功績のひとつである「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」の共同プロデューサー。長い道のりの映画人生を、ともに歩いた最愛の妻・久子さんとの出会い。その愛を告白するラブレターは微笑ましく、氏の温かな人間性を滲ませる。「アジアフォーカス」で招聘したアジアの監督たちをもてなす佐藤ご夫妻の幸福そうなたたずまいは、忘れられない。 “映画の旅”の第二の訪問地は、韓国だ。韓国映画界の巨匠イム・グォンテク監督や韓国ニューウェーブを代表するイ・ジャンホ監督をはじめ、親交のあったアジアの映画関係者の証言から、佐藤氏の業績を紐解いていく。どの国でも、氏への感謝の念厚く、彼がいかにアジア映画を愛していたかを物語る。 映画を通して知る、佐藤氏の功績を箇条書きすれば、①日本映画史を体系化したこと。②アジア映画を発掘し日本に先駆的に紹介したこと。③映画大学の学長として数多くの若手映画人を育て上げた、ということになるだろうか。日本映画大学の関係者の発言からは、世間ではあまり知られていない、“教育者としての優れた資質”が伝わってくる。 監督を務めた寺崎みずほ(佐藤氏が学長を務めた日本映画学校=現日本映画大学での教え子)は、本作について以下のように語る。 「“なぜいま、佐藤忠男を追うのか? ”“なぜいま、映画評論家なのか? ” 2019年の夏、佐藤さんを撮影しはじめたころから自問していた。佐藤さんとの対話、著書を読むなど、彼の言葉に触れると、映画に対するみずみずしい気持ちが湧き出てきた。そういった類のパワーを持つ佐藤さんに非常に興味をひかれた。佐藤さんが生涯を通して強く持ち続けた反骨精神、情熱、好奇心、胆力がそのパワーの源となり、私に影響を与えたのだと思う。」 顕彰歴の羅列は氏の好むところではないと思うが、「山路ふみ子映画文化賞」「川喜多賞」「紫綬褒章」「勲四等旭日章」「フランス政府芸術文化勲章シュヴァリエ章」などを受けている。また2019年には文化功労者に選出された。22年3月17日、胆のうがんのため91歳で死去。我々はいかに偉大な先達を喪ったかを、改めて思い知らされるドキュメンタリー映画だ。
25/10/6(月)