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森元 隆樹

演劇ジャーナリスト/プロデューサー/演劇伝道師/読売演劇大賞選考委員

贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』

初めて「贅沢貧乏」の舞台を拝見したのがいつだったのかは、大変恐縮ながら失念してしまったのだが、はっきりと覚えているのは2015年11月、三鷹駅北口から歩いて数分のところにあるビルの一室で上演された『みんなよるがこわい』である。ビルの一室と書いたが、おそらくは以前、事務所か何かが入っていた「空きテナント」であり、コンクリート打ちっぱなしの伽藍洞(がらんどう)の会場は、11月下旬ということもあり、かなり寒かったのを覚えている。その公演は、贅沢貧乏がそれ以前に会場として選んでいた「一軒家」での演劇のそれぞれの部屋を、人形ハウスのように一箇所に凝縮したかのような舞台セットであり、セリフの切れ味とテンポが良く、役者の動かし方やアイデアも秀逸で、終演後、そのシュールな味わいを脳裏に浮かべながら地上へと階段を降りると、1階は絶賛営業中の忙しそうな中華料理屋であり、時間も場所も、すべてシームレスになったような不思議な感覚に、小さく微笑みを浮かべたものである。 その後『みんなよるがこわい』は、初演の会場の1階の中華料理屋と地底で繋がっていたかのように、2017年から2023年にかけて幾度も中国ツアーを実施するのだが、その作品と同じ頃、2019年に初演されたのが、今回、国内ツアーと題して再々演される『わかろうとはおもっているけど』である。 <<<>>> テル(大場みなみ)とこうちゃん(山本雅幸)はどこにでもいるような普通のカップル。 あるとき、テルが妊娠した、という出来事から空気が変わり始め、テルの友達(佐久間麻由)やなぜか家にいるメイドたち(大竹このみ・青山祥子)を巻き込んでゆく。 「女性」と「男性」の「わかりあえなさ」を「わかりあおうと」した先にあるものとは──。 <<<>>> 劇団のホームページに、そうあらすじが記されている『わかろうとはおもっているけど』。妊娠という、2025年の人類においては男性には宿らないとされている事象を通して、無自覚で、本人にとっては何の悪気も無い言葉や振る舞いが、まるで、見えないがゆえに気にも留めていなかった紫外線が、気付かぬうちにじりじりと肌を焦がしていくかの如き瞬間を、直接的な言葉ではなく、見事にエンターテインメントにまで昇華させて、観客に届けていくのである。 2019年の初演に続いて、2022年に再演されたパリ公演では ──楽しませるもの、反省させるもの。知性と才能が織りなす贅沢なひととき。 (Le Journal dʼARMELLE HÉLIOT) ──社会を変えようと決意した新しい世代の力強い表現 (ZONE CRITIQUE WEB) ──彼女は男女を隔てるもの、つまり妊娠というテーマを、ユーモアと聡明さをもって作品化した。 この東京出身のアーティストは、現在と近未来の境に演劇のスタイルを設定し、想像を超えたシーンや仮説を提唱する。 (…)劇中の絶妙に計算されたズレ、そして意外な結末を通し、山田由梨はパラドクスの手法を立ち上げる。 その手法をもって山田は見事に、私たちが想像する以上に男性中心的な社会である今の日本、 その中に生きるカップルの現実を万華鏡のごとく映し出すのだ。 メラニー・ドゥルエール(フェスティバル・ドートンヌ(フランス・パリ)2022年 プログラムより) といった評が並んだ『わかろうとはおもっているけど』。(劇団ホームページより) 「生きていく上で当たり前のこと」が、この10年、いや5年ですら劇的に変わった気がする時と、5年、いや10年経ったのに何も変わらないという絶望が入り混じる2025年において、自分が一番息がしやすい「今」は、果たして何年先から俯瞰して現在を見た時なのか、それとも、どれくらい以前まで逆走して分岐点を探し当てた時なのか。 二本足で立っていることに少しだけ疲れたら、2025年版『わかろうとはおもっているけど』。 あなたが生きていたい「今」を、もしかしたら、教えてくれる。

25/10/27(月)

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