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社会を映しだす映画をわかりやすく紹介

池上 彰

ジャーナリスト、名城大学教授

プラハの春 不屈のラジオ報道

1968年、チェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分裂)の首都プラハを中心に燃え上がった民主化運動は、「プラハの春」と呼ばれました。東欧の冬は寒くて暗い。人々は暖かい春を待ち望んでいます。その待望の春がやってきた。当時、報道の自由を認めるドプチェクがチェコスロバキア共産党のトップである第一書記に就任。「人間の顔をした社会主義」を推し進めたからです。要は民主的な社会を目指したのです。人々は歓喜しました。 しかし、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)は、これを認めませんでした。民主化運動が東欧全体に広がり、ひいては社会主義体制の崩壊につながりかねないと危惧したからです。 このためソ連は東欧諸国で構成している軍事組織であるワルシャワ条約機構軍を動員。大量の戦車がチェコスロバキアに攻め込み、街を占領しました。 これに抵抗したのが国営ラジオ局の職員たちでした。当時のチェコは(東欧全体も)貧しく、テレビの所有者はごくわずか。国民の多くはラジオを聞いていました。 ラジオ局の職員は、「ソ連がチェコスロバキア国民を救出に来た」という虚偽の放送をするように要求されますが、これに抵抗。「ソ連軍が侵略して来た」と放送します。このためラジオの放送回線を切られてしまいますが、各地にある中継回線を駆使して放送を継続します。 放送を続けるラジオ局を守ろうと、非武装の市民たちがラジオ局の前に集まり、戦車の動きを止めようとしました。 結局、ラジオ局は兵士によって占領されますが、それから何日もの間、ラジオは国民のための放送を続けたのです。 やがてラジオ放送は中断。プラハの春は寒い冬に逆戻りしますが、1989年、東欧は遂に民主化されたのです。  

25/12/14(日)

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