水先案内人のおすすめ

評論家や専門家等、エンタメの目利き&ツウが
いまみるべき1本を毎日お届け!

政治からアイドルまで…切り口が独創的

中川 右介

作家、編集者

嵐が丘

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』は何度も映画になっている。なぜ、いま『嵐が丘』なのだろう。激しい愛へのノスタルジーか、新たな解釈があるのだろうか。 小説『嵐が丘』の原題は「Wuthering Heights」だが、この映画の原題は「“Wuthering Heights”」と引用符がついており、これには「原作そのままの映画化ではありませんよ」というニュアンスがこめられているそうだ。つまり脚本・監督のエメラルド・フェネルによる“嵐が丘物語”といった感じか。 原作は2つの家の3世代の物語で、複雑な構成を持つことでも知られる。これをどう脚色するかが映画化の最大のポイントだ。今作はこれまでの大半の映画化と同様に、長い物語の前半、キャサリンが亡くなるところで終わっている。原作と照合したわけではないが、重要人物の何人かがカットされているのは、すぐに分かる。「キャサリンとヒースクリフの激しい恋」に絞っている。 荒涼とした背景は完全に『嵐が丘』の世界。画面は全体に暗く、荒々しい。その暗い画面のなかで、マーゴット・ロビー演じるキャサリンは輝いている。そのコントラストが強烈だ。 とにもかくにも、キャサリンのマーゴット・ロビーが、ひたすら美しい。何着もの衣装で出てきて、ファッションショーのようですらある。これは、マーゴット・ロビーのスター映画なのだ。そして、これこそが、なぜいま『嵐が丘』なのかの問いの回答となる。つまり、マーゴット・ロビーがいるから『嵐が丘』を映画にすべきなのだ。 ヒースクリフはジェイコブ・エロルディが演じており、そのワイルドな魅力は、多分、女性なら惹かれるだろう。エロルディは『フランケンシュタイン』にも出ていたが、19世紀のゴシックロマンがよく似合う。 原作の小説では“語り手”に過ぎない印象のネリーは、よく読めば物語を動かしてもいる重要人物。この映画では、ネリーとキャサリンとの間にシスターフッドも感じさせる。 スター主義と監督主義が両立している映画だ。

26/2/24(火)

アプリで読む