「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
中村梅玉 『義経千本桜』― 歌舞伎の中の源義経
第2回
中村梅玉
“珍しく”義経が主役の演目「時鳥花有里」
『義経千本桜』といえば歌舞伎の三大名作として、歌舞伎を観たことがなくても、耳にしたことがある、という方も多いはず。平知盛やいがみの権太、狐忠信などなど個性豊かな登場人物でもおなじみの、全五段に渡る義経の物語。「四月大歌舞伎」の第二部で上演される「時鳥花有里(ほととぎすはなあるさと)」は、その『義経千本桜』の中の所作事(舞踊)。白拍子(しらびょうし:男装し今様や朗詠を歌いながら舞う遊女)、傀儡子(かいらいし:人形遣い)が、義経の進むべき道を示すまでを華やかな舞踊で見せる目にも楽しいひと幕だ。
<あらすじ>
大物浦(だいもつのうら)で平知盛の最期を見届けた源義経だが、自らも兄頼朝から追われている身。大和へと落ち延びる途中、龍田の里で白拍子や傀儡師に出会う。実は彼女たちは龍田の里の神々で......。
2016年に古い台本を基に新たに構成された一幕で、源義経を勤めたのが中村梅玉さんだ。
「前回は『義経千本桜』の通し上演の中の一幕でしたが今回は一本立てです。それも真山青果の世話物『荒川の佐吉』の後ですから、同じ作品でもまるで雰囲気が違ってくるでしょうね。食事の後のデザートのような気持で、古典の彩りを楽しんでいただけたらと思います」
舞台装置も華やかだ。義経主従が龍田の里に着くと、背景の舞台装置がゆっくりと前面に倒れ、満開の桜の中に白拍子たちが優雅に現れる。
「ほわんとした古風な雰囲気を理屈抜きで楽しんでいただきたいですし、義経もそんな気持ちで勤めたいと思います。義経の衣裳といえば鎧姿や小忌衣(おみごろも)であることが多いのですが、ここでは珍しく狩衣に烏帽子という姿です。残されている義経の肖像画にも近いのではないでしょうか」
源氏物語の「花散里(はなちるさと)」を思わせる外題といい、拵え(こしらえ:扮装)といい、須磨へと都落ちする光源氏が浮かんでくる。
「そのイメージ、確かにありますよね。追われている身として憂いは必要ですが、貴公子としての義経を前面に出したいと思います。ここでの義経は珍しく主役でもありますので」
そうなのだ。義経は歌舞伎のいろいろな演目に登場するし、『義経千本桜』ではタイトルロール。だが実際には義経は主人公ではないことの方が多い。子供の頃に歌舞伎鑑賞教室の『義経千本桜』「すし屋」を観て「いつまでたっても義経が登場しなかった」とぶつくさ文句を言った深ボリ隊員もいるとかいないとか。それはともかく。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の義経は天才的な戦上手だけど何かが壊れてしまったヤツのようだし、TVアニメ『平家物語』の義経はこの世の物とは思えない絶世の美少年だった。では歌舞伎の中の義経は? 今月の「歌舞伎深ボリ隊」は、歌舞伎界の貴公子、そして義経役者と評判の高い梅玉さんを直撃する。
Q:ドラマともアニメとも違う、歌舞伎の中の義経って? どんな気持ちで演じてますか?
── 梅玉さんは今年の大河ドラマ『頼朝殿の13人』はご覧になっていますか。
中村梅玉(以下、梅玉) 見ていますよ。菅田(将暉)君の義経、元気な義経ですよね。三谷(幸喜)さんの脚本ですから、確かにこういう人物だったのかもしれないなと思わせます。音羽屋(尾上菊五郎)が義経で、後に奥様になる富司純子さんが静御前の役で共演されたのも大河ドラマでしたよね。あのドラマも見ていました。
── 1965年の『源義経』ですね。
梅玉 音羽屋ですからルックスは良いし、二枚目の貴公子という雰囲気が大事だな、義経ってこういう人なのだな、と思いながら見ていました。
── 歌舞伎の中の義経といえば『義経千本桜』『勧進帳』『熊谷陣屋(一谷嫩軍記)』『船弁慶』に『五斗三番叟(義経腰越状)』、牛若丸なら『菊畑(鬼一法眼三略巻)』にも登場します。梅玉さんはどの義経も勤めておられますね。
梅玉 共通しているのは、頼朝の追手から逃げるために陸奥へと落ちていく義経、悲劇の武将というイメージです。狂言ごとに扮装も表現も違いますが、歌舞伎の中の義経の芯となるのはそこですね。そして源氏の御曹司であること、御大将の格ということです。
── まずは『勧進帳』の義経から。梅玉さんはこの義経では何を大切にされていますか。
梅玉 おそらく僕が初めて勤めた義経だと思います。これこそが自分の役者としての土台となる狂言であり、役です。一番難しいのは「御大将の格」だと思うんですよ。うち(中村歌右衛門家)の場合は五代目歌右衛門以来、子方というより大将という感じを出すようにと言われています。そして父(六世中村歌右衛門)は女方ですが、珍しく手取り足取り教えてくれた役でもあるんです。
── ほかの義経とはやはり違いますか。
梅玉 ほかの狂言では御大将の拵えですが、ここでは強力の姿でしょ。それで御大将の格を出さなければならない。また悲劇の武将であることを前面に出せるのも『勧進帳』の義経なんです。というのも、弁慶たち一行は義経の命を守るために非常に神経を使っている、富樫もなんとか落ち延びさせたいと思っている。ですから『勧進帳』の義経には哀れさがないといけないと思うんですよ。
── 富樫に怪しまれ、弁慶が義経を杖で打ちすえた後、義経の見せ場になりますね。
梅玉 「判官御手を」の長唄の歌詞で弁慶に手を差し出しますが、あそこが一番難しいです。それまではひたすらじっとしているし問答の最中も顔を伏せているのですが、ここでは弁慶への感謝と親愛の情を出さなければならない。アクションとしては手を差し出す、それだけですが、そこに義経のすべてが出ていなければいけないんですね。
── 義経は弁慶の方へと歩み寄りますが、梅玉さんの義経は他の方の義経よりも弁慶との距離を縮めるそうですね。
梅玉 そうなんです。義経を何度か勤めているうちに、どうしても弁慶に礼を言いたい、そんなに頭を下げないでくれよという思いをもっと大切にしたくなってきたんですね。おそらく他の方の義経はあそこまで弁慶に近寄らないような気がします。だからといってここで情を見せ過ぎると御大将の格が崩れる。そこが難しいですね。
── 「御大将の格」という言葉が何度も出てきます。わかったつもりでいましたが、実はよくわかっていないと気づきました……。
梅玉 それがね、うちの父の教えでは「品格のある役者にならなきゃできない」と言うわけです。では具体的にどうしろということだろうと。義経という役はそもそも動きが少ないでしょ。だから父も「ここをこうしなさい」と具体的には言えないんですね。でも「御大将の格が大事だ」と。いや本当にどう言えばいいでしょうかねえ、うーん。
── すみません、非常に説明しにくいところですよね。
梅玉 ひとつ言えることは、歌舞伎の役者が役を勤めるにあたり一番のポイントとなるのは「性根」なんです。そして後輩たちにもよく話すのですが、義経において役の性根とは、その人物の性格をつかむということではなく「心構え」を意味するんです。
── 性格ではなくて心構え、ですか。
梅玉 はっきり言いますと、主役をはじめ役者同士のバランスを考えて、あまり出すぎず、でも義経としての存在感を立たせるということ。もっといえばひとつの興行の中での自分の立ち位置まで考えて、その上で役をこしらえていく。
── (そ、そこまで広い意味合いが!)
梅玉 結局のところ、僕の考えではそうお答えする以外説明のしようがないんですね。また芸とはそういうものでもあると思うんです。もし梅玉は義経役者だと言っていただけるとしたら、何度も何度も勤めてそのことがわかって来て、その上で次第に義経としての品格を出せるようになったということでしょうか。まだまだ大先輩方には及びませんが。……それでもまだ読者の皆さんには、何を言っているのか意味がわからないと思われるかもしれないなあ。
演目により居方は違えど「御大将」らしさは忘れずに
── 梅玉さんは『勧進帳』では富樫も何度も勤めておられますね。
梅玉 若い頃はむしろ弁慶や富樫をやりたかった方でしたが、歌舞伎において義経は非常に重要な人物であり、この年になってもいろいろな義経を勤め続けていられるのは本当に幸せだなと思います。
── たとえば歌右衛門さんから行儀作法などしっかり躾けられたとか、普段の生活の中にも義経らしさの秘密があったりしませんか。
梅玉 うーん、どうでしょうね。父はざっくばらんな人でしたし普段は本当に天真爛漫な人でした。舞台に対する心構えについては厳しく言われましたが、普段の生活についてはあまり言われなかったですね。僕自身若い頃から「舞台に立ちたくない」と思った記憶がなくて、自分の好きな道を進ませてもらえたと思っています。義経の似合う役者になれるよう、ほんわかと、呑気に育っちゃった、ということは言えるかもしれません。
── 方で『義経千本桜』の義経はまた雰囲気が違います。
梅玉 「鳥居前」では「余計なことをするな」と弁慶を叱りますね。ここでは御大将としての叱り方が難しい。若さも必要ですし。「渡海屋(とかいや)・大物浦」では平知盛が死んでいくという悲劇性が大事です。自分の悲劇と安徳帝を護りますという側面との兼ね合いが大事なんです。そして「四の切」(川連法眼館の場)では、自らの境遇を憂えるサワリはありますが、ここもあまり悲劇性を持たせない方がいいように思います。狐忠信の哀れさが際立たなくなってはいけませんので。
── 『熊谷陣屋(くまがいじんや)』の義経は、また一段と武将らしい強さを感じますね。
梅玉 初役の時は中村屋のおじさん(十七世中村勘三郎)の熊谷で義経を演らせていただきましたし、義経を懇切丁寧に教えてもいただきました。「首実検ではあまり憂いを見せてはいけないよ、熊谷にもあまり同情してはいけない、きっぱりと、すべて御大将の格で押しきれ」と。弥陀六を止める長台詞、これは演っていて気持ちの好いところです。弥陀六には散々世話になったのだからもっと感謝してもいいのに、「満足じゃ」とどこまでも上から目線でしょ。あのお芝居で義経の一番素敵なところ、御大将らしいところですね。
── 今月の『時鳥花有里』では義経が珍しく主人公となります。テレビや映画、漫画やアニメとは違う歌舞伎ならではの義経に会えそうですね。
梅玉 初めて歌舞伎の義経をご覧になる方にとっては、もしかしたら違うイメージをお持ちかもしれないし、菅田君の方がカッコイイと思う方もいるでしょう。でもぜひ一度ご覧いただいて、歌舞伎の義経を知っていただきたいな。判官贔屓という言葉があるように、日本人の心に残っている義経像がある。だからこそ、僕はこれからも義経役者でいたいと思うんです。
取材・文:五十川晶子 写真提供:松竹
プロフィール
中村梅玉(なかむら・ばいぎょく)
1946年生まれ。六代目中村歌右衛門の養子となり、'56年1月歌舞伎座『蜘蛛の拍子舞』の福才で加賀屋福之助を名のり初舞台。67年4・5月歌舞伎座『絵本太功記』の十次郎と『吉野川』の久我之助(こがのすけ)ほかで八代目中村福助を襲名。'92年4月歌舞伎座『金閣寺』の此下東吉と『伊勢音頭』の貢で四代目中村梅玉を襲名。古典のほか、新作歌舞伎『NARUTO -ナルト-』(2019年)では「うちはマダラ」役で出演した。