「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
中村又五郎 『菅原伝授手習鑑 寺子屋』― 涎くりを演じる
第7回
ずしりと胸に響く『寺子屋』で
唯一ホッとさせてくれるガキ大将、涎くり。
親の事情で子供が犠牲となったり、身替りとして命を落としたり……。歌舞伎にはそんな狂言がいくつもある。『熊谷陣屋』の小次郎や『盛綱陣屋』の小四郎、そして歌舞伎三大名作のひとつ『菅原伝授手習鑑』のうちの一幕『寺子屋』もそうだ。哀しくやるせない展開に、何度観ても「この切なさ、いったいどうしてくれるんだ」と言いたくなる。
そんな『寺子屋』に、ひとりだけ空気をホッと和ませてくれる少年がいる。涎(よだれ)くり与太郎、通称“涎くり”だ。
<あらすじ>
芹生の里で寺子屋を営んでいる武部源蔵とその妻戸浪は、政敵の藤原時平公に狙われている菅丞相の子・菅秀才をひそかにかくまっている。しかしある時これが発覚、菅秀才の首を差し出すよう命じられる。源蔵は悩んだ末、その日寺入りしたばかりの小太郎という少年の首を身替りとして差し出すことに決める。検分に現れたのは役人の春藤玄蕃と、菅秀才の顔を見知っている松王丸。源蔵夫婦は人生最大のピンチを切り抜けられるのか。
幕が開くとのどかな田舎の寺子屋に、子供たちが机を並べて座っている。それぞれの机には硯に清書き(習字)用の半紙の束が置かれ、みな熱心に手習いの最中だ。そのまん中に、幼い子供たちに交じってひとりだけ図体の大きい少年がいる。この子が涎くり。百姓吾作の息子だ。十五にもなるのに、幼い子達に交じって「いろはにほへと」を習っている。かと思うと隙あらば清書きをサボろうとし、年下の菅秀才にたしなめられたり戸浪にお仕置きをされたり。
菅秀才以外の他の寺子たちは子役が演じるが、涎くりは大人の役者が勤めるからもうそれだけで可笑しい。時に名優やベテランが大サービスで勤めることがあり、歌舞伎でよく言われる「ごちそう役」のひとつだ。
今月この涎くりを勤めるのは中村又五郎さん。今回で四度目だ。ということで今月の深ボリ隊は『寺子屋』のムードメーカー涎くりにロックオン! さらに今月この『寺子屋』で初舞台を踏むふたりのお孫さん、中村種太郎さんと秀乃介さん(中村歌昇さんの長男と次男)への思いも語っていただいた。
Q:辛い物語の息抜きとなる涎くり。演じるうえでの秘密は?
又五郎 いや~深ボリされるような役じゃないんだけどね(笑)。
── いえいえそんなことおっしゃらず、教えていただきたいことがいろいろ湧いてきております。又五郎さんは涎くりは4度目ですね。一番初めが1977(昭和52)年、21歳のときです。
又五郎 兄(中村歌六)がその2年前に一度やっておりますので兄に教わりました。その次がたしか1986(昭和61)年で、このときは「寺入り」(千代が息子の小太郎を連れて入門にやってくる場面)からでした。この時も兄から話を聞いた記憶があります。(※今月は「寺入り」の後から始まる予定)
── 幕が開くと子供たちがずらりと机を並べて座っています。菅秀才はひとりだけ立場の違う子供ということで、他の寺子たちより一段高い二重(一段高い畳敷きの舞台)の上に座っていますね。
又五郎 これね、東京の演り方では菅秀才以外の子供たちはみな平舞台に座るのですが、関西の演り方ではみんな二重に座るんです。菅秀才も机ではなくて見台で本を読むという場合もあって、いろいろな演り方があるんです。これは座頭の松王丸役の役者次第なんです。歌舞伎って演出家がいるわけではないでしょ。なのでその役者の演り方に周りが合わせるわけです。今月はあの方があの役だからあの演り方だなと。物語の内容はほぼ変わりませんけれどね。
── 涎くりや寺子たちが清書きをしていますが、みなさん実際に墨をすっているのですか。
又五郎 涎くりの硯には墨汁が入っています。というのも涎くりだけは幕が開いて自分で「へのへのもへじ」と書きますからね。それと「寺入り」から始まる場合はもうひとり。千代と小太郎の供でやってきた下男三助の顔に、涎くりがいたずら書きをするところがあるので、そのすぐそばにいる子供の硯にも墨が入っています。それを「ちょっと貸してみ」と言って涎くりが使うんです。
── ふたりの硯は墨汁入り、と。
又五郎 後に一斉に机を片付けるところがあるのですが、この硯の机は取り扱い要注意です。
── なるほどひっくり返したりしたら大ごとになりますね。
又五郎 実際、寺子には(孫の)秀乃介と同じくらい幼い子役さんがいますのでね、涎くりが率先してしっかり片づけないと。
── 涎くりがいたずらばかりするので、戸浪がたまりかねてお仕置きをしますね。机に立たされ火のついたお線香と水を入れたお茶碗を持たされます。
又五郎 そうそう。動くと水がこぼれちゃうし線香はどんどん短くなって熱くなるし、そういうお仕置きのしかたがあったのでしょうね。
── あれは仏様に見立てているのでしょうか。
又五郎 うーん、それはどうだろう。
── あのお線香の火は途中で消える仕掛けになっているのですか。あのまま持っているとやけどしますよね。
又五郎 あそこはね、持ちながらお客様にわからない様に自分でポキポキ折って短くしていくんです。線香一本が燃え終わるには結構時間がかかるので、お芝居の進み具合に合わせていい塩梅になるように。
── たしかに調べてみるとお線香1本の燃焼時間は約19分。これは結構長いですね。それだけ経つと玄蕃と松王丸がやってきてしまいます。
又五郎 あえてスピードアップさせているわけですね。
── 「寺入り」では千代がお菓子の入ったお重を持ってきます。涎くりがそのふたを素早く開けて一つ掴んで口に入れちゃいますが、あそこもほんとにガキ大将らしくて可笑しいです。
又五郎 あそこで頬張るのは本物のおまんじゅうなんですよ。なので涎くりを演るときは一か月に20個以上おまんじゅうを頬張っていることになります(笑)。ちなみにお重に並んでいるのは本物が一個だけ、後は作り物なんです。
父親・百姓吾作(坂東彌十郎)との引っ込みにもぜひ注目!!
── さて源蔵が帰宅して、いよいよ松王丸と春藤玄蕃がやって来て、寺子改めになります。親たちが子供を迎えにやってきますが、涎くりの父親の吾作が名前を呼ぶと、涎くりは「じゃじゃじゃじゃ~」と叫んで裏から出てきますね。
又五郎 裏で芝居ごっこに興じていたというところでしょうね。鎧に見立てて手習帳をいくつもつなげて体にかけ、箒を薙刀に見立てて持ち上げて出てきます。
── ちなみに涎くりは裏で何のお芝居をしていたのでしょうね。…ひょっとして『大物浦』(『義経千本桜』)の碇知盛ということはありえますか。
又五郎 いや~どうだろう。それはちょっと深ボリし過ぎです(笑)。
── すみません、想像がついつい暴走してしまいました。さすがの涎くりも玄蕃の前では一瞬にしておとなしくなるのが可笑しいですね。
又五郎 あそこで玄蕃は足をポンと出して一人ひとりを足止めしているわけです。松王丸はその都度その子の顔を見て「菅秀才ではない」と首を横に振る。でも涎くりの場合は玄蕃にすら明らかに菅秀才ではないと分かるんでしょうね。思わず扇子でペシャンと頭を叩くんですよ。この“寺子改め”(編注:寺子の顔を一人ひとり検分すること)では、最初のうちはテンポを義太夫に合わせます。特に色白の子供が出てくるとこれは菅秀才ではないかと入念に確認しますね。でもすべての子供に同じ調子でやるとお芝居が義太夫に収まらないので、後半はスピードアップして寺子をどんどん通していきます。
── まさに無事に関所を通過できた涎くりは、泣きじゃくってお父さんに思いきり甘えます。実はかなりの甘えん坊。他の子達は泣いていないのに。
又五郎 「抱っこしないと帰らない!」とダダこねて洟かんでもらってね。お父さんは「今月歌舞伎座に連れて行ってやるから」とかなんとか喜ばせて泣き止ませます。よく出てくるパターンですね(笑)。そしてお父さんの背中におんぶ……と思ったらぴょんとその背中を跳び箱のように跳び越えて、逆にお父さんをおんぶして花道を引っ込んでいくわけです。ですが、今回はそのお父さんを(坂東)彌十郎さんが演るわけですよ。
── 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の北条時政役もされている彌十郎さんですね。おふたりは同級生でもあるのですよね。
又五郎 稽古してみないと分からないけれど、彼でかいし、ちょっとおんぶは無理かな(笑)。どうやって引っ込むか鋭意検討中です。ふたりで並んで歩いて引っ込むこともありかと。
── あの場面、どうなるのか楽しみです。
又五郎 いやいや、このお芝居、あそこにそんなにウエイト置いちゃだめだめ(笑)。
── この重厚な一幕の中で、考えてみたら涎くりだけが笑いを誘う場面を担っているんですね。
又五郎 おしまいまでずっと重いですからね。やはり涎くりの場面くらいはお客様にホッと息をついて楽になってもらいたいというのが作者の狙いじゃないでしょうか。涎くりの場面がなくなっても本筋に影響はありませんから。
── 同じ寺子屋の子供でも小太郎は大人の事情に巻き込まれてしまいます。でも涎くりはある意味子供らしい子供というか、子供本来の言動をしていて、ちょっと小太郎と対比になっているように感じました。
又五郎 いいですね、対比というのはいい視点かもしれない。たしかに小太郎は自分で菅秀才の身替りになるという事情を分かってやってくるわけだし、菅秀才に至っては姿は子供とはいえもう別格です。それに対して涎くりはいたずらするし叩かれたら思いきり泣くし。
── 菅秀才や小太郎は初お目見得や初舞台の役になることがありますが、他の寺子は子役さんが演じます。でも涎くりだけは大人の役者さんが演じるのも面白いですね。
又五郎 あの役は子役が演じるとちょっと生々しくなってしまうので、大人の役者が演るほうがいいんですね。まあ66歳が演るのも珍しいですけれど(笑)。
相対する方の息や間など、すべてを感じ取って芝居する
── 今までに3度勤めていらっしゃいますが、大失敗ってありますか。
又五郎 ありますよ。昭和61年歌舞伎座で「寺入り」から始まるときに、私、とちりました。
── え!
又五郎 当時、お正月の初日だけは昼夜通しで入れ替えなしでご覧になれる仕組みでした。それで狂言立てに昼夜で少し変更があったんですが、それを忘れていまして。携帯電話なんてないですから家に電話で連絡が来て「もうすぐ始まりますよ?」と。偉いおじさん方が大勢出ていらっしゃって。
── 松王丸が(十三世片岡)仁左衛門さん、源蔵が(十七世市村)羽左衛門さん、戸浪が(四世中村)雀右衛門さんに千代が(七世尾上)梅幸さん…豪華な顔ぶれです。
又五郎 そうなんです。映像なら「ちょっと遅れています」といって待ってもらうことも可能ですが、舞台はそうはいかないですからね。その場に偶然居合わせた、出演者ではないある役者さんが「寺入り」に出られたことがあったので急遽替わっていただきました。舞台役者は支度して舞台に出た瞬間に仕事が半分以上終わったようなものとおっしゃる方もいます。とにかくその時間、そこにいなくちゃいけないですからね。
── 又五郎さんは9歳のときに国立劇場で小太郎をなさっていますね。
又五郎 子役としてすでに歌舞伎座には何度か出ていましたが、国立劇場はまだ出来て間もない頃で、とにかく広いなあと子供心に驚きました。舞台も楽屋も廊下も広くて、衣裳を着てすれ違っても大丈夫でしたから。
── 平成23年の新橋演舞場での又五郎襲名披露では源蔵を勤められました。どんなひと月でしたか。
又五郎 とにかく教えていただいたことを一つひとつ着実に演じていく、それしかないという日々でした。毎日芝居が終わると(二世中村吉右衛門さんに)「あそこはこうだったよ、あそこは言い方が違うよ」とご注意いただき、それをまたあくる日に直して勤める、そういう毎日でした。
── 松王丸と源蔵の気迫のぶつかり合いが凄まじくて、鳥肌が立ったことを思い出します。
又五郎 松王との間合いは難しいですね。息の詰め具合をいかに合わせていくかが本当に大事で。『寺子屋』に限りませんが先輩方と同じ舞台に出していただく以上、相対する方のすべてを感じ取って芝居していくことが大事だと思います。
── そして今月はお孫さんの種太郎さんと秀乃介さん、ふたりそろっての初舞台です。種太郎さんが菅秀才、秀乃介さんが小太郎を勤めます。
又五郎 ふたりの初舞台ということで、無理を言って僕も出していただいたようなものです。
── おふたりともお爺様が同じ舞台にいらしたら心強いのでは。
又五郎 どうでしょうね。知った顔が近くにいない方が案外しっかりするものかもしれません。子供のことなので今日は元気かと思ったら翌日急に熱を出すなんてこともありますしね。今はとにかくふたりとも無事に1ヵ月間勤めてくれること、それが第一だと思っています。
【最新舞台写真】
取材・文:五十川晶子 撮影(インタビュー写真):源賀津己
プロフィール
中村又五郎(なかむら・またごろう)
1956年4月26日生まれ。二世中村歌昇(四世中村歌六)の次男。祖父は三世中村時蔵。兄は中村歌六、いとこに中村時蔵、中村錦之助、中村獅童がいる。’64年7月歌舞伎座『偲草姿錦繪』の『忠臣蔵』八段目の奴ほかで中村光輝を名のり初舞台。同年6月歌舞伎座『船弁慶』の静御前・知盛の霊などで三代目中村歌昇を襲名。2011年9月新橋演舞場『菅原伝授手習鑑』寺子屋の武部源蔵、『菅原伝授手習鑑』車引の梅王丸などで三代目中村又五郎を襲名。
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