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「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集

中村梅花 『盲長屋梅加賀鳶』世話物の、江戸前の空気を舞台にのせる

第8回

舞台にも舞台裏にも漂う江戸前の空気。
深刻な場面でも「サラッとやるのが江戸の芝居なんです」

今月の歌舞伎座「芸術祭十月大歌舞伎」第三部『盲長屋梅加賀鳶』の主人公は、竹垣道玄というしがない按摩。江戸は本郷から小石川へと下る菊坂下の吹けば飛ぶような貧乏長屋に出入りしながら、人殺しや強請たかりを働いている。『弁天娘女男白浪』や『三人吉三廓初買』でおなじみ、河竹黙阿弥による世話狂言だ。

<あらすじ>

日の暮れたお茶の水の土手際へ、青梅の宿から江戸へやってきた百姓の太次右衛門。急に腰が痛み苦しんでいると、按摩の竹垣道玄が通りがかり介抱する。だが道玄は太次右衛門が懐に大金を持っていると知り、その金を奪って殺してしまう。そこへ日蔭町の松蔵がやってきてその死骸に気づく。暗闇の中、道玄はそうとも知らず立去ってしまうが、後日この件が松蔵によって露見してしまい……。

「お茶の水土手際の場」にひきつづき「菊坂盲長屋の場」の幕が開くと、ぼんやりと薄暗い中、盲目の按摩達や瞽女がうろうろと集まって他愛もない話をしている。ほんの2~3分のともすれば見過ごしてしまいそうな場だが、当時の人々の暮らしぶりが覗き、もっといえば吹き溜まりの淀んだ空気までもが漂ってくるようだ。華やかでもなんでもない場面なのになぜか妙に惹きつけられてしまう。薄暗く湿った長屋の、どこかに誰が潜んでいるような、何かが蠢いているような、ザワッと肌の粟立つ雰囲気に。そういえば同じ黙阿弥の『三人吉三』「伝吉内」の幕開きで、夜鷹三人が三人吉三をマネしてみせる場がある。ここも可笑しいのと同時に毎度「ザワッ」とするのを思い出す。

この「ザワッ」こそ歌舞伎の醍醐味。きっとこれも役者の芸のなせる技に違いない! ということで今回の深ボリ隊は、道玄女房おせつを勤める中村梅花さんにご登場願った。先代の七世中村芝翫に師事し、今や成駒屋だけではなく時代物から世話物まで舞台を引き締めるベテランの女方で、おせつ以外にも『加賀鳶』ではさまざまな役を勤めてきた梅花さん。どこをどう切り取っても江戸の庶民の生々しいあり様が覗く黙阿弥もの。この世界で息づく面白さ、難しさを語っていただいた。

Q:世話物にある、生々しい江戸前の空気を纏った役の演じ方は?

H28.11歌舞伎座『加賀鳶』より、梅花さん演じる道玄女房おせつ 写真提供:松竹(株)

── お茶の水土手の殺し場から一転、「菊坂盲長屋の場」は按摩の夫婦者や瞽女がたむろしているところから始まります。

中村梅花(以下、梅花) あそこは典型的な客鎮めの場面なのですが、コロナ禍で客席は逆にずっと静まっていますよね。

── たしかに最近は幕の内側の物音が客席からもよく聴こえます。

梅花 コロナ禍以前はお客様も幕間はおしゃべりされていましたし、幕の中では僕らも、特に世話物のときなどわいわいやっていたものです。僕は瞽女お鈴もやっていますが、舞台に出てくる前から按摩仲間とおしゃべりしていて、その雰囲気のまま出て、引っ込んだ後も楽屋の廊下でわいわいやって。これが楽しくてね。その後に他に用がなければ帰れるので、こんないい商売ないなと思うこともありました(笑)。ただね、ドリフのコントにならないようにしないといけない。いつだったか(故柳家)小三治師匠とお話できる機会がありまして、「与太郎って難しいんだよね。若い奴ら、与太郎を志村けんでやりゃあがる」と。この「菊坂盲長屋の場」の幕開きもそれじゃダメなんです。

── 道玄女房のおせつを勤められるのは2度目ですね。道玄には邪険にされっぱなしで気の毒過ぎです。

梅花 おせつはまじめでいい人なんですが、それで損している人ですね。道玄は女按摩のお兼と出来ていて、おせつはふたりからDVを受けているわけですが、ただそこは愚痴愚痴言っていないでサラッとやるのが江戸の芝居、江戸の粋だと思います。

── たしかにかなり酷いふたりですが、お芝居としてはあまりそこを深追いしないですよね。

梅花 当時世間では面倒くさい人って目立ってしまうから攻撃されがちで、不満があってもサラッと流すのが生き抜くすべだったのかもしれません。江戸の人の気風といいますかね。私も割とそういう気風がある方だと思っています。横浜生まれですけれど。

── (面倒くさいと思われると狙われやすいって、何だか今の世でもありそうな……)

梅花 例えば上方の芝居なら、もしかしたら苛められている女の事件としてそこを展開させていくかもしれない。でも黙阿弥の世話狂言には、「面白いアイデアならとりあえずポンポンと伏線として放り込んでおこう」という感じがするんです。(鶴屋)南北ならそこをもっとナンセンスに持っていくのでしょうね。状況設定されている場の扉を開けて自分がふっと入っていく、そんな感じで演れると世話物って面白くなるんじゃないでしょうか。このおせつだって、次の場面になるともう忘れられているくらいがちょうどいい。でもそこが難しいですね……あれ? なんで私、こんなに面倒くさくしゃべってるんだろう(笑)。

── いえいえ全然面倒くさくないです。興味深く伺っていました。でもやはり演じる側の皆さんにとっては黙阿弥の世話物ならではの難しさがあるのですね。

梅花 この場ではこうする、あの場ではこうするという一つひとつの演技のことじゃなくて、江戸前の空気。それが一番難しいです。若い頃は特に難しかったですね。亡くなった菊五郎劇団の先輩方は「そうかい? 俺たちにとっては日常だから」と。実際今とは若干違う空気が舞台にも舞台裏や楽屋にもありました。師匠(七世中村芝翫)も若い頃六代目の菊五郎劇団で修行なさった方ですから、私が世話の芝居するときにもいろいろ教えてくださったことが本当にありがたいです。

── 世話物の世界が特別なものではなく、日常の延長線上にあったのですね。

梅花 それでも私の親の時代には芸者衆などもまだ身近にいたんだなぁと思うと、私などはまだまだ良い時代に役者の修行を始められたのだなと思います。

手ぬぐいが役を助けてくれる

── おせつは盲目ですが、実際にはどの程度目をつぶっているのですか。

梅花 一度真剣に目をつぶってやってしまって、道具にぶつかったことがあるんです。馬鹿ですねぇ(笑)。今は薄目を開けていますがそれでもお客さんは全く見えないですね。なので感覚がいつもとはずいぶん違います。顔の向け方も見えている人の芝居とは違ってきます。

── 顔の色はどのくらいの色味にするのですか。

梅花 おせつはほとんどすっぴんに近いです。あまり塗らない。もうね顔のシミも生かしちゃう(笑)。これが時代物の奥方ならしっかりと塗りますが、世話物の、それも長屋住まいですからできるだけ自然な感じで。髪の色も真っ黒じゃないんですよ。油っ気がなくて色褪せている感じにしています。着物の汚れたり薄れたりしているところはあえてそのまま。てかっているところは粉をはたきます。衣裳さんにも「アイロンかけなくていいよ、いっそぐるぐる巻きにしておいて」って言いますね。

── 同じ長屋の場の口入婆のおつめも一度なさっています。出てきた瞬間に「うわ、何だか抜け目のなさそうな人」と。

梅花 お朝を一目で「ああ、こりゃいい玉だね」って値踏みするんですが、あそこは何も考えないでしていました。人買いなんて当たり前の世界の人なんですよね。

── おつめは襟に何か白いものを巻いていますが、あれは手ぬぐいですか。

梅花 襟が汚れないように巻いているんです。江戸の世話物では手ぬぐいは非常に大事で、僕も相当凝っていますよ。

── 手ぬぐいに凝る、といいますと。

梅花 長屋で使うような手ぬぐいですから、色がいい具合に落ちて使用感が出ているものがいいんですね。以前先輩が白い手ぬぐいにいろいろ加工を施したのを持っているのを見て、「あれいい色だなあ」と。それから自分でもやるようになりました。手洗いしてベランダに一年くらい干しっぱなしにするんです。やり始めると面白くなっちゃってね。弟弟子の(中村)芝のぶさんから「何かちょうどいい感じのあります?」って聞かれたので、「あるよ、使って使って」って提供したり。でもだんだん気に入ったもの、同じものばかり使うようになりますね。どこからかいただいた手ぬぐいの中に「これ使えそうだな、ちょうどいいなあ」と思って端っこを見ると電話番号が入っていて、そこだけ切ったり(笑)。

── たしかに舞台で役者さんが使う手ぬぐいにはつい目がいってしまいます。

梅花 自分で手を入れた手ぬぐいで、役も助かる、自分をごまかす(笑)、自分の力にしてしまう。そんなところがありますね。

── 先輩方からはそういうディテールも見て盗んでマネしていくものなのですね。

梅花 そうなんです。女按摩のお兼といえば尾上多賀之丞さん、中村芝鶴さん、面白かったなあ。ちょっとへちゃっとした感じで、どちらも変な色気があって。ああいうのが出せるようになったら一級品ですね。いや、僕にはきっとできないな。

── いやいやいや!

梅花 いやいやいや(笑)。

『加賀鳶』の思い出

── 『加賀鳶』といえば「本郷通町木戸前の場」通称「勢揃い」では、粋でいなせな大勢の加賀鳶が花道にずらりと並んでひとりずつ名乗りを上げる場面から始まることが多いです。今月は上演されないので残念なのですが。

梅花 歌舞伎って人数を大勢出してお客さんを驚かすことが多いですが、あそこはかっこいいですよね。揃いの鉞髷に皮半纏の拵えで、自分たちは他の鳶とは違うぞと。僕も若い頃、鳶のひとりで出たことあります。下っ端ですからあの勢揃いのおしまいの方に並ぶんです。花道には当然並びきれませんからね。僕らの列は揚幕の中まで延びてさらに折り返して、実際には奈落のあたりにいるんですよ。あそこから「いやーーーーっ」という掛け声をかけています。ときどき「こんなの、いや~~~~」とか冗談で言ったりね(笑)。

── 大詰の加賀侯屋敷の赤門前での世話だんまりにも捕手で出られたことがありますね。(編注:「だんまり」は暗闇のなかで複数人が探り合いの立廻りをする場面を様式化したもの。ストーリーの一場面として演じられるものを「世話だんまり」と呼ぶ)

梅花 あの立廻りには若い頃に二度出さしていただいています。道玄を紀尾井町の旦那(二世尾上松緑)がなさったときと、中村屋の旦那(十七世中村勘三郎)のときと。僕、体が身軽だったのもあって、菊五郎劇団のみなさんや中村屋一門のベテラン勢にまじって、ひとりだけ新米が出してもらったんです。「神妙にしやがれ!」と言うのが楽しかったな(笑)。

── 暗がりの中で道玄と捕手たちがゆっくりと可笑しみのある立廻りをします。

梅花 道玄が四つん這いになって、その上を捕手が蛙飛びで前転するところがあるのですが、紀尾井町の旦那は「お前どうせできないだろう」と、ホッとかフッとか声かけて間を作ってくださるんです。逆に中村屋の旦那は「自分で間を考えろ」と。ドキドキしましたがそれぞれ勉強になりました。千穐楽では中村屋の旦那、客席に降りちゃって逃げ回ってね。他の捕手も皆さんベテランですから、それに合わせて飛び降りて客席を走り回りました。新人の僕だけ訳も分からず舞台で「あれ、俺だけ?」ってボケーッとつっ立っていました(笑)。

── 今月は初役で道玄を勤める中村芝翫さんと夫婦の役ですね。

梅花 僕が入門した時に舞台の構造から名称から全部教えてくれたのが幸二坊ちゃんだった現在の八代目中村芝翫でした。子供のころからの芝居小僧で、加賀鳶も大好きでね。紀尾井町や中村屋のはもちろん、まあほんとにいろいろな舞台をたくさんご覧になっています。私の梅花襲名でもいろいろお世話になりました。思い出せば師匠から「後で家に来い」と言われるのはだいたいが叱られるときで(笑)、神谷町の坂を上っていくときはいつも「今度は何をやってしまったかな」と思ったものです。その旦那が亡くなって、若旦那が俊寛をなさるときに私も(平判官)康頼に出させていただきましたが、あれはホントにうれしかったですね。「旦那、見てますか?」といつも思っていました。昨年の歌舞伎座の『らくだ』でも、糊売婆で若旦那と一緒に出られて楽しかったですね。

── 先代の芝翫さんに仕込まれた世話の芸、そしておふたりのやりとりが楽しみです。

若旦那の子供のころからずっと一緒に成駒屋の芝居の中で育ってきたので、時代物、世話物を含め、芸の根本といいますか、学んだことのベースは同じだと僕は勝手にそう思っています。そして舞台はテレビや映画と違ってお客様と直接同じ空間にいますから、とにかくお客様をこちらの世界に、このお芝居の空気の中に誘い込むのが僕らの使命だろうと思っています。

★最新舞台写真到着!

『盲長屋梅加賀鳶』左より、お朝=市川男寅、道玄女房おせつ=中村梅花、竹垣道玄=中村芝翫 写真提供:松竹(株)
「芸術祭十月大歌舞伎」チラシ

取材・文:五十川晶子 撮影(インタビュー写真):源賀津己

プロフィール

中村梅花(なかむら・ばいか)

1950年生まれ。’74年国立劇場第2期歌舞伎俳優研修修了。4月国立劇場『妹背山婦女庭訓』の腰元ほかで山崎隆の名で初舞台。’75年4月七代目中村芝翫に入門し、二代目中村芝喜松を名のる。’91年4月歌舞伎座『野崎村』下女およしほかで名題昇進。2016年10月歌舞伎座『女暫』の局唐糸ほかで四代目中村梅花を襲名。

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