「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
中村鷹之資 『船弁慶』― 静と知盛 「柔」と「剛」の踊り分け
第12回

「父が愛した『船弁慶』に挑みます」
静御前に平知盛といえば源義経の人生を彩る最重要キャラクター。『義経千本桜』でもおなじみのふたりだ。上演中の「二月大歌舞伎」第二部の『船弁慶』は、松羽目物(編注:能、狂言の演目を歌舞伎に移した作品。能舞台を模した松羽目の舞台を使って上演される)の所作事の中でも大曲中の大曲。外題には「弁慶」とあるが、実際にはこの静、そして知盛(の霊)が主人公だ。前半は静が都での日々を艶やかに舞い、後半では知盛が亡霊を装う……のではなくまさに亡霊そのものとなって大物浦の海上に姿を現す。
<あらすじ>
都を追われ九州を目指す源義経と武蔵坊弁慶ら一行。大物浦で愛妾の静御前を都へ返すこととなり、静は哀しみを込めて舞う。舟長らが一行を乗せて舟を漕ぎ出すと、壇ノ浦の戦いで破れ、海の底へ沈んだはずの平知盛の亡霊が現れ……。
五世中村富十郎が一生をかけて研究し踊り抜いた『船弁慶』。その十三回忌の追善として、長男で弱冠23歳の中村鷹之資さんが『船弁慶』の静御前、そして平知盛の霊を勤める。実は鷹之資さんは’22年夏、自身の勉強会「翔之會」で初めて『船弁慶』を勤めている。
「わずか半年後に歌舞伎座で勤めさせていただけることになるとは。僕が一番驚いています」とほころぶ顔に富十郎さんの面影が重なる。気持ちの好いキレッキレの踊りはもちろんお父さん譲りだ。
今月の深ボリ隊はこの『船弁慶』の静と知盛の霊をロックオン。片や柔、片や剛の人物をどうやって踊り分けるのか。鷹之資さんにその難しさと醍醐味について、富十郎さんの思い出も併せて熱く語っていただいた。
Q. 別れを惜しむ静と、知盛の凄まじい怨念
「柔」と「剛」の踊り分けの難しさ、醍醐味は?

── 半年前のご自身の勉強会「翔之會」で踊られています。
鷹之資 まさか歌舞伎座の本興行で、それも父の追善で勤めさせていただけるなんて思ってもみませんでした。勉強会で挑戦したからといって、すぐに本興行で勤めさせていただけるわけではありませんから。ありがたい機会をいただけたのですから、教えていただいたことを大切に一生懸命勤めたいと思います。昨年の「翔之會」では二日間で二度させていただきましたが、今回一か月を通して踊れるので、学ぶこと、感じることがとても多いだろうなと思っています。
── 初めに素朴な疑問ですが、この『船弁慶』は同じ松羽目物でも、前シテ(編注:前半の主役)の静が後に姿を変えて知盛になる、という構図ではないですよね。
鷹之資 はい、これはひとりの踊り手がふたりの違う人物を踊り分けるのが眼目ですね。
── ではまず、出から。舞台下手の五色の御幕が上がり静の出となります。花道の揚幕から出るのとは気分が違いますか。
鷹之資 前回はこの出がまず難しかったです。(藤間)勘十郎先生からは「隠しても隠しきれない静の魅力がフワーッと漂ってくるような出でなければいけない」と。他のお役でも出は大事ですが、この静は本当に出ですべての印象が決まってしまいます。父の映像を見ると、御幕をグ――ッとゆっくり上げてもらっているんです。ふつう御幕はスッと素早く上げることが多いのですが。これは父が工夫したことのひとつでした。
── 静のこしらえも能がかりのものですね。脚にかけてギュッと狭まっていて姿が美しいのですが、動かしにくくないのかなと。

鷹之資 壺折と呼ばれる衣裳を着けます。お能から来ている作品ですから着付け方にもお能の要素が詰まっています。前回は片山九郎右衛門先生に着けていただきました。この着付け方は慣れるまでは大変ですが、イメージで言うと矯正ギブスといいますか、体が自然にきれいな形になるんです。そしてとても楽でした。動いても崩れませんし。先生は僕の稽古を見てくださって、僕が動く様子を見て、それに合わせて着付けてくださったそうです。お能の方々は互いに装束を着け合いますが、改めて能の方々の技術のすごさを感じました。父が最後に自主公演の「矢車会」で『勧進帳』の弁慶を勤めたときは亡くなられた(片山)幽雪先生が着付けてくださって、父も「本当に楽だ」と言っていました。
── 鷹之資さんが義経をされていたときですね。
鷹之資 そうですそうです。
── 顔のしかたはいかがですか。特に眉が独特ですよね。
鷹之資 これも能の面から移した顔ですね。抑えた表現ですが見ている人によって表情が変わって見えます。父も眉の形をいろいろと変えていました。ポーッと丸くぼかして描いていたり、晩年は紅を入れてすっときれいに描いたり。どういう静を作りたいかにもよるのでしょうね。僕も前回はやや能面寄りに描きました。今回は一か月間勤めさせていただけるので、あれこれ試行錯誤して今の僕に合う静の顔を見つけたいです。
限られた動きで静の心の動きを伝える
── そして義経と別れの盃を交わす場面になりますが、悲しみの中にもピーンと張りつめた空気が……。
鷹之資 ここはもうね、ずっと気が抜けないんです。見た目の動きは少ないのですが、静の心はものすごく動いてるんです。義経についていきたいのに追い返されようとしているわけですから。目線の一つひとつ、非常に限られた動きの中でどれだけそれが出せるか。お客様に伝えることができるか。本当に難しかったです。
── 動かせる部分が少ないからこそ、わずかな動きで観る人の想像力をかきたてるのですね。
鷹之資 中啓を胸元にしまうところも雑に見えてはいけません、盃をいただいて義経と一度視線を交わすのですが、それがどう見えるか。今回一か月間勤めてみたら、さらに新たな感情が生まれてくるかもしれません。
── さあいよいよ静が舞い、踊ります。義経から金の烏帽子を受け取りますが、ここで静の舞のプロフェッショナルとしてのスイッチが入るわけですね。
鷹之資 実は前回はそこがいっぱいいっぱいでした。誰もがハッと振り向くような当代一の白拍子で、ましてや神泉苑で雨乞いの舞を奉納したという伝説があるくらいの人です。今回はそこをもっと意識して踊りたいですね。父も静を踊るときにはよく「万物に感謝して」と言っていたんです。今思えばそういうことだったのかなと。
── 義経だけではなく、もはや天をも動かすと。
鷹之資 そういう存在だったと思うんですよね。何かを持っている人。だからこそ義経の目にもとまったし、鎌倉ではあの北条政子の心を動かしたのかな。
── そして「都名所」と呼ばれるくだりになります。客席はもちろん、舞台の上の皆さんも心の中で「待ってました!」と声をかけたくなるところでしょうね。
鷹之資 静は義経と過ごした日々を思い出し、春夏秋冬の都の風情を踊ります。「春のあけぼの~」から始まりますが、父は晩年「あそこが一番大事」だと言っていました。あそこで春がパーッと明けなければいけないと。観ている人が季節の移り変わりの情景を思い浮かべられるように踊り、その中でふと義経への想いをにじませる。それが一番大事ですね。父の映像を見ていると踊るたびに少しずつ表現を変えていたのがわかります。

── 頭、肩、腰、そして中啓を持つ手……それらのバランスが本当に美しくて、見ていて気持ちがいいんです。いったいどうしたらあんなふうに足を運べるのかと。衣裳の中の足腰はいったいどうなっているのでしょう。
鷹之資 僕は小さい頃から幽雪先生からお仕舞を教えていただいており、今も九郎右衛門先生に習っています。その経験がここでは生かせるのではないかと思っています。幽雪先生には足の出し方について何度も言われました。地に足が吸い付いているように歩けているか。一足一足を出すことに心血注いでいるか。壺折から見える足先の部分はほんのわずかですが、逆に余計にお客様の意識もそこにいくので、とにかくきれいでなければいけないと。日本舞踊とはまた違った難しさを感じました。
── 烏帽子も全然ぶれません。
鷹之資 これ、着けるのがまず大変なんですよ。父の頭をやってくださった床山さんが、「ほんっとに天王寺屋さんはここをこうしろとうるさかったねえ。何回やってもそのたびそのたび工夫してたね」とおっしゃるんです。たとえば烏帽子を乗せたときの鬢のここの髪はこう入れ込んで……という、ものすごく細かい注文にも応えてくださったようです。もう職人技ですね。その方に僕も頭をしていただけたのも、勉強会を開いたことで得られた財産だと思いました。お役に挑戦させていただくことそのものはもちろんですが、支えてくださる皆さまの経験と工夫を知ることができました。
── 勉強会の成果が意外なところにもあったのですね。

鷹之資 これはやってみないとわからないことでした。たとえ何かの文献に残っていても、実際にどういうことかはやってみないと分からないことだったなと。これまでも何度も勉強会で大役に挑戦させていただきましたが、本当に、これは思いがけない財産になりました。
── 踊り終えた静は烏帽子をふっと落とします。これがもう絶妙のタイミングで。
鷹之資 あそこも難しいです。僕もどうやったら父のようにちょうどいいところできれいに落とせるのか知りたいです。その床山さんに、「だんなの場合はね、こうやってきれいに落ちるんだけどね」と言われました(笑)。本当に難しいんです。
── 鬘帯は富十郎さんが使っていらしたものだとか。
鷹之資 そうです。父の使った道具や衣裳を手にすると、父に見守ってもらっているような気がしますね。静の衣裳も基本的に父が晩年に使っていたものです。近くで見ると色褪せて、かなりくたびれていてあちこち脆くなっていました。でも舞台に上がって照明が当たると、不思議ときれいに映るんです。衣裳さんが「この寸法は 鷹之資さんにしか着られないですよ」と。体つきが似ているのですね。
静と知盛、義経への思いの強さは共通している
── そして舟長たちによる間狂言があります。この間に衣裳を替え、知盛の顔をするのですね。
鷹之資 この早ごしらえ、結構大変なんですよ。知盛の衣裳を着けるのに案外時間がかかるので。父も大変だと言っていたらしいです。
── そして後ジテの知盛の霊が、勇壮な早笛の合方で出てきます。悪霊を思わせる青い隈を取っていますね。
鷹之資 これ、隈がきれいに描ければいいかというとそうでもなくて、多少粗くても勢いある方がかっこいい場合もあるんですね。父の映像を見てもその都度違っていました。父が敬愛していた六代目(尾上菊五郎)さんも隈取や髭などいろいろ工夫されていたようです。
── 怨念の凄まじさが伝わってくるこしらえですよね。
鷹之資 その凄みがまだまだ僕には大変ですが、今回どこまで出せるかどうか。
── 知盛の霊は花道を出て七三で止まり、またすごい勢いで一度揚幕の方へ数歩戻ります。あそこで足元を全然見ていませんよね。怖くないですか。

鷹之資 九郎右衛門先生からは「常に本舞台にいる義経を意識していなきゃいけない、見ていなきゃいけない」と言われました。平家を滅ぼした義経への怨みたるや凄まじいものがあるのだと。考えてみると義経への思いの強さという点で静と知盛は共通していますね。静は愛情、知盛は怨みですが。
── 七三で、銀鍬形をつけた黒頭の髪をつかんで義経を見込む姿が印象的です。
鷹之資 他の獅子物でもあのように鬘をつかむところがありますね。「義経、貴様を今度こそ滅ぼしてやる」くらいの気持ちを強調しているのかなと思います。
── 本舞台に来てからは、長刀を激しく振り回しながら何度も義経に向かっていきます。
鷹之資 今回の公演では前回の「翔之會」同様、長刀は父が使っていたものを使わせていただきます。父の魂が宿っているような気がしますし、実際に白粉の跡が残っているんです。この長刀がまた特別に長いんですよ。ふつう自分の背に合わせて誂えるものなのに、父より背の高い方でもこの長さのものを使う方はそういないのではないかな。前回は稽古が大変でした。下手すると天井を突いてしまうので(笑)。歌舞伎座の一番広い稽古場でもギリギリ。

── その分、本舞台では映えるのでしょうね。
鷹之資 これも父の工夫なんでしょうね。父は背は高くないのに不思議と「大きく見える」と皆さんおっしゃる。父の芸の力なのか。父が大きさを出そうとした工夫なのか。六代目さんの工夫でもあったのかな。早稲田のエンパク(演劇博物館)に六代目さんの長刀が保存されているそうなので、僕も拝見しようと思っています。
── 弁慶の強力な折伏によってついに断末魔を迎えますが、この苦しむ知盛がまたカッコいいんです。
鷹之資 知盛の凄まじい怨念に対して弁慶もすごい勢いで向かってくるわけですよ。勉強会では(尾上)松緑のお兄さんが弁慶で、もう気迫がものすごかったです。昔ある方の舞踊会で父が弁慶を勤めたときも、知盛を数珠で殴りつけんばかりの勢いでやっていましたね。
── 知盛のあの何度も義経に向かっていく姿に、想像を絶する執念、怨みを感じます。
鷹之資 それだけ執着があるんですよね。知盛自身は栄華を極め武芸に優れた人というだけでなく、勇敢で実直、まっすぐな方だったのではないかと僕は思っているんです。だからこそ平家が滅ぼされてからの変貌がすごい。ふだんはとても優しく良くできた人に限って、大きな悲しみを抱えた時にがらりと変わってしまい、その落差もひときわ大きいじゃないですか。
── 確かにそうですね。ついに知盛の霊も力尽き、本舞台の幕が引かれ、幕外の引っ込みになります。太鼓付きの引っ込みは六代目の工夫だとか。
鷹之資 初めの頃は幕外の引っ込みがなかったんです。六代目さんが思いきり歌舞伎らしく幕外の引っ込みを付けて太鼓と笛を入れ、そこからさらに人気の作品になったそうです。父が知盛を勤めるときに太鼓方の(三世)堅田喜三久先生がおっしゃったそうです。「ここの太鼓を、亡霊だからと弱く打つ方もいるが僕は違う。壇ノ浦の渦潮を実際にこの目で見た時、ここから浮かび上がってくる亡霊が弱々しいはずがないと思った。だから太鼓をうち破るような気合で打ちますよ」と。
── 苦しみ、あがき、息絶え絶えになっている知盛の霊の叫び声のようにも聞こえます。あそこで知盛は一瞬、幽霊手のようなしぐさをしますね。
鷹之資 あくまで亡霊なので、皆さまその工夫をどこかに入れますね。海上に漂う亡霊ですから陰の気迫がなきゃいけないとも。僕もまだよくわかっていないのですが。
── 海上に漂って、ゆらりゆらりと揺れている感じでしょうか。
鷹之資 稽古ではそう教わりました。でも、うーん、実際にやってみるととても難しかったですね。まだ僕の技量が足りないということです、はい(笑)。
一生をかけて自分の『船弁慶』を

── お父様への追善としてこれほどふさわしい演目はありませんね。
鷹之資 身に余ることと思って一所懸命に勤めさせていただきます。また今の新しい歌舞伎座になってから本興行で『船弁慶』がかかるのは初めてなんです。父が愛した『船弁慶』をひとりでも多くの方に見ていただき、作品の魅力を肌で感じ取っていただけたらうれしいですね。そして僕ら役者にとっても、勤めるたびに新しい発見がある演目だと思います。父が一生をかけて演じたように、僕も一生をかけて自分の『船弁慶』を作っていきたいです。70、80になった頃に「これが僕の『船弁慶』だ」と言えるように。今月はそのスタートを切らせていただいたと思っています。
── 「勤めるたびに発見」といえば、富十郎さんが平成15年(2003年)に一世一代として勤められたとき、「(知盛の亡霊は)義経が見ている亡霊だと思うようになった」と語っていらっしゃる記事がありました。知盛の亡霊が実は義経にしか見えていなかったのだとしたら、それもまたドラマチックだなあとか、では弁慶はいったい何を目にしていたのだろうか……などと次々に想像が膨らみました。
鷹之資 それは面白いなあ。父がそう言っていたのなら、平家を滅ぼした義経と滅ぼされた知盛、このふたりの間にある因縁、ふたりの間だけに流れる何かがあった、というのはありえますね。うん、それは面白いですね。

取材・文:五十川晶子 写真提供(鷹之資さんインタビュー写真):松竹(株)
プロフィール
中村鷹之資(なかむら・たかのすけ)
1999年4月11日生まれ。人間国宝五世中村富十郎の長男。2001年4月歌舞伎座『石橋(しゃっきょう)』の文珠菩薩で初代中村大を名のり初舞台。’05年11月歌舞伎座『鞍馬山誉鷹(くらまやまほまれのわかたか)』の牛若丸で初代中村鷹之資を披露。13年より自身の勉強会「翔之會」を主宰している。
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