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「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集

片岡市蔵『与話情浮名横櫛』 与三郎のバディ、蝙蝠安

第14回

「しがねえ恋の情が仇」の名セリフでおなじみの(と言っても最近ではあまりおなじみではないかもしれないが)、『与話情浮名横櫛』源氏店の場。身を持ち崩しながらもどこか坊ちゃん気質が抜けない与三郎と、どこからどう見ても小悪党の蝙蝠安が、お富の暮らす源氏店の妾宅へ小遣い銭をたかりにやってくる。

言ってしまえばそれだけの場なのだが、スッキリと粋な江戸の風情やトントントンと小気味よく交わされるやりとりが歌舞伎味にあふれていて、世話物の中でも人気の狂言だ。

<あらすじ>

木更津で出会い、深い仲となったお富と与三郎だったが、お富は人の囲い者。ふたりの関係が表ざたとなり、与三郎は顔や身体に34か所もの傷を負わされ海に投げ込まれてしまった。お富もまた身投げするが、和泉屋多左衛門に救われて源氏店の妾宅に匿われていた。三年後、その家に小悪党の蝙蝠安と与三郎が金をたかりにやってくる……。

片や豆絞りの手拭の頬被りも粋な白塗りの二枚目の与三郎、もう片方は煤けた顔体の小汚い形(なり)の蝙蝠安。生まれも育ちも見かけも正反対だが、与三郎はこの安とは妙にウマが合うらしい。歌舞伎版のバディそのものだ。

この蝙蝠安という役は、四代目尾上松助という脇役の名手が今につながる蝙蝠安を形作り、六代目尾上菊五郎や初代中村吉右衛門といった大看板も「ごちそう」で勤めたこともある。歌舞伎ファンから長年愛されてきた役だ。

薄汚くて目端が利いてでもなぜか憎めない小悪党の蝙蝠安に深ボリ隊は注目。「鳳凰祭四月大歌舞伎」で安を勤めるのは片岡市蔵さんだ。20代で初めて勤めて以来今回で8度目。お父様の五代目片岡市蔵さんの当り役でもある。この役をどう捉えどう作ってきたのか。市蔵さんを直撃した。

Q. 癖のある小悪党・蝙蝠安はどう作りあげてきましたか?

令和5(2023)年4月歌舞伎座「鳳凰祭四月大歌舞伎」夜の部『与話情浮名横櫛』より、蝙蝠安を勤める市蔵さん 写真提供:松竹(株)

── 蝙蝠安を初役で勤められたのは先代の團十郎さん(十二世市川團十郎)の与三郎での巡業のときですね。

片岡市蔵(以下、市蔵) 三十になる前くらいですかね。成田屋さんから稽古のときに「お父さん(五世片岡市蔵)の真似を一切しないでください」と言われましてね。「あなたが今お父さんの真似をしても出来ませんから」と。まあ実際初役のときは下手くそでした(笑)。考えてみれば安の実年齢くらいの年だったんですね。そして45歳くらいで勤めるときに「もうあなたの安になってきたから真似してもいいですよ。お父さんの良いとこどりしてもいいですよ」と。今ならまねしてもただのまねにならないから、ということでしょう。とにかくこの役は一筋縄ではいかない役です。

── 与三郎と違って二枚目でもなく、煤けていて抜け目ない小悪党ですが、しどころの多い役ですよね。そしてお客さんから愛されている役だなと。

市蔵 ありがとうございます。前回勤めてから十数年ぶりでしょ。この役はしどころが多いだけに、以前の自分の映像見てみると、余計なことやりすぎてるな、作りすぎてるなって思うようになりました。いろんなことやりすぎてちょっとうるさくなってるなと。僕が安になっちゃえばいいんですよ、要は。と今は思っています。

── まず安のこしらえが面白いです。頭も変わった形の鬘で。

市蔵 全体的に卑しい恰好です。頭はへっついという鬘ですね。隙あらば10円でも50円でも拾えたらと常にうろうろしてる輩です。時には店に入って脅したり。あまりに汚いので「とにかくお金やるからさっさと早く出ていけ!」となる。そんなふうに細かいお金もらって暮らしてるのでしょう。

── 手拭いも被っています。

市蔵 「山道」の手ぬぐいをね。あの手ぬぐい、僕のはもう35年ものなんです。うちの父が使ったのも持ってますよ。そうなるともう70年ものですね。ただ頭の形やサイズが違うのか、短くて使えなかった。なので自分で作りました。お茶で煮たり墨入れて煮たり、墨を入れると臭くなるので紅茶入れてみたり、いろいろ実験してみるんです。常時使っているのは1枚ですね。世話物で使う手拭いもいろいろで、特にお百姓さんの手拭いって性(しょう)が抜けてなきゃいけないので、父の70年ものを使ってます。

── 女ものの着物を着ているのはなぜですか。安には女房はいませんよね。

市蔵 はい。どこかから持ってきたか盗んだか。トレードマークなんでしょうね。奇抜な恰好の方が脅すにも嫌がらせするにも効果あるということで着ているのじゃないですか。こいつもある意味、傾き(かぶき)者なんです。

── やたらとぞろぞろ引きずりますよね。

令和5(2023)年4月歌舞伎座「鳳凰祭四月大歌舞伎」より 写真提供:松竹(株)

市蔵 あの着物は結城という前提ですから昔は木綿だったんですよ。でも最近は衣裳にできるような木綿が手に入らないそうで、もっと軽い素材になっちゃうんです。そうするといい感じに引きずれない。引きずったほうが面白いのに、軽くてシューッと身体についてきちゃう。たまたま田舎の蔵で着物が見つけられたとしても、昔の人のサイズでは裄が短かったりするし。新三(『髪結新三』)とか世話物やるときに木綿がないんで困っちゃうんですよ、僕ら。大したものでなければ膝が抜けちゃいますでしょ。抜けちゃっていい役ならいいけどそれじゃいけない役は、いい木綿、双子(織)のものがないとね。だからといって絹で作ってしまうと長屋の雰囲気出ないじゃないすか。衣裳さん大変ですよ。

── 肌の色がまた与三郎と対照的で灼けているというか煤けているというか。

市蔵 安の場合は腕から脚から、というか尻から全部塗ってます。日がな一日どこかに金落ちてないか歩いてるわけでしょ。ないときは飯場でも行ってるんじゃねえかという灼け具合ですよ。与三郎がまっ白なのとの対比もあると思います。

── 右頬の蝙蝠の入れ墨は自分で描くのですか。あるいは型紙か何かがあるのですか。

市蔵 僕は自分で毎日描いてます。これ、なかなか難しいんです、ちょうどよく描くの。墨と藍を混ぜて描くんです。墨だけだとちょっと色っぽくないんですよ。まあそんな役じゃないですけどね。それに藍が入ると彫物っぽいし。型紙だと”描きました”という感じになっちゃうでしょ。たぶん入れてからもう十何年経ってるはず。だから煤けているし、大したところで入れたのでもないはず。どうせ仲間内で頼んで入れてもらったんだろうから粗いでしょう。

作りすぎるとつまらなくなる

── 「散華(さんげ)散華~」の下座で花道を与三郎と安、ふたり並んで出てきます。

市蔵 これいろいろやり方があるんですよ。与三郎が成田屋さんのときは僕が右側を行くんですよ。(中村)梅玉兄さんのときは左側を行くんです。梅玉兄さんは安を先に行かせるときもある。安は後ろ手組んでます。与三郎が前にいるから邪魔になるので。与三郎は着せるのが一番難しいって衣裳さんは言いますね。衣裳の袖から角度からピシーッとしわ一本ないように着せなきゃいけないから。

── たしかに立っているときも座っているときもどこもかしこもピンッとしていますね。逆に安はもう土下座する勢いで平身低頭。

市蔵 そりゃもうへりくだろうが何しようが、大事なのはこれ(金)ですから。とにかくもらえるなら何でもするんですよ。それくらいの気持ちですね。

── そしてねちねちとお富にあることないこと嫌がらせを言います。

市蔵 そこなんだよね。あまり作りすぎるとつまんなくなっちゃうなと。全部ねちっこくやってると大事なところが利かないから、トントントンとやって、「ねえ?」とか「ええ?」ってそこだけしつこく言う方がいいのかなと。とにかくもっと自然にやりたいんですよ。それにこの人、何度もここに来て毎回同じこと言ってるはずですから。

── お富に煙草まで図々しくねだります。

市蔵 あの煙草の箱にはちゃんと本物が入っていて、安が自分の煙草入れにぎっしり詰めるときもあるし、そこまで入れないこともあります。毎回入れていると大変なので。煙管も首出して咥えて、かっこよくならないように。とにかく藤八の話なんか聞いてませんからね。でもわらじ銭をくれた時はパッとそっちを見る。

── でも見てみたらたった百(文)かと。あそこのべらんめえ調の啖呵がすごい勢いで、聞いていてスカッと気持ちいいし楽しいところです。

市蔵 僕ね、放っておくとどんどんべらべら口が先に動いちゃうんですよ。だからたぶん何を言ってるのか分かりづらいときもあるんじゃないかな。でも言葉を立てなきゃいけないからそこらへんが難しい。だって「ねえご新造さんご新造さん」とか「おうおうおう」って何度も言うとうるさいじゃないですか。かといって1回にするか2回にするかって気にしてると雰囲気が変わっちゃう気もするし、安がいつまでもうるさいから、お富も「いいよいいよ」になるんですしね。

── では今回はちょっと口数の減った安になるかもしれないですね。

市蔵 行間が大事だと思うんですよね。「与三与三与三!」じゃなくて、袖で与三郎をはたく振りして「与三」って一言でもこの場の雰囲気は通じるじゃないですか。30代でやった安とは違ってもいいんじゃねえかなと。でも難しいですね。つい口が動いちゃう、長年のやり方で。

── そして与三郎がお富であることに気づいて。

市蔵 「俺にまかせとけ」となってここからは与三郎の場面になるので、安は後に下がって煙管咥えて頭も下げてただ聞いてます。「しがねえ恋の」あたりからにゅうっと身体起こして「ああそういう事情があるのか」とね。

── 聞きながらじっと煙草をのんでいます。

市蔵 間が持たないので煙草を吸ってますが、あれもその日によって違います。それにあの場面では、煙管を灰落としに当ててコツンとはたく音もさせたくないですし、かといって煙管を掌にぽんと当てて吸い殻を落とす人ではない、安は。

── 安はそんなスマートなことはしないと。そして与三郎とお富の事情がわかってからは正座に座り直します。

市蔵 着ていたものをパッと広げて太もも出して、前に一歩出るような感じで座り直すんです。「そうかそういうことなら頭低くしてなくていいんだな」と。

今の年齢に合ったやり方を

── 屏風から再び現れた藤八をこてんぱんにやっつけていると、多左衛門が帰ってくる。安の態度が急に変わります。

市蔵 結局(髪結)新三といっしょで、父がさんざん世話になってるし、自分の出生も知られてるし、それどころかもっと悪いことやったことも握られてるんでしょうね。それをお上に言われたらお縄になるし、たぶん長屋も追い出される。そうなったら無宿人ですから。この人に逆らったら金どころではなく酷い目に遭うんじゃないかなと。

── 屏風に隠れていたけれど、足からだんだん出てきます。

市蔵 あれ誰が考えたのでしょうね。(四世)松助さんでしょうか。うちの親は(三世尾上)鯉三郎さんに教わったそうです。明治の頃のやり方が残っていたんでしょうね。

── 金を受け取らず、帰ろうとしない与三郎に「生(ナマ)言うねい!」と叱り飛ばしながらも多左衛門のことを気にしています。

市蔵 これもね、難しいんですよ。以前、(『仮名手本忠臣蔵』)六段目の判人源六をやらせていただいたとき、もう難しくて手も足も出ないと、国立劇場の織田(紘二)さん(国立劇場創立時から歌舞伎をはじめさまざまな伝統芸能の公演の制作に携わる)に話していたんです。そうしたら、(二世尾上)松緑さんの聞書きの本(『松緑芸話』講談社)があるじゃないですか。あの本の3倍分くらいのものが収められているテープがあって、「そこにヒントがあるよ」と織田さんが教えてくださって、それを聴かせてもらったんです。(十二世)團十郎さんが20代で初めての勘平、(初世市村)鶴蔵さんが源六でした。松緑さんが客席に教えにいらして、「鶴蔵、何やってんだ!」と怒鳴ってるんですよ。「お前勘平になに気ィ使ってるんだ。お前の首根っこ押さえているのは(一文字屋)お才なんだぞ。お才に気ィ遣って芝居しなきゃだめなんだよ」と。これ、安にも使えるなと思い出したんですよ。

── 与三郎に「帰るぞ」と言いながらも、多左衛門に気を使っているところですね。

市蔵 30、40代の頃は多左衛門をちょこちょこ見過ぎてたなと。今は一度でいいから、その分はっきりと多左衛門の方を気にした方がいいのかなと。読点の代わりに見た方がいいのか、句点の代わりか。そのときの感覚にもよりますし。「旦那にすまねえや」と与三郎に言うのも、ただ与三郎に言い聞かせたいのか、多左衛門に聞かせたいのか、それによってもまた変わってくるし。

令和5(2023)年4月歌舞伎座「鳳凰祭四月大歌舞伎」より 写真提供:松竹(株)

── そこが変わると、安が実はどんな人間なのかもちょっと変わってきますね。

市蔵 はい、変わってきますね。そしてまた考え過ぎると安ではなくなっちゃうんです。変に段取り芝居になるのは嫌ですし。

── 帰ろうとする間際に畳に残っている百文と一分の金を拾うところも笑いがきますね。

市蔵 あそこも人によってやり方がいろいろで、帰りがけに気づく人もいれば最初から気になっているというやり方の人もいます。お富と与三郎が上でやりとりしているところなので、そこにはぶつからないようにしてます、僕は。

── そして多左衛門の下駄を揃えたりして、「新内流し」でふたりは花道にさしかかります。着物を端折りながら出てきますが、あの端折り具合がちょうどよくて灼けて引き締まった脛がスッと見えて。

市蔵 あそこは何にも気にしてないな。あれだけ裾の長いものですからパッとまん中部分が見つけやすいので、そこをつまんで挟むだけですから、気にもしたことないです。

── 「帰る」は「けえる」、「大の男が」は「でえの男が」、「すっこんでやがれ」とか、べらんめえ調で巻き舌な言い方にも聴き惚れます。

市蔵 それもね、気にしたことないな。自然に出てきちゃう。

── 与三郎とのかけあいがまたひときわテンポ良くて。

市蔵 あそこは息ですよね。数やって合っていくものなんです。今回、(片岡)仁左衛門さんの与三郎で安をやるのは初めてなので、そこが一番難しいです。お互い見合っちゃうと無音になっちゃうし、おにいさんがどこでどう行きたいのかで変わってきますから。過去のおにいさんの映像を拝見すると、「ああうるせえ!」って途中で言ってるので、安があれこれうるさく言わないといけないだろうな、とか、でものべつまくなしでは台詞が利かなくなるなあとか。これも稽古してみないと分からないところですね。

── お富さんの役者が変わると、安もまたやることが違ってきますか。

市蔵 違いますね。安が金をせびっているときに、安の方を見る方もいれば全く見ない方もいらっしゃるし。台詞のテンポ、いろいろ違いますね。

── 何度もなさっていると大失敗の思い出も?

市蔵 煙草入れ忘れました。出る前に気づいたんです。そしたら袖で成田屋さんがご自分のを「はい」と渡してくれて。「煙草、入れといてね」(注:先代の團十郎さんそっくりの声色で)と。僕、四十いくつの時でしたね。

成田屋さんに見守られ、じっくり作ってきた大好きなお役

── 蝙蝠安はお父様の五世市蔵さんの当り役でした。お父様からはどう教わったのですか。

市蔵 父は僕が何やっても「ダメ」「ダメ」って言うので、「どこがです?」と尋ねても「うーん」と。うちの父、そういう人ですもん。言葉ではうまく教えられないんですよ。「新三」の勝奴なんかもそうです。僕が、中村屋さん(十八世中村勘三郎)の新三で勝奴をすることになったときは(二世市川)子團次さんに教わりました。父は紀尾井町(二世尾上松緑)の新三でしか勝奴をやっていなかったのですが「あいつは中村屋でやってるから」と。子團次さんはうちの父と仲良かったし、もうどんな役もノートにビシッと記録しているんです。このときはこういう気持ち、ここはこういう気持ち……と。勝奴のときは3か月通いましたね。だからこの安という役は、いろいろな映像見て、「今回はこうやってみようかな」と自分で工夫して。でも時にこけたり、角が出てしまったり、そんなことの積み重ねです。そんな当時うまくいかなかったことでも、今この年齢の僕ならちょうどいいかもしれないな、なんて考えてます。

── SNSでは「市蔵さんの蝙蝠安が楽しみ」という声もありました。

市蔵 いやあ、ありがとうございます。この役、すごく好きなんですよ。これ、うちの父がまだ存命の時に、成田屋さんに、僕がやらせてもらってるんですよ。

── 本来成田屋さんの与三郎なら当然お父様が安をなさるべき、という時期に、あえて若い市蔵さんに。

市蔵 そうなんです。それから20年近くも成田屋さんが見守ってくれたんです。下手でもね。だから時間かけて作ってこれた。感謝しかないです。うまい人は僕じゃなくても他にもっといると思うんですよ。でもその感謝の気持ちってのも舞台のどこかに出ると思ってるんです。そんなところも合わせてご覧いただければなおさらうれしいですね。もちろん初めてご覧になる方にも、「あそこああだったね、こうだったね」といろいろ感じていただけたらいいですね。それにね、瀬川如皐の書いた狂言って他にはあんまり面白いのが残っていないんですが、この「源氏店」の場は本当に面白く出来てると思うんです。代々の役者達がより面白くしようと膨らませてきたんでしょうね。

── そういえば安には実在の人物にモデルがあったとも言われますね。

市蔵 どうだったんですかねえ。大方、体に妙な入れ墨のある男でもいたんじゃないですか。

取材・文:五十川晶子 撮影:源賀津己

プロフィール

片岡市蔵(かたおか・いちぞう)

1958年12月12日生まれ。五代目片岡市蔵の長男。’62年4月歌舞伎座『助六由縁江戸桜』の禿(かむろ)で片岡幸一を名のり初舞台。’69年11月歌舞伎座『助六由縁江戸桜』の茶屋廻り金太ほかで六代目片岡十蔵を襲名。’03年5月歌舞伎座『実盛物語』の瀬尾十郎ほかで六代目片岡市蔵を襲名。

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