「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
中村歌六『すし屋』 息子を手にかける無骨な父親、弥左衛門
第16回
『野崎村』の久作や『賀の祝』の白太夫、『盛綱陣屋』の微妙、『引窓』のお幸・・・歌舞伎に登場する老父老母たちは、時に主人公に匹敵するような重要な役回りを演じる。『義経千本桜』「木の実・小金吾討死・すし屋」に登場する弥左衛門も、大和・下市村ですし屋を営んでいる一見どこにでもいる老父。ところが平家への恩を返そうとして思いもよらぬ目に遭う。
<あらすじ>
鎌倉方の梶原景時が平維盛を捕らえるため吉野下市村へ詮議にやってくる。すし屋の弥左衛門は、かつて御恩を受けた平重盛公の息子維盛を奉公人の「弥助」と姿を変えさせ匿っていたところ、偶然小金吾の亡骸を見つけ、その首を落とし、維盛の身替り首にしようとする。一方勘当されている息子の権太は、褒美の金欲しさに維盛の首とその妻と子である若葉の内侍・六代君を梶原につき出そうとするのだが……。
その昔使っていた脇差を取り、断腸の思いで息子の権太を手にかける弥左衛門。だがそれは後に無駄死にとなってしまう。どんな因果で弥左衛門はそんな惨い悲劇に見舞われるのか。「六月大歌舞伎」夜の部の『義経千本桜』で弥左衛門を勤めるのは中村歌六さんだ。時代物、世話物、そして新作歌舞伎まで、歌六さんが演じると、ジャンルを問わず物語は一段と深みを増し、人物の陰影は濃くなり時に凄みさえも。いぶし銀のような方だ。
さて、そんな歌六さんは、ただの老父ではない弥左衛門をどうとらえ、どう表現しているのか。今月の深ボリ隊は歌六さんをロックオン。
Q. ただの老父ではない弥左衛門。どんな人物と捉え演じていますか?
── 弥左衛門を初役で勤められたのは2001年、(市川)猿翁さんの一座で巡業されたときですね。
中村歌六(以下、歌六) そうそう最初は澤瀉屋のにいさんの権太で弥左衛門をやりましたね。51歳でした。その頃からもう年寄りの役はいろいろやってましたから皺は描き慣れていたんですよ。描く皺の数は最近だんだん減ってきたけどね。でももうその時のことは全然覚えてない(笑)。僕ね、終わると全部忘れちゃう人なの。その次は(二世中村)吉右衛門兄さんの権太、その次は(片岡)愛之助さん、そして松嶋屋(片岡仁左衛門)の兄さんの権太でさせていただきました。ね、それだけ覚えていたら立派なものだよ(笑)。よくこういう聞き書きで「初役です」って言っちゃって「いえ前にやってらっしゃいますよ」って言われるんだよね。
(澤瀉屋の「瀉」のつくりは「わかんむり」が正式表記)
── そして今回再び仁左衛門さんの権太でお出になりますね。
歌六 「木の実」から始まるのでストーリーがわかりやすくなって、お客様には親切ですよね。いきなり弥左衛門の袴の包みから首が飛び出してきて、「あの人どこから首持ってきたんだろう」とはならないですから。
── 「小金吾討死」の終盤、小金吾が落ち入ったところへ、花道から上市村の村人四人衆と出てくるときと、上手から弥左衛門ひとりで出てくるときがあります。
歌六 これは時間の都合でしょうね。あの場面で結構時間食うしカットされることはありますね。
── 提灯を下げてはいるけれど、討死した小金吾につまづいて……。
歌六 まあねえ、昔は本当に真っ暗だったので、提灯だけでは足下がよく見えなかったのでしょうかね。
── 亡骸と気づいて手を合わせるときの台詞、「人はいがまずまっすぐに」で「いがみの権太」の存在がふと浮かびます。
歌六 「哀れを見るも仏の異見、人はいがまずまっすぐに」。これは本行(人形浄瑠璃文楽)にあるので、台本にないときは僕は足させていただくんです。ここは権太のことがオーバーラップするところですから。
── 弥左衛門はその後その場から離れて花道付け際までいき、そこでふっと立ち止まります。
歌六 さすがにね、亡骸を見てすぐに「維盛殿の替え首に」と思いつくわけではないんですよ。うん、弥左衛門、そこまで悪い人じゃないから。ただ普通に歩いていてふと、「あれ、だったら今の首を使えば」と思いつく感じでやっています。
── そしてまた小金吾の亡骸のもとへ戻り、松の枝に提灯をかけ、羽織を脱いでそこにかけます。
歌六 僕は提灯を囲むように、明かりが漏れないようにと羽織を左右からかけています。風が吹いて火が消えてしまうからというよりは、周りから見られたくないから。この役を誰かに習ったわけではないのですが、昔からのやり方でやらせていただいています。
── あそこで袴を脱いで広げるのは斬った首を包むつもりでいるから、ということでしょうか。
歌六 広げているということはそういうことでしょうね。
── そして松の枝から雫が弥左衛門の首筋に落ちる……。
歌六 ふりかぶった刀が松に触ってバラバラバラと雫が落ちるんですが、どなたが考えたのか知らないけれどすごい表現ですよね。
元は侍か、盗賊か
── 弥左衛門は刀を持っていなかったので、小金吾の硬直した手をなでさすり刀を離させます。その刀で小金吾の首を落としますが、弥左衛門は以前は侍だったということで刀は持ち慣れていたのでしょうか。
歌六 これ、いろいろな考えがあって、元侍という説と元盗賊という説があるんですよ。どちらにするかで全然違うんです。元侍なら、平家の祠堂金を護っていたけれど盗まれた責任を取って腹切るはずが、平重盛公に許されたとなる。元盗賊のパターンなら、逆にその祠堂金を盗もうとして捕まったけれど重盛公に無罪放免してもらったということになります。ただ、今回これに関しては、ややこしくなるのと長くなるのとで台詞としてはどちらとも言っていません。
ただ、田舎のすし屋のおじさんなら人の首なんて斬れないよね。魚とはわけが違う。第一当時の吉野のすし屋となれば鮎とか小魚の馴れ鮨でしょ。鮪とか鰤とか大きな魚の頭を切ったことないと思うんだ。だからどちらにしてもバックボーンとして、刀を扱い慣れていた、腕の立つ人だったということでしょうね。
── そして刀を構え直したところで柝の頭。
歌六 ちょーんと入って幕が閉まってから「えーい!」と声が響いて、首を落としたことがわかる。ミステリアスなところで幕が閉まりますね。
── さて「すし屋」の場となります。権太と母おくらのくだりがあり、弥助とお里のやりとりがあり、いよいよ弥左衛門が花道を出てきます。袴に包んだ切り首を腰に、羽織で隠して急ぎ足で。
歌六 ここもね、東京式のやり方だと権太が奥へ入ってしまってから弥左衛門の出となるけれど、上方式では権太がまだ家にいる間に出てきちゃう。弥左衛門が「開けてくれ」と言うのが聞こえてあわてて奥へ入るんです。
── 弥助に戸を開けてもらい、どっと座り込みますね。あそこで首の重さがこたえているのだろうなと思わせます。
歌六 あの小道具の首自体は重くはないんですが、人の首って本当に重いらしいですよ。よく三貫目って言いますよね。10㎏以上あるらしいよ。いや僕みたいに脳みそ軽い人は3㎏くらいしかないだろうけどさ。だから後に三貫目のお金の入ったすし桶と首の入ったすし桶とを取り違えるんだろうね。
── そして弥助に茶を頼んだ後、包んでいた袴から首を取り出して上手の桶に入れます。
歌六 このとき一番下手の桶をさらに一番上手に置いて、板を外して血で汚れた袴などをしまっちゃう。でもこの場面の前に、権太が三貫目の金を上手から二つ目の桶に入れていたから、後で権太が持っていく桶はおのずと首の入った桶になってしまうんだよね。だから僕が下手の桶を上手に置き直すとき客席がザワザワッてなります。
── この桶と首と金のしかけがよく出来ていますよね。
歌六 よく出来ているんですよ、ほんとに。上方式はこうですが、東京式だとまた桶の置き方が違っていて、後に権太はいくつか桶を持ちあげて、重いのを持っていくんですよね。
── この緊張感ある場面で何度かトーンと竹本の三味線の「空(から)二」が入り(二の糸の開放弦を弾く)、弥左衛門の緊張感が客席に伝わってきます。
歌六 竹本さんにお願いして、大きい強い空二を3度ほど、それ以外に小さいのをあしらってもらっています。「ここは強く入れてください」「ここは要りません」とか、役者の仕勝手に合わせてもらって。弥左衛門の動揺とか安堵の気持ちを三味線の音一つで表現してくれます。
── ホッと肩を撫でおろしてやれやれとなりますが、客席もずっと息を詰めていたので一緒にフーッとなりますね。
歌六 そこで弥助が「はいお茶」と唐突に持ってくるのがまた面白い。「びっくりするわい」とね。
── 見ている方も喉が渇いて、バッグの中からペットボトルを取り出して喉を潤したくなるところです。
歌六 そしてそのお茶の残りで手を洗う。血でべたべただったんだろうね。
── その後弥助と弥左衛門の間の空気がフッと変わります。
歌六 「たちまち変わる」で居所が変わって、弥左衛門と弥助から弥左衛門と維盛になります。何をどう変えているわけではないけれど、気持ちは変わりますね。それまでは奉公人として接しているけれど、その瞬間から維盛様を敬う気持ちに。そこからは弥助=維盛の見せ場ですよ。維盛の述懐を聞きながら、弥左衛門も命の恩人の重盛公を思い出して涙ぐみます。
── そこへお里がやってきて、またふたりの空気が元の弥左衛門と弥助に戻ります。お里と弥助をふたりきりにしてやろうというところで「遠いは花の香がのうて」と。風情のある台詞だなあと思いつつ、そもそもどういう意味なのでしょう。
歌六 そんなこと考えて芝居してないよ~。台本にあるからそう言ってるだけ(笑)。でもいい台詞ですよね。「遠きは花の香」とは、遠くの花や香りはきれいに感じられるということですが、それに「のうて」がつくと“近くにもいい物はあるよ”ということですかね。そこで「わしと婆とは離れ座敷」ですから、距離感を表しているのでしょうね。ここと座敷は離れているから、ふたりでいちゃいちゃしていていいよと。ふだんは考えないで言ってますけどね(笑)。
我が子を殺す親の因果
── 若葉の内侍と六代君と維盛は急いで上市村へと向かいますが、権太が聞きつけて3人を追っていきます。
歌六 実は奥にあるんですよ、昔持っていた刀が。普段は持ち歩かないし、小金吾の首を落とすときは小金吾の刀だったけれど。それを差して追いかけようとします。
── そして梶原景時の前に、小金吾の首が入っている、と弥助が思っている桶を出そうとします。
歌六 でもおくらがあわてて止めるので「いや、これに(身替り)首が入っているんだよ」とやっていると、梶原に「たくらんだな」ということで捕手に囲まれるんです。
── 権太が身替り首を梶原に差し出し、若葉の内侍と六代君に見せかけた小せんと善太は、梶原の一行に連れていかれてしまいます。弥左衛門はここで権太の腹を持っていた刀で突く……。
歌六 東京式ならまず背中に一太刀浴びせて、くるっと回って腹を突きます。権太は梶原からもらった陣羽織は手に持ってますからね。松嶋屋のにいさんの権太は陣羽織を着ているので、背中から斬るわけにいかないので前に回ってお腹を突く。
── 「三千世界に子を殺す親というのは俺一人」という台詞がなんともすさまじいです。
歌六 「あっぱれ手柄な因果者に、ようもようもさせおったな」と。で、権太が「とっつあんとっつあん」、いや、それは東京式だな。上方式は「親父さん」と言いますね。桶を開けると三貫目が出てきて「こりゃどうじゃ」と驚く。さっき小道具の首は軽いと言いましたが、この三貫目の包みは結構重たくできてますよ。桶から出す時に多少はがらんがらんとなるようにね。あんまり軽いハリボテだところころっと転がっていっちゃうから。
── そして権太が痛みに苦しみながら親父への本当の思いを語ります。
歌六 維盛と若葉の内侍と六代君をどこへ落としたのか尋ねると、権太が苦しそうに笛を吹きますね。あれも東京式ではおくらが吹くんです。
── 維盛が「あれは小金吾という家来で、これも因縁」と。
歌六 維盛、あそこで冷たく言い放ちますからね。あれはうちの家来だからどうぞ使ってくれていいよと言われているみたいで。
── 権太の腹を突いたところから、弥左衛門の気持ちがどんどん動いているのが伝わってきます。
歌六 弥左衛門としてはここがしんどいですね。体力的には辛いところはないのですが、気持ちはあそこが辛いです。最初は権太の腹を刺してちょっとハイになってますでしょ。この野郎、生かしておいてろくなことにならんと。そこから段々クライマックスに入っていきます。
── しかし陣羽織を割いてみると、頼朝は弥助が維盛であることなど百も承知。命は助けるつもりだったとわかります。
歌六 「自分の手で息子を刺したけれど、そんなことしなくてよかったんだ」となる。何となく弥左衛門は昔は盗賊だったというのが正しいような気がしてきますね。盗みはもちろん、人を殺したこともあっただろうから、昔の悪さが巡り巡って息子の腹を自分が突くということになってしまった、という気もしてきます。要するに自分でその因果を断ち切らなければならないと。昔は侍だったというのとでは、親父が息子を亡き者にする理由が違ってきますね。
極悪非道でも、どこか救えるところを探したい
── 「すし屋」の、特に上方式の「すし屋」の面白さといえば何でしょうか。
歌六 やはり「権太」ですね。上方でいう「ごんた」。「アイツ、ごんたやで」という悪ガキ、悪い子という意味のごんたですね。東京式では悪い奴でもスッキリとかっこいいでしょ。上方の権太はちょっと泥臭い。昔河内屋のおじさん(三世実川延若)がなさったような泥臭い感じの権太ね。悪ガキがそのまま大人になっちゃった、みたいな。松嶋屋の兄さんも上方式でなさるけど、おにいさん自身がかっこいいから、もうどうやってもかっこいいんだよね(笑)。
── 「すし屋」の弥左衛門というお役は歌六さんにとってどんな役ですか。
歌六 好きですよ!好き好き!この「すし屋」には、『千本桜』の他の場とは違って義経さんが出てこないでしょ。他の場はとりあえず出てくるじゃないですか。親子愛とファミリーの悲劇なんですよね。弥左衛門の息子に対する愛情が最後の最後に出てくる。権太だって息子がかわいい。善太の手を握って「冷てえ手だな」と言ってますよね。
── 親子愛ということで、歌六さんご自身、父親として共感できる部分はどんなところでしょう。
歌六 そうだなあ、うちの子(中村米吉)は頭悪いけど性根は悪くないんでね。共感するところねえ……。
── いやいや米吉さん、本当に平成生まれですか? と思うほど、歌舞伎のいろいろなお役についてはもちろん、昔の役者の芸談などめちゃくちゃお詳しくて、頭の中にデータベースを内蔵されているんじゃないかと。
歌六 あいつほんとにくだらねえことまで知ってるんですよね(笑)。変なやつですよ。でもまあ子供はかわいいものでしょ。たとえ子供が犯罪者でも親はかわいいと思うよ。他人は極悪非道なやつと思うような子供でも、親はどこか救えるところを探そうとするんじゃないかな。そういう親になったことないからわからないけどさ(笑)。
── ところでやはり気になるのはすし桶です。似たような桶が並んでいるのに役者のみなさん、よく取り違えないものだなあと。
歌六 いやあ昔は間違えたことあったでしょうね。僕はないよ(笑)。こればっかりは間違えるわけにいかないからね。権太が三貫目の入った桶を持っていっちゃったらもうどうにもならないからさ(笑)。
取材・文:五十川晶子 撮影:石阪大輔
プロフィール
中村歌六(なかむら・かろく)
1950年10月14日生まれ。四代目中村歌六の長男。弟は中村又五郎、いとこに中村時蔵、中村錦之助、中村獅童がいる。55年9月歌舞伎座『夏祭浪花鑑』の倅(せがれ)市松ほかで四代目中村米吉を名のり初舞台。73年名題昇進。81年6月歌舞伎座『一條大蔵譚』の大蔵卿で五代目中村歌六を襲名。'15年「伊賀越道中双六」(国立劇場)で第二十二回読売演劇大賞第22回読売演劇大賞優秀男優賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞ほか受賞多数。'18年紫綬褒章受章。
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