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「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集

中村雀右衛門『一本刀土俵入』 伝法だけど純粋な心根のお蔦

第19回

流れ流れてたどり着いた場末の宿で酌婦をするお蔦と、一文無しのやせっぽちの取的が、ひょんなことから出会う。そして10年後、まるで境遇の変わってしまったふたりが再会して……。劇作家・長谷川伸が1931年に書き下ろした『一本刀土俵入』の場面だ。

<あらすじ>

ここは常陸国、水戸街道の宿場町の取手。利根川の渡しも近い茶屋旅籠安孫子屋。ある秋の日の午後、暴れん坊の船戸の弥八が若い夫婦者に喧嘩をふっかけ大騒ぎだ。何事かと二階の障子を開けて姿を見せたのは安孫子屋の酌婦・お蔦。そこへたまたま現れたのが、一文無しで腹を空かせて頼りなげな取的・駒形茂兵衛だった。

このお蔦、ちょっと勝気で伝法、でも心根の純なところも持ち合わせている女だ。六世中村歌右衛門、七世尾上梅幸、七世中村芝翫、そして四世中村雀右衛門と、名だたる女方が愛してきた役。

今月の「秀山祭九月大歌舞伎」でお蔦を勤めるのは中村雀右衛門さんだ。物語の前半と後半でガラリと様子の変わるのは駒形茂兵衛だけではない。お蔦もグッと雰囲気が変わる。そしてもちろん変わらないものも……。今回の深ボリ隊はこのお蔦にスポットを当て、雀右衛門さんに、何が変わるのか変わらないのか、たっぷりお話をうかがった。

Q.伝法だけど純粋。名だたる女方に愛される役・お蔦の魅力とは?

平成20(2008)年5月新橋演舞場公演より、『一本刀土俵入』でお蔦を務める雀右衛門さん 写真提供:松竹(株)

── 2008年に新橋演舞場、2012年に金丸座、そして今回の歌舞伎座と、お蔦を勤められるのは3度目となります。金丸座と演舞場とではお客様から受け取る反応も違っていそうですがいかがでしたか。

中村雀右衛門(以下、雀右衛門) そうですね、劇場の大きさによって私たちが何か変わるというよりは、お客様が感じられる風情はやはりだいぶ変わるんだろうなと思います。金丸座は特に昔からの芝居小屋の姿を残した小屋で、お客様との距離がすごく近いでしょう。舞台の前ぎりぎりにまでお客様がいらっしゃる。やはりお芝居の中身と同じ時代にタイムスリップしたかのような気持ちで見ていただけたのじゃないでしょうか。大きな劇場はもちろん、たとえば私が襲名披露した先斗町の歌舞練場や、国立劇場の小劇場など、それぞれ劇場に合わせて変えるところもあります。ですがこの狂言はリアルなお芝居なので、どこでやるにしてもひそひそ声で話している場面でも、その雰囲気のまま後ろの客席にまで届けるというのが大事なのかなと思いますね。

── 初役のときはどなたに教わられたのですか。

雀右衛門 父(四世中村雀右衛門)の残した映像と、茂兵衛を勤められた播磨屋のおにい様(二世中村吉右衛門)にいろいろ教えていただきながらでした。

── お蔦は序幕の安孫子屋の場では二十四歳という設定ですよね。

雀右衛門 二十四です。後に出てくるときが10年後ですね。最初は安宿の酌婦、イキの良い、ちょっと捨て鉢なところもある女性。でも後半では子供を育てながらじっと夫の帰りを信じて待っている。

── こしらえも随分変わります。序幕では白塗りで頭もシケを垂らしていて。

雀右衛門 着付けも鬘も変わっていますし、帯や結び方も変わります。酌婦の時の方が衣紋もいくらか粋な感じで。後半は顔の色も茶色く地色(肌色)に近く、貧しいながらも奥さんらしいこしらえですね。

── 出が印象的です。

2023年歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」『一本刀土俵入』より 写真提供:松竹(株)

雀右衛門 あそこは障子をサーッと開けて、パッと外を見た時の風情を大事にしています。この宿で酌婦をやっている、ちょっと気の強い伝法な女であることが、この一瞬で伝わるように。

── 外では弥八が刃物を持って騒いでいるのですが、そのことに特に動じている感じがないですよね。

雀右衛門 肝が据わっているんでしょうね。二十四とはいえ、ここにくるまでいろいろなことを乗り越えてきた感じがします。富山の山奥から出てきて、江戸を越えて安孫子に流れてきて……。それなりに苦労してきた人生だったのでしょうね。

── 刃物を持っている男に水をかけるくらい何でもない。

雀右衛門 そうそう。だって弥ぁ公(弥八)はこれまでだってこういうことくりかえしているから慣れてるんですよ。それに弥ぁ公の親分もお蔦のお客としてやってきたりするわけですから。

── そして既にちょっと酔っています。

雀右衛門 親分が本当に客としてこの時にそこにいたかどうかはわからないですけれどね。まあひとりで酌をして飲んでいたのでしょうね。

健気で純粋で正義感もある、お蔦の持つさまざまな一面

── あの二階の手すりに手をかけて縁台に座っている、あの斜めの角度が本当になんとも言えない艶っぽさです。

雀右衛門 お蔦はあまり正面から見せることがなくて、体を振ってねじって、半身で座っている、そんなところから女性らしい風情を出さなければいけないんです。父の映像を見ていろいろ気にしながらやっております。

── そこへ茂兵衛がよろよろと上手から出てきて、弥八にからまれてしまいます。

雀右衛門 お蔦としてはこのときは「面白いな、どうなるんだろう」と好奇心が半分。取的(見習いの力士)さんが、それもひとりでなんて、そうそう通りかかることないですからね。こんなふうにいろいろな人たちが通り過ぎていく場所なんでしょうけれど、この茂兵衛は取的の割にはひょろっとしていてどうしたんだろうと。それにあの弥ぁ公を頭突きでやっつけてしまうのが痛快だったんですよ。

── そして「ちょっとお待ちよ」ということで二階から下にいる茂兵衛に声をかけて、次第に身の上話をし始めます。

雀右衛門 向こうは田舎から出てきて相撲取りを目指していて、母親は家が焼けて亡くなっている。自分も母親が生きているかどうかわからない。何となく似たような境遇なのかなと感じています。

── 「出世して見返しておやりよ!」とも言いますね。

雀右衛門 自分の思いも重ねているかもしれませんね。お蔦自身もこれまで相当悔しい思いをしてきたに違いないし、田舎の親類も薄情で頼れず、ずっとひとりで生きてきたという思いがあるのだと思います。

── そして「おわら節」を唄い始めます。

雀右衛門 茂兵衛と話したことでふと故郷の唄を思い出し、懐かしむ気持ちになったんでしょうね。歌い方は人それぞれいろいろやり方があるのですが、私は(杵屋)栄津三郎さんにうかがいながら、父と同じように三味線をちょっと爪弾いて歌うというやり方でやっております。民謡大会のように歌いこむような歌い方ではなく、何となく思い出しながら口ずさむ感じです。

── お蔦がしっとりと口ずさんでいるのに、茂兵衛はどんどん花道の方へ行ってしまいます。

雀右衛門 そうなんですよ(笑)。歌っている間にどんどん行ってしまう。なので「ちょっとお待ちよ」「利根の渡しは十六文だよっ」と。茂兵衛はお腹を空かせている一文無しだとわかり、「だったら私の身上全部あげるよ」という気持ちになるわけです。持ち前の気風の良さもありますし、自分は何とかなるからと。腰に締めていたしごきを外してひっぱりだして、それにお金と櫛簪を括りつけて二階からポンと下に投げ下ろします。

── 茂兵衛は泣きながら受け取りますよね。

雀右衛門 お蔦としては、たまたま行き会ったほぼ同い年の取的さんだけど、助けてやりたい気持ちになったんでしょう。母性本能のようなものでしょうか。と同時に、深酒が毒と知りながらも飲まなきゃいられない日々を送っている。その風情も出てなきゃいけないところです。

2023年歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」『一本刀土俵入』より 写真提供:松竹(株)

── 「立派なお相撲さんになっておくれ」と言って茂兵衛を送り出します。

雀右衛門 お蔦自身、決して思い通りの人生ではなかった。そして幼子を護らなければいけないわけですよ。人生を乗り越えてきた逞しさ、母としての力強さを感じます。一方で夫の辰三郎がなかなか帰ってこない。でも自分が他のところへ行ってしまうとますます辰三郎に会えなくなるから、この場所に居続けているんです。

── 茂兵衛のような弱っている人を助けてやろうという気概もあります。

雀右衛門 そうですね。辰三郎を10年も待たずもっと楽に生きていく方法もあったはず。健気で純粋なところも持っているし、正義感のようなものも持ち合わせている。いくつもの面を持っている女ですね。そこが難しいなと感じます。

── ずっと先へ歩いて行ってしまった茂兵衛に「ようよう駒形ァ」と声をかけてやりますね。

雀右衛門 「頑張れ」という応援の気持ちですね。ここではお客様にもスッキリとした気持ちになっていただきたいです。そしてまたお蔦はいつもの日常に戻っていきますが、茂兵衛と話したことで郷愁に襲われて、少しだけ寂しさを感じ、ひとりになってまたおわら節を口ずさみます。

── 茂兵衛と語り合った時間は短いですが、茂兵衛はお蔦にいろいろな感情をもたらしたように見えます。

雀右衛門 そういうことだと思いますね。

お蔦にとって、茂兵衛との出会いは日々の出来事のひとつだった

── 「大詰・お蔦の家の場」では貧しい家にお蔦と娘のお君とふたり、女飴売りの仕事で細々と暮らしている様子がわかります。

2023年歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」『一本刀土俵入』より 写真提供:松竹(株)

雀右衛門 夫からは相変わらず音沙汰がなく、もう亡くなったものだと思っているんです。

── お君ちゃんがけがをしてしまって……。

雀右衛門 血止めの薬を塗ってやって布で結わえてやります。今で言えばバンドエイドを貼ってやっているようなところです。

── 大詰では、このお君役の子役さんとのコミュニケーションが大事な場面が多いですね。

雀右衛門 お君ちゃんがおわら節を唄わないと物語が進まないですから、大事なお役なんですよ。子役さんとは心通わせながら稽古しないといけません。私も小さい時にお君をやったことがあるんです。山田五十鈴さんのお蔦で(十四世守田)勘弥さんの辰三郎で。(編集注:昭和36年12月明治座「演劇人祭」での公演。茂兵衛は十七世中村勘三郎)。終わる時間が遅かったなあということだけ覚えています。もう60年以上前のことです。子役の時って周りのみなさんがご褒美をくださるんですが、その時には何をいただいたのか覚えていません(笑)。

── 儀十親分たちがズカズカと上がり込んでくるので必死でお君を護ります。こしらえや雰囲気は酌婦のときと随分変わりましたが、伝法なところは変わっていない。

雀右衛門 それどころか「なにやってんだい堅気に手を出して!」「お位牌に言ってごらんよ」と啖呵切ってます。女ひとりで子供を護っているところに乗り込まれてきているのに。強いですよね。

── そこへ辰三郎が命からがら帰ってきます。お蔦の、ふっと緊張が解けた感じが全身から伝わってきます。

雀右衛門 あのときは本当にうれしくて心からホッとしますね。辰三郎がたとえさまざまな問題を抱えていたと知っても。それに「汚いお金なら欲しくないよ」と言い切る強さも変わっていません。

── 突然誰かが扉を開けて現れたと思ったら、茂兵衛でした。

雀右衛門 まずは「また誰かが戻ってきたのか? 怖い」という思いが先に立ちます。茂兵衛はこの家族を助けようと探し訪ねてやってきたのに、お蔦はびっくりするほど茂兵衛のことを忘れているんです。茂兵衛は一文無しでお腹空かせて死にそうになっていたところを助けてもらったわけだから、お蔦に恩をずっと感じている。でもお蔦にとっては最初に出会った日のことはそれほど印象的ではなかったんですね。流れていく日々の出来事のひとつであって。

── 儀十親分の一味が再び襲ってきたとき、茂兵衛が頭突きで向かっていく、あの瞬間に「茂兵衛だ」と気が付くのですか。

雀右衛門 そこに至るまでに、「ああ誰だろう、何があったんだっけ」と頭の隅でずっと考えてはいるんです。それがあの頭突きを見て一気にいろいろな記憶がひとつに結び付いて、「あのときの取的だ」と。

── 客席は「お蔦さん、早く気づいてあげて」とちょっともどかしい思いで見ているのですが、あの思い出した瞬間に、客席でどっと笑いが起きます。

雀右衛門 「思い出した!」と全身でとびあがらんばかりのしぐさに、皆さんやっとホッとされて「茂兵衛さん、よかったね」ということでしょうね(笑)。

──再会するまでの10年、茂兵衛がお蔦に対して抱く気持ちとはどんなものだったのでしょう。

雀右衛門 恩義を感じていたでしょうし、助けてくれた時の嬉しさ、同い年くらいの女性ですから親しみも感じたでしょうし、母の思い出も重なったでしょう。お蔦に対していろいろな思いを抱いていたと思います。

── でもお蔦は茂兵衛に対して特に何かを思い続けていたわけではなかった。

雀右衛門 全然、ないです。家族三人で逃げること、暮らすことで精いっぱい。最後に花道を家族で逃げていくときも、茂兵衛にもっとお礼を言いたい、でも今はとにかくここから三人で無事に逃げたい。その一心だと思います。

── 序幕では茂兵衛がお蔦に礼を言いながら花道を引っ込み、大詰ではお蔦一家が茂兵衛に礼を言いつつ逃げるように引っ込んでいきます。

雀右衛門 そうですね。絵面としても対照的な構図になっているんだと思います。

吉右衛門さんの茂兵衛の思い出

──このお蔦というお役、雀右衛門さんはどこに魅力を感じていらっしゃいますか。

雀右衛門 辰巳の芸者とはまた違う強さを持っていて、一方で一途で純粋な気持ちを持ち続ける、そんな女性の強さ。それを感じていただけたらと思います。

── 初役、前回と、吉右衛門さんの相手役をされました。吉右衛門さんの茂兵衛の思い出を教えてください。

雀右衛門 取的のときはチャーミングでいらして可愛くて、再び出てきたときはゾクッとするようなカッコよさだったじゃないですか。前半と後半で全く違う魅力。両方を持ってらっしゃいましたね。私のお蔦に対しては、「お父さんのお蔦を勉強してやってください」とだけで、あまり細かくあれこれはおっしゃらなかったのを覚えております。

── 今月は(松本)幸四郎さんの茂兵衛、尾上松緑さんの辰三郎、市川染五郎さんも根吉で出られます。

雀右衛門 父も若い立役さんのお相手をたくさんさせていただいておりました。私も相手の方が若い方ということで特別に何かを変えることはないですが、いつもどおり、父のお蔦、そして自分のやってきたことをよく消化して勤めたいと思います。

── 雀右衛門さんお勧めの見どころを教えてください。

雀右衛門 とにかく登場人物が皆個性豊かですよね。老船頭や船大工などにも独特の風情が漂っています。利根川の渡し場をいろいろな人々がやってきては通り過ぎていく。皆がそれぞれ自分の人生を生きている。そんなところも楽しんでいただけたらと思います。

── 雀右衛門さんの口ずさむおわら節も楽しみです。

雀右衛門 唄は得意というわけではないので、できるだけ、「ああ鼻歌唄ってるな」という感じが出せればと思っているのですけどどうなりますか(笑)。

 

取材・文:五十川晶子 撮影:源賀津己

プロフィール

中村雀右衛門(なかむら・じゃくえもん)

1955年生まれ。四代目中村雀右衛門の次男。’61年2月歌舞伎座「一口剣」の村の子明石で大谷広松を名のり初舞台。’64年9月歌舞伎座「妹背山婦女庭訓」のおひろで七代目中村芝雀を襲名。2016年3月歌舞伎座より五代目中村雀右衛門を襲名。人間国宝で名女方だった亡父・雀右衛門の華やかな芸風を継承する任務を負う。

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