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「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集

坂東彌十郎 『文七元結物語』 大店の主の雰囲気を大事に。近江屋卯兵衛

第20回

幕末から明治にかけて活躍した落語家・三遊亭圓朝の「文七元結」という人情噺を、歌舞伎の『人情噺文七元結』としてご存知の方も多いだろう。今月の歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」では山田洋次監督が脚本・演出を一新して、新しい『文七元結物語』となって上演中だ。

<あらすじ>

性根がまっすぐで腕も立つ左官の長兵衛だが、博打好きが災いして年中貧乏暮らし。女房お兼も愛想を尽かしている。そんな不甲斐ない長兵衛のために、可愛い一人娘が身を挺して用立てた五十両の大金。その大事な金を懐に、帰りを急ぐその道すがら、近江屋の手代・文七が大川に身投げしようとするところに行き合ってしまう……。

歌舞伎好きな方なら「『人情噺文七元結』の方とどのへんがどう変わるのだろう」が当然気になるし、また「中村獅童と寺島しのぶが長屋の夫婦役ってそれ絶対面白いやつだ!」とワクワクしている方も多いはず。

そこで今回の深ボリ隊は、まさに稽古まっ最中の坂東彌十郎さんを直撃した。彌十郎さんは『人情噺文七元結』では和泉屋清兵衛を、そして今回はその清兵衛を思わせる役どころ近江屋卯兵衛を、いずれも山田洋次監督の下で勤めている。彌十郎さんから見た卯兵衛という役、そして『文七元結物語』の魅力について語ってもらった。

Q.出てきただけで商人とわかる卯兵衛、あの雰囲気はどうつくる?

2023(令和5年)歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」昼の部より『文七元結物語』で近江屋卯兵衛を勤める坂東彌十郎さん 写真提供:松竹(株)

── いわゆるおなじみの『人情噺文七元結』といえば、彌十郎さんが名題披露をされた思い出の狂言ですね。

坂東彌十郎(以下、彌十郎) そうなんです。長兵衛を勤められた中村屋のおじさん(十七世中村勘三郎)が名題披露をしてくださって、文七を今の松嶋屋のおにいさん(片岡仁左衛門)、(澤村)藤十郎のおにいさんがお兼、(坂東)玉三郎さんがお駒で(二世坂東)弥五郎さんの大家、そして今の(清元)延寿太夫がお久ですから、とても豪華な顔ぶれでした。そして父(初代坂東好太郎)が和泉屋清兵衛でした。実は父とは同じ舞台にいることが本当に少なくて、初舞台も別の劇場だったんですよ。僕が25歳の時に亡くなったので、たぶん10年も一緒にやっていないんじゃないかな。

2007(平成19)年10月新橋演舞場『人情噺文七元結』より
シネマ歌舞伎『人情噺文七元結』ブルーレイ¥6,270/DVD¥5,170 好評発売中/発売・販売元:松竹 (C)松竹

── このとき彌十郎さんは鳶頭伊兵衛を勤められました。

彌十郎 あの鳶頭の衣裳、「どんぶり」と「紺ぱっち」というものなのですが、僕に合う寸法のものがなくてね。衣裳さんが僕の身長に合わせて作ってくださって。しまいには「これあげます」ってくださったんです。他の方には使えないのでね。ありがたくいただいて、実際にお祭りに着ていったことがあります(笑)。自前でしばらく持っていましたよ。

── 上背が183㎝でいらっしゃるので、歌舞伎役者さん達の中で現時点で一番ではないですか。

彌十郎 おそらくそうだと思います。いまだに衣裳屋さん泣かせで、「この柄いいね」となっても寸法がないんです。反物って機織り機の幅の寸法が決まっているんですね。僕の場合は足すか、新たに機織り機を特注しなくちゃいけないんですよ。

── 今回の『文七元結物語』の近江屋卯兵衛は『人情噺文七元結』の方の和泉屋清兵衛の役どころに重なりますが、清兵衛はこれまで2度なさってます。いずれも長兵衛が(十八世中村)勘三郎さんで。そのうち一度は山田監督の補綴で新橋演舞場で上演され、シネマ歌舞伎にもなりました。

彌十郎 はい。父がやっているのを見ておりましたし、もともとなじみのあるお役です。

── 清兵衛は白銀町の小間物屋の主ですね。

彌十郎 小間物というのはふだん使う小物、たとえば櫛、簪、そういった身の回りのものですね。ただ今回の卯兵衛は鼈甲(べっこう)問屋の主という設定なんです。出についても山田監督からは、「長兵衛のうちは本所(現墨田区)の川向こう、舟で大川を渡ってきたというつもりでいてくれ」と。それだけの距離を訪ねてきた、舟で揺られながら「文七を助けてくれたのはどんな人なのだろう。何とか文七がもらってきた五十両を返さなければ」という思いでやってきた、そんなつもりで出てくるようにしています。

── 『人情噺文七元結』の方では長兵衛に「あの人誰だい?」と言われ、埃にごほごほとむせながら奥へ入ります。

彌十郎 そこは今回ちょっと変わりますね。長兵衛の家の前まで行ってみると中から大喧嘩している声が聞こえてくるのでちょっと戸惑いますが、まああの時代そういう長屋はいくらでもあったでしょうからね。

── 挨拶のしかた、立ち方、お辞儀のしかた……出てきただけでパッと侍ではなく商人だとわかるんですよね。こんなこと、役者の皆さんにとってはごく当たり前のことかもしれませんが。

彌十郎 これはもうね、役者として昔からいろいろな方の芝居を拝見して身につけていることなので、「ここをこうしています」と説明するのは難しいです。ただ若いころ僕らが言われたのは、役によって物の持ち方が違う、煙管(きせる)も持つ位置が違うと。侍、商人、職人で、煙草入れの素材から煙草の出し方まで立場によって変わってくるんですよ。

── 『人情噺文七元結』は貧しくて真っ暗な長兵衛の家から始まりますが、今回装置がまた大幅に変わりますね。

彌十郎 もうね、いつもの『人情噺文七元結』の方は念頭におかずに観ていただきたいです。「いつもと違う」というよりは「新しいお芝居なのだ」とね。

── では清兵衛が文七に持たせる酒樽が行ったり来たりするくだりも……。

彌十郎 そこもありません。なのでそのへんもいったん忘れてください。

── しつこくてすみませんがもうひとつ。「お久を(文七の)嫁に」というくだりで、長兵衛が「清兵衛の嫁に?」と勘違いする場面では、客席がどっと沸きますが、この場面も変わりますか。

彌十郎 そこは今回もありますので、卯兵衛としてやります。前回山田監督の補綴で出演したとき、監督がそこにこだわっていらして。ずっと穏やかだった清兵衛が、ここで急に「私ではありません!」と慌てて叫ぶのですが、清兵衛にはもともとそういう性格、そういう一面があるということでやりました。まあでもやっぱり、とにかくいろいろな先入観は捨てて、初めての新しい物語としてご覧いただけたらと思います。

世話物に欠かせない江戸訛り

── このお芝居に限らず、『仮名手本忠臣蔵』五段目の斧定九郎の「五十両」という台詞など、歌舞伎では五十両というお金の単位がよく出てきます。

彌十郎 五十両、よく出てきますね。

── まさにその「五十両」という言葉のイントネーションが、現代なら「ごじゅ↑う↓りょう↓」と「両」で下がりますが、歌舞伎では「両」で下がらない、「ごじゅ→うりょお→」と平坦な言い方をしますね。これを聞くたびに、「ああいいなあ、歌舞伎を観ているなあ」と実感しています。

彌十郎 百両も「ひゃく→りょお→」ですよね。まっすぐ言って、語尾が下がらない。江戸の訛り、江戸の言いかたです。他にも例えば、今は「おやじ」は語尾を下げないで言いますでしょ。「おやじギャグ」という言葉で言うように。でも江戸時代は「お↑や↓じ↓」とだんだんに下げて言いますね。そういう江戸の訛りを実際に耳にすることがなかなかできなくなりました。

── どうやって身につけるのですか。

彌十郎 亡くなった勘三郎さんとよく古い落語のテープを聞きましたね。志ん生さんのテープ聞いて「あ、これはこう言うんだ」とか、落語家の方にうかがって江戸の訛りを勉強したものです。特に世話物では大事ですから。落語家さんも、一世代、二世代上の方の言葉の使い方、しぐさに触れると、ああ江戸時代の人々ってこんなだったのかなと思わせてくれますね。歌舞伎でも、昔は楽屋の名題下(なだいした)さんの部屋へ行くと大きな火鉢があって、年配の役者さん達がその前に座っていて、僕らが「おめでとうございます!」って挨拶に行くと「はいおめでとう」と。それがもうね、江戸時代の芝居小屋の楽屋もこうだったのかなと思わせる雰囲気だったんです。またそういう人たちが言ってくれるんですよ。「お前さん、あそこ訛ってるよ」「あそこおかしいよ」ってね。たとえば『人情噺文七元結』に出てくる台詞で、お久を「森下の方まで探しに行った」というところ、弥五郎さんは「あれは、森↑下↓ではなくて森↑下→と語尾は下げないんですよ」と。

── 地下鉄の駅名としていう時は森↑下↓と下げて言いがちです。

彌十郎 森の下の地域だから森↑下→なんですね。木場も木のある場ということで木場↓ですからね。われわれは元々やっていた、言っていたやり方をできるだけ覚えておかないと、そのうち元はどうだったのか分からなくなってしまいます。元が分かっていれば変えてもいいと思います。僕も以前は寄席によく通ったものですが、コロナ以降、なかなか行けなくなってしまいました。僕らは落語家さんとはやはりお付き合いがありまして、亡くなった(四世市川)左團次のおにいさんは寄席の高座へ上がって一席披露されたことがありますし、落語家さんが芝居をする「鹿芝居」のお稽古に僕らが行ったりしたものです。

お客様がその時代にタイムスリップできるように

── 山田監督も落語がお好きだそうですね。稽古場の雰囲気はいかがですか。

彌十郎 卯兵衛について「舟で川を渡ってきたつもりで」と監督には言われたとお話しましたが、こういう芝居の作り方は、特に若手にとって勉強になるんじゃないですか。戸惑っている人もいましたけどね。例えば、文七が長兵衛からもらった手拭い包みを、まさか五十両とは思わず川へ放り投げようとするとき、どの段階で「おや」と思うのか、どこで五十両という金の重さに気づくのか、と。腕はもう投げようと振りかぶっているのに、どこかで「おや」と感じて動きを止める、それはどの時点なのか。たしかにそれを考えた上で表現するのは理にかなっている。監督は「段取りではなく気持ちでやってくれ」ということをよくおっしゃいます。よくわかります。でもこれはなかなか難しいです。

2023(令和5年)歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」昼の部『文七元結物語』より 写真提供:松竹(株)

── そしてその文七を(ご子息の坂東)新悟さんが勤められます。

彌十郎 もうね、親と子ではなくあくまでも文七と卯兵衛ですから。今新悟の芝居については一切口を出さないですし、ダメ出しされている時も僕はできるだけ離れているようにしています。いつもの『人情噺文七元結』の方の文七ならちょっとつっころばしなところのある役ですが、今回は監督の描きたい文七に食らいついて頑張っていると思います。どんな役でもそうですが、この経験が彼にとって他の芝居にも通じる財産となっていけばと思います。

── 長兵衛を中村獅童さんが、お兼を女優の寺島しのぶさんが勤めることも話題です。

彌十郎 おふたりは若い頃よく一緒に飲んだりしていましたし、僕もそこに入って、大勢で飲んでいるテーブルの端っこで三人であれこれしゃべったりしたものです。懐かしいですね。そんなおふたりとご一緒に芝居ができて楽しいですよ。

── 近江屋卯兵衛というお役、彌十郎さんとしては何を大事に勤めたいと思ってらっしゃいますか。

彌十郎 江戸の大店の旦那の雰囲気ですね。お客様が、その時代、その場所にタイムスリップできるような雰囲気を出せればいいなと思います。どの芝居でもそうですが、やはりその役の雰囲気があるかどうか。いくつになっても難しいですが、そこを苦労せずに出せるような役者でありたいなと。それが江戸時代でも、たとえ未来でもね。

2023(令和5年)歌舞伎座「錦秋十月大歌舞伎」昼の部『文七元結物語』より 写真提供:松竹(株)

── 山田監督の下、古典と新作で同じ役どころを勤めていらっしゃるというのも貴重な機会ではないでしょうか。

彌十郎 ほんとにそうなんです。以前『人情噺文七元結』でご一緒して、また声をかけていただいたことがまずありがたい。他の仕事と重なったため僕だけ遅れてお稽古に入ったのですが、監督からは前もって「前にも一緒にやっていますし、僕の考えはわかってくれているでしょうから」という伝言をいただいたんです。逆にプレッシャーでしたけれどね(笑)。でも僕を信じてくださって、お役をいただける、こんな役者冥利なことはありません。

 

取材・文:五十川晶子 写真(彌十郎さんインタビュー写真):荒川潤

プロフィール

坂東彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)

1956年生まれ。往年の銀幕スター・初代坂東好太郎の三男。’73年5月歌舞伎座『奴道成寺』の観念坊で坂東彌十郎を名のり初舞台。’78年2月『人情噺文七元結』の鳶頭役で名題昇進。近年ではコクーン歌舞伎、平成中村座など、十八代目中村勘三郎との共演も多く、平成中村座の海外公演にも参加。'22年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』や'23年TBS系ドラマ『VIVANT』等テレビドラマでも活躍。

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