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「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集

中村芝翫『鎌倉三代記』 この男の凄み、カリスマ性を。安達藤三郎実は佐々木高綱

第21回

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歌舞伎の、特に時代物の登場人物たちは、しばしばその本性を隠して生きている。そしてここぞというときにガラリと顔つきや外見を変えて本来の姿を顕す。時に前半と後半であまりにもギャップが激しくて、同一人物とは思えないことも。だがそれほどまでして本性を隠さなければならないわけが、彼ら/彼女らにはあるのだ。11月「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部の『鎌倉三代記』にも、前半と後半で大きく変貌するヒーローが登場する。安達藤三郎実は佐々木高綱だ。

<あらすじ>

源頼家に仕える三浦之助は、絹川村で療養をしている母長門のもとへ別れを告げにやってくる。そこで長門をかいがいしく世話していたのは、許嫁であり、敵である北條時政の娘・時姫だった。そこへ百姓の藤三郎が時政の命を受けてやってくる。時姫に言い寄ろうとすると逆に斬りつけられそうになって井戸へ逃げ込んでしまう。実はこの藤三郎こそ、時政を討つために三浦之助と裏で手を組む佐々木高綱だった……。

前半の安達藤三郎のいで立ちは典型的な雑兵の姿で、ちょっとちゃらついたところなど『仮名手本忠臣蔵』の鷺坂伴内を思わせる道外(どうけ)の役どころだ。だが後半は佐々木高綱として頭も顔も衣裳もすっかり変わり、凄みのある武将として顕れる。

今月、この安達藤三郎実は佐々木高綱を勤めているのが中村芝翫さんだ。1995年に国立劇場で初役で勤め、2018年に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」での八代目中村芝翫の襲名披露興行で勤めて以来三度目、歌舞伎座では初めてとなる。

藤三郎はなぜ雑兵姿なのか。藤三郎から高綱へとどんなふうに変貌を遂げるのか。そしてその時、この役を勤める役者の心身には何が起きているのか。芝翫さんにたっぷりと語っていただいた。

Q.道外役・藤三郎と武将・凄みのある武将・高綱、どう演じ分ける?

2023年(令和5年)歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部『鎌倉三代記』より、佐々木高綱を勤める中村芝翫さん 写真提供:松竹(株)

── 安達藤三郎実は佐々木高綱といえば時代物狂言の立役の役々の中でも実にカッコいいキャラクターですが、芝翫さんにとってはどんなお役ですか。

中村芝翫(以下、芝翫) 僕にとってはそれはもうウルトラマンとか戦隊もののヒーローのようなお役です。最初に拝見したのが(二世中村)吉右衛門のおにいさんが初役でなさったときですね。新橋演舞場でした。昼の部の『法界坊(隅田川続俤)』に(十七世中村)勘三郎のおじさまが出ていて、僕は丁稚で出ていた月でした。法界坊では上手に掘り穴がありまして、『鎌倉三代記』には下手の井戸のところに切り穴があるんですよね。当時、舞台の切り穴ってフタを開けるとどこにでも行ける構造だったんですよ。僕が掘り穴から降りてみたら切り穴の下で吉右衛門のおにいさんが拵えしてましてね。僕は小学校4年くらいかな、おにいさん、忙しかっただろうによく遊んでくださって。「お前もいつか、これをやるんだよ」とおっしゃって、高綱の早替りをしているのを見ながら「カッコいいなあ」と思っていました。当時『鎌倉三代記』の物語そのものはまだあまりよくわかっていませんでしたが、後の高綱の「地獄の上の一足飛び」のところなんてよく真似したものです。

── 「絹川村閑居の場」で、富田六郎が引っ込み、舞台には時姫がひとり、守刀を手に、父・北條時政の命と三浦之助への恋との間で思い悩んでいるところへ、安達藤三郎実は佐々木高綱がやってきて、ちらりと暖簾から顔を出します。

芝翫 拵えからしてもう三枚目というか道外役ですよね。藤三郎はここまでのお芝居の雰囲気の中にふっと新しい空気を入れられるようにできればと思います。

── 時姫に言い寄ったり袖を取ったりとちょっと嫌らしい感じですよね。

芝翫 こうやっておちょくりながら、すべては時姫の心底を量っているのでしょうね。本当に時政を討つ気があるのかどうか。(二世尾上)松緑のおじさまが、藤三郎はいわゆる前シテのようなものですから「枠から外れずにきちんと道外らしくやるからこそ、後で高綱が際立つ、響いてくるんだ」とね。もしも現代劇なら井戸に入る前に一瞬真顔になるところを見せるところかもしれないけど、歌舞伎ではそれはしないですね。底を割らない。井戸から再び出てきたところに気持ちを集中させます。

── そして時姫は『本朝廿四孝』の八重垣姫、『金閣寺』の雪姫と並んで歌舞伎の三姫のひとつです。

芝翫 姫といえばのほほんと生きているというイメージがあるかもしれませんが、三姫ともなるとむしろ男気溢れた肝の据わったお姫様なんですよ。時姫が三浦之助やお家をどれだけ大事にしているか、そしてそのはざまで葛藤する姫の辛さが見えますよね。

── 今回は(中村)時蔵さんが三浦之助、(中村)梅枝さんが時姫を、それぞれ初役で勤められています。

芝翫 時蔵のにいさんは類を見ない古風さをお持ちの役者でいらっしゃるし、梅枝君は三姫のような重厚な役をしっかり勤められる女方さん。僕も父(七世中村芝翫)や兄(中村福助)が女方の大役を勤めた後の様子をよく覚えていますが、梅枝君にもそれ似たものを感じるんです。その役の重さ、重圧や重責を、彼がしっかり受け止めているからだと思います。そういう女方さんが今の若手の役者たちの中にいてくれることが、僕はすごくうれしいんです。梅枝君の時姫、立っている姿がなんともいえずにいいんですよ。藤三郎である僕の角度から見ているんですが、時姫の後ろには竹本の床が見えて、「ああいい姿だな」「芝居っていいな」って、藤三郎の姿をしていますが毎日そう思っています。

── 藤三郎として時姫に見惚れているようで、実は芝翫さんご自身も見惚れているんですね。

芝翫 そうなんですよ(笑)。

いわゆる「芝翫型」との違いは?

── この『鎌倉三代記』は大坂夏の陣の史実が基になっていて、北條時政は徳川家康、佐々木高綱は真田幸村、時姫は家康の孫娘の千姫がモデルとされています。この藤三郎には、家康から「千姫を救い出して来たらお前の妻にしていい」と言われて千姫を助け出して火傷を負ったという坂崎出羽守のエピソードも入っています。

芝翫 昔の方はきっと「時姫ってもしかして千姫のこと?」とか、読み解くのも楽しんでいたのじゃないかな。最近の子供たちは日本史のごくわずかな部分しか習わないんですってね。僕ら歌舞伎の古典に関わる人間としては残念ですよ。曽我兄弟、源平、関ヶ原と忠臣蔵のお話をご存知であれば大概の歌舞伎はクリアできるんですけどね。

── 藤三郎は時姫に斬りつけられそうになり、あたふたと井戸の中に逃げ込みます。そして後に高綱となって現れますが、高綱のこしらえは、では楽屋に戻って、ではなくて井戸の下あたりでなさっているわけですね。

芝翫 そうなんです。屋体(舞台上に組まれた建物)の下のあたりで顔をし替えています。だから三浦之助と時姫が話しているのが聞こえているんですね。時姫が父を討とうという決意をしているところを、藤三郎から高綱に変わっていく、その瞬間に耳にしているので自然に役作りが出来ているような気がするんです。

── 初役でなさったときのお写真を見ると顔のしかたが今とはずいぶん違っているようです。今よりもずっと黒々と太い眉、太い隈を取っていますね。

芝翫 初役は28年前でしょ。僕は30歳ごろです。役の心情がなかなか追いついていかないのに、できるだけデフォルメして描いて少しでも存在を大きく見せたいと思っていました。その後、三浦之助を勤め高綱を客観的に見ることができるようになり、そしてその後、襲名披露では『盛綱陣屋』の高綱の兄にあたる佐々木盛綱もさせていただきました。盛綱は高綱の偽首の首実検するわけじゃないですか。そういう関連する役を重ねていって金毘羅で二度目の高綱を勤めました。この西と東の合戦のことをだんだんと立体的に捉えられるようになった気がしています。そんなわけで金毘羅の時もそうでしたが、今回はさらにあまり顔をしていないんです。

── たしかに今回は細く薄めに二本、隈が取られています。

芝翫 これ茶墨(ちゃずみ)といいますが、あまり描いていないんですよ。それだけ役の心情をより深く捉えられるようになった……ということだったらいいのですけどね。

── 高綱として井戸から姿を現したときに髪をぬぐいますね。これがまた凄みがあります。

芝翫 この井戸の中がどんな状況だったのか、蜘蛛の巣や泥がへばりついていて、それが髪にくっついてうっとうしいなという、そういう感じが伝わるといいなと。単に空の井戸からぬっと出てきたのではなくてね。

── まず左の鬢あたりに、左手ではなく右手をやるのがカッコいいんです。

芝翫 (『仮名手本忠臣蔵』の)斧定九郎も髪をこうぬぐいましょう? (初代尾上)辰之助のおにいさんに教えていただいたんですよ。「小指からこうやってぬぐうと色気があるぞ。首ももっとこう動かすといい」と。それから「お前、一度落ち葉の中に頭つっこんでみて髪の毛に着いた枯れ葉とか取ってみろ。動きがわかるから」ともね。高綱は「水入り」というちょっとグロテスクな鬘ですから余計に凄みがあるかもしれません。

── この着付け、これは亀甲柄といえばいいのでしょうか。

芝翫 そうです亀甲柄です。実はこの高綱にはもうひとつ「芝翫型」と言われているやり方があるんです。(十世坂東)三津五郎の兄貴がやっていたのがそれです。『義経千本桜』の「鳥居前」の忠信そっくりな、菱皮という頭に仁王襷の扮装なんですね。こちらは本行(人形浄瑠璃)をベースとしています。四代目の芝翫がこの拵えでやっている錦絵が残っているんですが、残念ながら五代目芝翫は高綱をやっていない。ということで、実はうちには芝翫型としてのやり方が残っていないんです。三津五郎の兄貴がやっていらしたのは八代目(坂東)三津五郎さんがなさっていたやり方ということになると思います。「芝翫型というよりは八代目三津五郎型なのかな」と三津五郎の兄貴も言っていました。僕が教わったのは亀甲柄の衣裳から六文銭の柄の衣裳にぶっかえる方で、初代吉右衛門くらいから始まったのでしょうか、そちらのやり方でなさる方の方が多いですね。

── 初役のときも、二度目の金毘羅のときも、こちらで勤めてらっしゃいますね。

芝翫 金毘羅のときは(長男の中村)橋之助が「鳥居前」の忠信をやっていたので、扮装が被るのでやらなかったんです。でも今回はどちらにするか悩みに悩んだんですよ。でも成駒屋としては型が残っていないし、僕自身は初役のときに(松本)白鸚のおにいさまに教えていただいたので、やはりそちらでやろうと。

── 菱皮の忠信のような扮装の方の高綱には荒事めいた華やかさを感じます。高綱の亀甲柄からぶっかえる方はやはり一段とドラマチックです。芝翫さんはこのふたつのやり方に、役の性根の違いを何か感じますか。

芝翫 それはよく聞かれることなのですが、僕は一緒だと思いますね。

まるでラップのよう!? 高揚していく高綱のノリ地はやっていても心地良い

── そして「実に(げに)名にしおう、坂(大坂をかけている)本の総大将」でぶっかえって、真田幸村を思わせる六文銭柄の着付けに。

芝翫 これはもうほんとに優れた演出ですよね。歌舞伎の先人の知恵です。このあとノリ地(三味線の旋律に乗せて台詞を調子よく語ること)になります。若い人から「ラップみたいですね」って言われたのですが、確かに高綱のノリ地はやっていても心地良いですね。だんだん高揚していく、高綱がどんどん本性を顕してエネルギーを蓄えていくような気持ちになるんですよ。

2023年(令和5年)歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部『鎌倉三代記』より、佐々木高綱を勤める中村芝翫さん。ぶっかえりで六文銭柄の着付けに

── 声の出し方、使い方には何か決まりがあるのですか。

芝翫 これはねその日その日で塩梅が違ってくるんです。竹本の三味線にべったり乗る、いわゆるベタ乗りしないでうまく外せるときもあれば、外そうとして逆にベタ乗りになってしまったり。(二世尾上)松緑のおじさんやうちの父(七世中村芝翫)は「美空ひばりは声の使い方がうまい。合っているようで外しているようで、あれはうまいこと声を使っているんだよ」と言っていたものです。それとね、あの「水入り」の鬘だと耳の部分が覆われていて音が聞こえにくいんですよ。自分で竹本の三味線を弾くなどして身体に入れておかないと分からないことがあるんです。『車引』の松王丸も板鬢という鬘で耳の部分がふさがれているから自分の声の返りが聞こえづらくてね。声量が足りているか、大き過ぎないか、生け殺しの加減が難しい。やはり「鳥居の数」(経験した回数)なのかな。

── 舞台にはモニターなんてありませんしね。

芝翫 襲名してから大きなお役を頂くことが増えて、上のおにいさん方と一緒になることが多く、いろいろ言っていただいたり、お叱りを受けたり、「お前、あそこは声張らない方がいいよ」「もっと抑えてやってごらん」と言われてなるほどたしかにその通りだとわかってきました。そしてノリ地の中でもどこを強調するか、お客様にそこが刺さっているかどうかが大事ですね。白鸚のおにいさま、吉右衛門のおにいさまは間違いなく的に当たっているでしょう。そこが自分にはいまだに足りないなと思いながら勤めています。

── そして竹本の「地獄の上の一足飛び」で幽霊見得、両手をだらりと下げて舌を出しますが、不気味で凄みのある形です。

芝翫 ここでは高綱という男の個性の強さ、ちょっとナルシズムというかカリスマ性を感じるんです。この役は真田幸村がモデルですよね。今年の大河ドラマ『どうする家康』で石田三成を(中村)七之助君がやっていますが、三成は戦を遠くからメールで指示を出しながらやっているようなところがあって、幸村は逆に自分が実際に赴いて直談判して物事を進めていく人だったように思うんですよ。

── 「一足飛び」には、幸村自ら真田丸から出陣し、あれよあれよという間に家康の喉元まで攻め、あと一歩のところまで追い詰めたという伝説もイメージさせますね。

芝翫 そうなんです。高綱にもそういうところがありますね。自分自身で身一つで突撃する、そういう執念が。千姫を救い出そうとして火傷を負った坂崎出羽守のエピソードを模しているそうですが、時政に入れ墨をされて喜び、「うはははは」と大声で笑うところもありますでしょ。もうここでは高綱は間違いなく家康=時政に勝利すると思ってますよ。その思いなくして戦うことはできないんだと思います。

── この間ずっと足の親指をしっかり立てていて、荒事のような力強さも伝わってきます。

芝翫 やはりこの物語の英雄ですから、強く大きく見せたいんですよね。ただ今回僕は丸さを出したくて。10月の国立劇場『妹背山婦女庭訓』で漁師鱶七を勤めまして、この時も高合引(時代物などで用いる高い腰かけ)に座っていたのですが、今回はそれより10㎝ほど低くしているんです。ふくよかさ、座った形のきれいさ、竹本にもあるけれど「どっかと座」している感じを出したくてね。腰かけているというのではなくて。

── そして三浦之助の持っている弓で三浦之助を打擲(ちょうちゃく)します。

芝翫 『絵本太功記』でも武智光秀が軍扇で十次郎を叩いたりしますが、「さあ戦だ」と喝を入れる、心をひとつにするということでしょうね。

── 高綱というお役はやはり気分の良いお役ですか。

芝翫 楽しいですねえ(笑)。発散出来ますし、三浦之助や時姫が散々苦労した後に、“一足飛び”でツンツンツンといいところ全部持っていっちゃうんですから。

── 本行の結末では琉球に行ってしまうのですよね、高綱。

芝翫 そうそう、さらに奇想天外、荒事めいたことになります。

── 過去に三浦之助もなさっていますね。兜に香を焚きしめたという若武者で、美しいだけでなく幕切れまで手負いの状態が続く大変なお役だと思いますが。

芝翫 三浦之助はね、やはり骨が折れます。白塗り二枚目はやはり肌に合わないといいますか、「え~~い!」ってなっちゃいます(笑)。

取材・文:五十川晶子 撮影(舞台写真除く):源賀津己

プロフィール

中村芝翫(なかむら・しかん)

1965年生まれ。七代目中村芝翫の次男。’70年5月国立劇場『柳影澤蛍火』吉松君で中村幸二の名で初舞台。’80年4月歌舞伎座『沓手鳥孤城落月』裸武者銀八ほかで三代目中村橋之助を襲名。2016年10・11月歌舞伎座で八代目中村芝翫を襲名。立役として時代物、世話物、新歌舞伎、舞踊など幅広い分野で数々の当り役を持つ。テレビ・映画にも多数出演し、’97年NHK大河ドラマ『毛利元就』では主演の毛利元就役を勤める。

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