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「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集

中村魁春『伊勢音頭恋寝刃』仲居万野 好きな男をとことんいじめる女

第25回

歌舞伎の女方の役の中にはダーティな悪女や毒婦の役も少なくない。時代狂言なら『伽羅先代萩』の八汐や『加賀見山旧錦絵』の岩藤、世話狂言なら『於染久松色読販』の土手のお六や『盟三五大切』の妲妃の小万などなど。

中でもトップクラスで意地の悪い女といえば、「三月大歌舞伎」の夜の部で上演中の『伊勢音頭恋寝刃』の仲居万野だ。主人公の福岡貢をとことん邪険に扱う。貢は万野にずっとむかむかさせられ、満座の中でも恥をかかされ、ついにその怒りを爆発させる。

<あらすじ>

伊勢神宮の神職である御師の福岡貢は、かつての主筋今田万次郎が紛失した名刀「青江下坂」とその折紙(鑑定書)の詮議に奔走している。やっとのことで青江下坂の刀を手にして伊勢の古市の茶屋油屋へ赴くが、万次郎とは行き違い、仲居の万野からは散々嫌がらせをされ、なじみの遊女お紺からも愛想尽かしされ、貢はついに妖刀・青江下坂で次々に人を斬ってしまう。

弁の立つ万野と応戦する貢。テンポ良くリアルなふたりのやりとりはもはや現代の対話劇のよう。そしてこの万野、一見地味な仲居にすぎないのだが、『伊勢音頭』という狂言のクライマックスを盛り上げる重要な役どころだ。

今月この万野を勤めるのは中村魁春さん。2015年に国立劇場で勤めて以来2度目となる。なぜこうも執拗に貢をいじめるのか。いじめ方にはどんなこだわりがあるのか。稽古が始まったばかりの魁春さんを直撃してたっぷりとお話をうかがった。

Q.執拗に貢をいじめる万野、その心の内は……?

2024(令和6)年3月歌舞伎座「三月大歌舞伎」夜の部通し狂言『伊勢音頭恋寝刃』より、仲居万野を勤める魁春さん 写真提供:松竹(株)

── 魁春さんが仲居万野を初役で勤められたのが2015年国立劇場でした。

中村魁春(以下、魁春) 「え、私が万野を?」と思いましたよ。ずっとお岸をやってきて、その後一度だけ兄(中村梅玉)の貢でお紺を勤めましたので、そのときも自分はお紺かなと思っていましたからね。そもそも自分の役ではないと思っていましたし。

── 自分の役ではないというのは、いわゆる敵役のような役どころだからですか。

魁春 そうですね。遊女のお岸からお紺と勤めたら、普通はやらない役ですよね。ただ父(六世中村歌右衛門)が万野を何度か勤めていましたし、特に(二世中村)鴈治郎おじ様のときに父が万野で私がお岸をやっており、毎日父の万野を見ておりましたのでね。「おっかないな、ふだんの父と変わりないな」と思ったものです(笑)。でも面白いお役ですよ。父の五年祭(2006年)で今の松嶋屋さん(片岡仁左衛門)が貢のとき、実は兄も万野やりたかったらしいです。でも「幕切れを取る大事な役なのでぜひ喜助で出てほしい」ということで、その際は喜助を勤めていました。

── 拵えからまずは教えてください。この狂言、登場人物たちの衣裳が皆涼やかで、また皆団扇を手にしていて、じわっと暑い伊勢の夏を感じさせます。頭はさっ笄(さっこうがい)という鬘ですね。

魁春 こういう茶屋の仲居などの役のときはたいていこれです。働いているので乱れにくいのもあるでしょう。顔の色はまっ白ではダメですが、砥の粉地(茶系の肌色)は弱めにして、千野とか他の仲居よりは少し綺麗めに明るくしています。顔も目張りは多少強めにしていますし、鬘のクリ(生え際)も丸くしないできつめです。もうね、形(なり)だけでもなんとか役に近づけないとね(笑)。万野は黒の明石という夏の着物が基本ですが、途中で着替える方もいます。私は父のやり方にならって最初の黒のままさせていただこうと思っています。貢が白っぽい絣なので万野との対比が綺麗ですよね。それにお紺、お岸も色彩が役柄に合っていると思います。裾は引いています。引かないと役が世話っぽくなるんですよね。この狂言は時代物ではないけれど、どこか時代っぽい雰囲気が必要なので。

2024(令和6)年3月歌舞伎座「三月大歌舞伎」より、仲居万野を勤める魁春さん。黒い着物が貢の白地の着物と対照的 写真提供:松竹(株)

── 「秋の七草」の下座で、暖簾を分けて出てきます。

魁春 万野って貢のことが好きなんですよ。でもまるで相手にされていない。一方で貢は遊女お紺とは深い仲でしょ。だから嫉妬心があるんです。貢に久しぶりに会えたというのと同時に、どうせお紺に会いにきたのだろう、という思いがあって、ついねちねちと言ってしまうんです。

── そもそもこの伊勢の古市という当時の一大観光地の茶屋の仲居というのはどんな立場なのでしょう。

魁春 今回はこの茶屋の女将さんなどは出てきませんが、まあ仲居頭ですから人を差配する仕事をしているのでしょうね。この万野は、祝儀をあげないと何もしてくれないような感じがします。

── 貢がお紺はいないのかと問うので、「お紺は今日は芝居の初日で阿波の客と大坂屋でタテになる」というようなことを言います。

魁春 大坂屋の座敷に出ておしまいで、こっち(油屋)へは来ない、だから待っていてもしかたないよと言いたいのでしょうね。好いた男だけど、金にはならないからさっさと帰ってくれと。

── 貢からすれば毎日来ているのだから、今日油屋で開かれる特別な舞の会くらい見てもいいじゃないか、と言います。

魁春 これも相手が万野でなければちょっとくらい見せてもらえたかもしれませんよね(笑)。万野からすればお紺には会わせたくないし、「一文にもならないお客はうっとうしいものじゃ」という台詞がありますが、あれが本音でしょうね。「酒も肴も山(品切れ)でござんす」と言いますが、これも本当かどうかもわからない。

── 「それが嫌ならどうぞお帰り」と。とにかく意地悪です。

魁春 やっと貢が折れて替わり妓(かわりこ=代わりの遊女)を呼ぶとなったら、途端に機嫌がよくなるんです。金にもなるし、お紺との間を切りたいわけですし。

── 「ようおいなんしたな」と途端に態度がよくなります。

魁春 現金ですよね(笑)。このあたり、貢はとにかく受ける側なので、万野がしっかり責めて、たたみかけるようにいじめないといけないんですね。

秘めた片思いが万野をエスカレートさせる

── そしていよいよ貢の腰の物、青江下坂の刀を預かろうという場面になります。この時万野はもうすでに、阿波の侍たちから偽の刀とすり替えるよう、金を握らされて頼まれているわけですよね。

魁春 ここがちょっと複雑なところなんですよ。刀をかすめ取りたいのなら、貢にはここにずっといさせておいた方がいいのに、万野の個人的な気持ちとしてはお紺と貢の間に嫉妬しているので、貢に帰れ帰れとさんざん言ってしまう。でもここにきて本来の役目、刀をすり替えなきゃいけなかったという役目に立ち戻るのでしょうね。

── でも貢は刀を万野に預けようとしない。ここの「もし貢さん、暑い時分じゃ。どうじゃぞいな」という台詞にしびれます。直接せかすのでもなく、とにかく暑いから、と。

魁春 貢がどうするか決めないのでね。暑いんだからさっさと決めてくれ、はっきりさせてくれと。預けないのなら帰ってくれと。万野からしたら、普段からよく言っている言葉かもしれません。しかし腹の黒い仲居ですよね(笑)。

── 貢は扇を、万野は団扇を、ずっと扇ぎながら台詞をポンポンとやりあっていますね。

魁春 他に大した動きがないので、ちょっとしたしぐさも大事です。他の芸妓たちは花柄の団扇ですが、万野は役者絵の団扇を使うことが多いですね。シンプルな衣裳なので絵が引き立つと思います。万野が贔屓にしている役者かもしれませんね。

2024(令和6)年3月歌舞伎座「三月大歌舞伎」より、団扇の柄は万野が贔屓にしている役者絵? 写真提供:松竹(株)

── そこへ料理人の喜助が出てきて万野の代わりに貢の刀を預かることになりますが、万野は立って出ていくとき、暖簾の手前で喜助にツンというようなしぐさをします。

魁春 あれは人によってなさらない方もいますね。父がやっていたので私はするようにしています。あそこもなかなか難しいんですよ。しつこくやってもいけないし、色気があってはいけないし。

── この引っ込む万野の後ろ姿に隙がないというか、神経が四方八方に行き届いているというか、海千山千の女だなという凄みを感じます。

魁春 この万野も若い頃はもっとスラーッとしていたのかもしれませんね。ここに居ついてしまって、いつのまにか人を差配する立場、仲居頭になってしまったんでしょうね。

── 遊女お鹿に呼ばれて万野は再び貢のいる座敷に出てきます。三枚目だけど純情なお鹿は貢に惚れており、その貢から金の無心状を3度にわたって受け取り、そのつど金を貸したと。貢はそんなものは送っていないし金も受け取っていないと問答となります。その仲立ちをしたのが万野だったということで、再び呼ばれて出てくるわけです。

魁春 この忙しいのになんだろうと思いながら出ていくんですよね。自分が偽の無心状をお鹿に渡して金を横取りしていたことがばれそうになっているとは思わないので、出てきてびっくりします。あくまでお鹿にも貢にも、自分はそんなこと知らないという態度を取るけれど、本当のことが言えないので貢の方をまっすぐに見ることができません。でもごまかすことには慣れているので、その場で口から出まかせがどんどん出てくるんですよ。

── その金を貢に段梯子で渡したとか、奥の座敷で渡したとか、よくもまあすらすらと出てくるものですよね。

魁春 万野もだんだんエスカレートしてきて、自分は潔白だと貫いて逆に貢を追い詰めていこうと思い立つんです。そしてこのときに初めて、この座敷にお紺もいることに気づくんです。「そうかお紺がいるのか。じゃあ貢にとって言われたくないことを言ってやろう」と。

── 貢に対して「顔は美しいけど白似せ」(しらばくれること。とぼけること)だと言い放ち、団扇でつついたり。

魁春 こういうところ、万野はほんとに貢に勝手に片思いしてるんだなと思いますね。そうやってさんざん嫌がらせをする。このあたり実にうまく書かれていて、どなたのを拝見してもテンポがよくて面白いですよね。

── そして貢とふたりでバーッタリで決まります。魁春さん、ここ、もうまばたきすらせずに強気全開で、貢と息もぴったりですね。

魁春 ここはツケも入るところで、決まった形をきちんとやらないといけないところです。その日にもよりますが、芝居の流れでまばたきしていないなんてこともあるでしょうね。とにかくいじめるのがこの役の眼目なのでね。しっかりいじめないと貢もやりにくいでしょうから。

貢の怒りを爆発させるように

── ここからはお紺と貢の縁切りの場面となります。

魁春 ここはしばらく後ろ向きで聞いていますが、貢が「万野め」と言ったときにフーッとたばこの煙を吹きかけます。これもあまり早いうちから吸い始めると煙が芝居のじゃまになるので気をつけています。

── 貢がついに業を煮やして帰ることになります。

魁春 お紺に愛想尽かされていい気味だとも思っているんですよね。

── 皆は験直しで飲み直そうと出ていき、その場はお紺と阿波の侍たちだけになります。

魁春 その後、喜助が貢に渡した刀は阿波の侍の物だと分かり、刀も手に入ったし万々歳で。ところが思い出すんですよね。貢と喜助が主と家来筋の関係であることを。実はここ、ちょっと台詞が言いにくいんですよ。

── 言いにくいというのはどういうことですか。

魁春 前段で万野は替わり妓を呼ぶために暖簾くぐって引っ込んだはずなのに、その後の喜助と貢の話をどこで聞いていたのかとなるんです。どこかで偶然に耳にしたのかもしれませんが。そこはもう芝居の流れでやっています。

── 「えらいがなえらいがな」であわてて褄をとって櫛を胸元にしまって、貢を追って花道を走っていきます。

魁春 あれもよくある形ですよね。『魚屋宗五郎』のおはまも花道を行くとき櫛を胸元に入れます。落としちゃったらもったいない、そういう生活感、世話の感じが出ます。

── 貢は、鞘が偽物で中身は本物の青江下坂の刀を偽物と思いこみ、再び油屋へ戻ってきます。そしていよいよ殺しの場面になります。

魁春 貢を追いかけて慌てて戻ってきた万野が、貢に「刀さえ返してくれれば打ってもいい」と言って、貢に刀で叩かれるのですが、その刀は本物の青江下坂なので、鞘が割れて万野は気づいたら斬られている。今回貢をなさる(松本)幸四郎さんは松嶋屋さんに教わってらっしゃるので、最後に行灯に手をかけて決まってから落ち入るのではなく、貢に口を塞がれて斬られてからは割とさっと息絶えて引っ込みます。

2015(平成27)年10月国立劇場『伊勢音頭恋寝刃』より、仲居万野を勤める中村魁春さん 写真提供:松竹㈱

── 万野は貢へ好意をもっているということですが、愛情表現としては相当に歪んでいますね。

魁春 仲居として働いているうちにお客として通ってくる貢をちょっといいなと思っていたのでしょうけど、絶対に相手にされないのはわかっているでしょうし。かなり年上ですしね。貢が25歳、万野が35歳くらいかなと思ってやっています。

── 歌右衛門さんの台本や書き抜きに何かヒントはありますか。

魁春 父はそういうものに何も書かない人でしたからね。ただ、普段からの地の気持ちでやっていたんじゃないでしょうか。台詞さえ入れば言いたい放題言う役ですから、やりやすかったのではないかなと思いますね。

── 先ほどこの万野を梅玉さんもやってみたかったということでした。立役が勤めることもあるお役ですが、女方が勤める万野ならではの特徴はどんなところでしょう。

魁春 女っぽさのある意地悪なところが出やすいかもしれませんね。立役が勤めると”強く出過ぎちゃいけない”という意識が邪魔しそうですが、女方の方が貢に対して思いきりいじめることができそうです。(尾上)多賀之丞さんの万野など、何度もなさっていて有名ですよね。

── コロナ禍ではなかなか難しかった久しぶりの通し狂言の上演です。

魁春 よく上演されるのが「二見ヶ浦」とこの「油屋」の場ですが、そのクライマックスへと向かって行く筋立てや、客席を使った「追駈け」や、「太々講」など、普段ならあまり上演されない場面もぜひお楽しみにしてください。

── しかし、いじめるという役どころ、楽しそうです。

魁春 そうかもしれません(笑)。ただ貢は万野に言われた言葉でどんどん怒りを感じ始めるわけで、最終的には怒りをカッと爆発させるようにしむけなくてはいけない。そうしないと物語が進みませんから。

── 火に油を注ぎ続けるような……?

魁春 そうなんです。「こいつ何を言ってるんだろう」なんて思われる程度ではだめなんです。そこが難しいですね。


取材・文:五十川晶子 撮影(舞台写真除く):源賀津己

プロフィール

中村魁春(なかむら・かいしゅん)

1948年1月1日生まれ。六代目中村歌右衛門の養子となり、1956年1月歌舞伎座『蜘蛛の拍子舞』の翫才で加賀屋橋之助を名のり初舞台。1967年4・5月歌舞伎座『絵本太功記』の初菊、『忠臣蔵』の小浪ほかで五代目中村松江を襲名。2002年4月歌舞伎座『将門』の滝夜叉姫、『本朝廿四孝』の八重垣姫で二代目中村魁春を襲名。

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