「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
市川青虎『裏表太閤記』演出補・「プレッシャーはあるけど面白くてやめられない」
第29回
現代劇には演出家の存在が欠かせないが、歌舞伎の公演では演出家を置かず、一座の座頭の俳優がその一幕をまとめあげるのが一般的だ。だが、埋もれていた古典の狂言に光を当てて再構成した復活狂言、スーパー歌舞伎、新作歌舞伎、コクーン歌舞伎に超歌舞伎などなど、脚本、振付、補綴などと並んで演出家の名前がクレジットされることは実は少なくない。
今月の「七月大歌舞伎」の夜の部は、二世市川猿翁が初演して以来43年ぶりとなる『裏表太閤記』だ。筋書の外題の横にずらりと並ぶスタッフの名前の中にただひとり、俳優の名前がある。演出補の市川青虎さんだ。
二世市川猿翁の部屋子として入門、澤瀉屋(※瀉のつくりの正式表記はワ冠。以下同)の役者として腕を磨く一方で、『新・三国志』『新・水滸伝』『新・陰陽師』や『東海道中膝栗毛 ―弥次喜多流離譚』など、演出家を補佐する機会が増えた。
そこで今月の深ボリ隊は初日を目前に控えた青虎さんを直撃。演出を支える仕事=演出補という仕事への思いについて、たっぷりとお話をうかがった。
<あらすじ>
織田信長が謀反の疑いのある松永弾正の館を包囲すると、主君を裏切り将軍を滅ぼした弾正は、実子の明智光秀にお家再興を託し自ら館に火を放つ。その信長も本能寺で光秀にその野望を打ち砕かれ……。
Q. 歌舞伎の演出補の仕事とは? その醍醐味を教えて
── 青虎さんが演出家を補佐する仕事に携わるきっかけは何だったのですか。
市川青虎(以下、青虎) 澤瀉屋の若手グループ「猿之助と愉快な仲間たち」の公演がきっかけです。(市川)猿之助さんが出演も演出もされるため、どうやってもご本人の手が回らないだろうということで、僕が演出のお手伝いをするようになったのが最初ですね。やろうとしていることはすごく面白そうなことなのに、ご本人の負担が多過ぎてできなくなるなんて本末転倒だと。
── 具体的にはどんなことをするのですか。
青虎 演出家のやりたいことを具体化するために補佐する仕事です。どこまでが補佐する仕事なのかと線引きが難しいですが。今回の『裏表太閤記』の演出はご宗家(藤間勘十郎)ですが、「どう思う?」と尋ねられることが多いので、できるだけ思ったことは言うようにしています。というのも、自分が演出をやってみてわかったのですが、誰か人の意見を求めたくなることがあるんですよ。なので選択肢が多い方がよさそうだと思った時は、遠慮せず意見を言うようにしています。
── 台本の段階から携わることもあるのですか。例えば何と何の世界をどうかけ合わせようか、などということも?
青虎 新作の場合はそうですね。ただ基本的にはプロットなり準備稿なり、たたき台がきちんとある段階から参加することが多いです。今回は43年ぶりの上演なのでベースとなるものはあったんです。ただ前回は昼夜通しで上演していて、今回は夜の部のみ。どこかを抜いたり切ったりしなくてはなりません。となるとどこをどう辻褄を合わせるのかなど、しっかりと再構成する必要が出てきますし、またそれによって各所との打ち合わせなども生じてきます。
── 抜き差し含め、再構成するときに大事なのはどういうことでしょう。
青虎 コンセプトがぶれないようにすることには気を使いますね。ただ歌舞伎ってすごいなと思うのは、「こんなふうにやりたい」ということをスタッフや役者の皆さんに投げかけると、それぞれのプロがきちんと仕上げてくださるんです。時には「あれ、これってこの間の打ち合わせと違うじゃん」って言われることもあります。「そうなんですよね。打ち合わせでは確かにAとなりました。すみません、それがAじゃなくなっちゃったんですよ」と正直に伝えると、その後もそれぞれきっちりとすごい仕事してくださる。毎月歌舞伎の劇場を開けている、その経験値を感じます。
お客様に喜んでいただくために、勇気を出して言うこともある
── 新作歌舞伎、スーパー歌舞伎などなど、どんな狂言で演出はどなたで、ということで補佐する仕事も変わってくるものですか。
青虎 変わりますね。『菊宴月白浪』(23年7月歌舞伎座)は石川耕士さんが脚本・演出で、「ここで役者の感情としてはそうは運べないだろう」などといった役者の心情と動きについて意見を求められることが多かったです。『新・水滸伝』(23年8月歌舞伎座)の演出の杉原邦生さんの場合は歌舞伎座での演出は初めでしたから、彼が実現させたいことをこの舞台機構ならどうやったらできるか、そこは誰に何を頼むとできるか、そういったことを考えました。
――音楽や振付、大道具や小道具に関わる局面もあるのですか。
青虎 今回は、ご宗家が演出も振付もなさっているので、僕に任せてくださっているところは自分から動くようにしています。音楽についても、ご宗家が「ここはこんな感じがいいな」と義太夫に対して思ってらっしゃることを、「じゃ僕が伝えます」と代行したり。例えば大詰の太閤三番叟でも、どこで誰が入るかなどの地方(じかた)さんとの打ち合わせもまずは僕に判断させてもらって、持ち帰ってご宗家に最終的に判断していただきます。そこでご宗家が「うーん、こうした方がいいな」と言うと、なるほどそういう手があったかと。これがすごく勉強になるんです。
── 役者さん、地方さん、舞台の各スタッフのみなさんとの密なコミュニケーションが肝となりそうですね。
青虎 最初のころはそこに難しさも感じました。「なんでアイツがやってるんだ」という圧を、いろいろな方面からの態度と行動で感じていましたので(笑)。でも、役者もスタッフも、僕らもう何十年も一緒に芝居やってきてた旧知の間柄なんです。だから僕が勝手に圧を感じていただけかもしれません。当然、相手が大先輩でも言わなきゃいけないことが出てくることがあります。同じ役者として、ここをこう変えると嫌だろうな、面倒だろうなと思うことも。でももう一発作品を良くするために言わなきゃいけないこともある。勇気を出してお願いすると「うん、そうだよね」って皆さんわかって下さる。優しいですよ。役者同士としてでは分からなかったおひとりおひとりの心意気みたいなものが、演出側の立場に立ってみて初めて分かった、なんてこともあります。
── その「もう一発良くするために」とは、例えばどんなことだったのですか。
青虎 例えば立廻りです。立師の(市川)猿四郎さんにたたき台を作ってもらったのですが、実際に流してやってみると、このままでも成立はしているけど何かが足りない。なので「構成を変えてください」と言いました。ごっそりやめる箇所もあったし、新しく追加する必要も出てきました。作った方も覚えた方も大変です。よく言われるのですが「自動販売機じゃないんだからポンと押せば出てくるもんじゃないよ」と。時間をかけてこだわって作ってもらったものをカットしたり入れ替えたりするなんてものすごく心苦しい。でもそれを重々承知で壊してもらわなきゃならないこともありました。
── そこを突破する、説得するために、大事なこととは何なのでしょう。
青虎 お客様にどういう形で喜んでいただきたいか、そのコンセプトにはまっているのかどうか、ですね。自分たちが思い描いていたものにはまっていないのではないかと思ったら、ご宗家、立師、(松本)幸四郎さんという先輩方の前でも言いたいことを言わせてもらっています。……今、こうやって話しながら改めて、「オレ、好きなことやらせてもらってるな」と思いました(笑)。
今月の座組でいえば、みんな育ってきた“家”が違うわけです。ご宗家ならおじい様(二世藤間勘祖)、お父様(五十六世梅若六郎)、お母様(三世藤間勘祖 )という血筋、幸四郎さんは高麗屋として、僕は師匠(猿翁)のもとで、それぞれ育ってきた環境が違う者同士で議論するわけです。ですが行きつくところは一緒。面白くしたい、お客様に喜んでいただくにはどうしたらいいか。幼いころに同じものを見て同じものにワクワクしてきた比較的世代の近い皆さんと芝居を作っている喜びがあります。
次々に判断していかなければ先に進まない
── これは失敗したなあということも時にはありますか。
青虎 山ほどありますよ。「あの人に伝えておかなきゃいけないことがあったのに忘れていた」とか「確認しなきゃいけなかったのにできてなかった」とか。誰に何を伝えるか、なるべく台本などに付箋つけて忘れないようしているつもりですが時々落ちていたりします。それと台本を何稿も重ねていくうちに、「あれ、ここはなぜこうなったんだっけ」となることもありますね。
── 要所要所でどんどん判断していかなきゃいけない。
青虎 そうです。自信がないからといって「どうしよう、どっちがいいかなあ」なんて思っている猶予がない。間違っていたとしても判断しなきゃいけない。そうでないと各所どんどん遅れていくので「決めてください」ってよく言われます。慣れないうちはそれが怖くて。ただどちらを選択してもどこかにしわ寄せがいくし、何か言う人は言う。だったら即座に決めるしかない。「決めたときは良いと思ったのですが、いざやってみたら良くなかったので戻してください」とか結構辛いものです。
── 大先輩に対しても、ですよね。
青虎 そうなんです。たいてい何かしらお伝えしなきゃいけない相手は各所のチーフだったり大先輩だったり、たいがい年上の方に言うことになるので勇気が要ります。でも皆さん、僕の決断を尊重してくれます。一番嫌だなあと思うのは、自分で「これだ!これが良い」と決めたのに、だんだん「あー、違ったなあ~」って自覚した時ですね(笑)。
── ちなみに座組が変わるたびにLINEグループを作ったりするのですか。
青虎 今回は演出関連のグループがあります。皆さん東京にいるとも限らないし、それぞれで話を進めておかなきゃいけないことが多いので、話題によってはご宗家にメンションしたり製作の人にメンションしたりしています。
── そして構想の段階から舞台に乗せるまで、紙や映像など膨大な資料が発生すると思いますがどう整理していますか。
青虎 いやほんとに僕が知りたいですよ。家はもう書類の山。キッチンの足元にも積んでいます。道具帳の図面とか改訂版が来るたびに新たな山ができる。毎月新作が続いていた時期は、家の中に、今月昼の部はこのゾーン、夜の部はこのゾーン、なんて山だらけでした。今はだいぶ捨てられるようになってきました。これはもう持っている必要ないな、とか判断できるようになってきたからかな。
── 芝居を作っていくにあたり、青虎さんが大事にしている価値観とか美意識とかはどのように育まれてきたのでしょう。
青虎 考えてみるとうちの師匠(二世猿翁)は役者であると同時に常に演出家であり、僕が十代のころから当たり前のように演出席に座ってらした。その姿を見てきたというのはあります。例えば夏休みになると軽井沢の合宿所で、芝居の稽古、同時に翌月のスーパー歌舞伎の稽古、とにかく稽古をずーっとしてました。そして晩御飯のときもずっと師匠の芝居の話を聞く。そういう環境で役者として育ってきたんですね。
一方で、うちは祖父が映画館(「文芸坐」)を経営していたのもあって、演劇も映画もいろいろ教えてくれるんです。小学生の頃はまったのは三谷幸喜さんの「東京サンシャインボーイズ」の芝居でした。井上ひさしや木村光一の芝居、三谷さんの芝居もテレビドラマの古畑任三郎シリーズよりずっと前から「観た方がいい」と教えてくれて。三木のり平の『喜劇 雪之丞変化』や、僕が役者になりたいと思うきっかけとなった『ヤマトタケル』も、祖父がすすめてくれたんです。ワクワクしながら劇場に行った体験ってほんとに大事なんだなと、今改めて思いますね。大人になると筋を理解しようとしてしまうけど、子供は何も考えずに楽しめる。ディズニーランドもそうですが、アトラクションに並んでいる時間も楽しいじゃないですか。あの演出された空間にいるだけで楽しい。
── そのころ観た芝居や映画が今、何か作るときのベースになっているのでしょうか。
青虎 それはありますね。その後も自分はこのまま歌舞伎役者をやっていっていいんだろうかと迷った時期があって。大学生になった頃ニューヨークへ行って、安いボロアパート借りて、安いチケットで芝居だけはたくさん観ました。そういう経験は今思えば財産になってるかもしれません。
── 今はそういう時間はありますか。
青虎 それがなかなかできないんですよ。それどころか映画やドラマ、観るのもきついんです。仕事目線になってしまうから。なので最近自分なりに充電する方法を思いついたんです。自分が好きな映画を好きな場面だけ早送りして観る。それだとストレス溜まらなくていいみたいです。昨日も『RENT』を早送りして好きな場面だけ観ました。
歌舞伎の演出に携われる奇跡。 次の世代に繋いでいきたい
── 演出・演出補という仕事の醍醐味をどこに感じていますか。役者として舞台に立っていることとはまた違う喜びとは何でしょう。
青虎 中高生くらいまでは演出家って何をする人なのか分からなかったんです。将来演出をするなんて思ってもみなかった。うちの師匠が「演出家っていうのはいい仕事だよ。やりたいと思ったことが全部できる」とよく言っていました。たしかに僕らをおもちゃに見立てて遊んでいるような瞬間もありましたし(笑)。でもまさか自分がやることになるとはこれっぽっちも思ってなかった。そもそも歌舞伎の場合は主役を勤める役者が演出を兼ねますよね。御曹司といえども主役をできるのはごく限られた人々です。ひと握りどころかひとつまみですよ。だから自分に演出のお手伝いをする機会が巡ってくるなんて考えてもみなかったです。それは本当に奇跡的なことで、肝に銘じておかなきゃいけない。いろいろな人々のおかげで演出に関わらせていただいていると思っています。と同時にこの前例が次の世代にも続いていけばいいなと。今、若い子達が歌舞伎界になかなか入って来ないんです。夢がなければ入ってくれない。その夢のひとつに繋がればいいなと思いますね。
── ご自身が演出に携わるようになって、改めて猿翁さんのことを思い出すことはありますか。
青虎 あります、ふとしたときに。うちの旦那、初日に手が震えてなかなか顔(化粧)ができなかったなあと。
── 意外な気がします。
青虎 そうですよね。いわんや『ヤマトタケル』初演の初日のときってどんな気持ちだったんだろうと。僕も自分で演出した『ナミダドロップス』の初日は気持ちが悪くなりそうでした。もうそわそわしっぱなしで舞台を見ることができなかった。自分が生んだ作品が世にさらされるわけで、初日のたびに旦那もそうだったのかなと。幕が閉まったとき、「あ、拍手がない、終わったな」と思いました。ところがカーテンコールに出てみると歓声が聞こえて、やっと「ああ、よかった」と思えたんです。照明室にいたので拍手が聞こえてなかっただけだったんですけどね。役者やってるときは芝居って演出家のものだと思っていたのですが、演出をやってみると、芝居ってやはり役者のものだなと実感します。いかに演出家が枠組みを作ろうとも、一度幕が開くともう手出しできませんし、誰かひとりの役者が気を吐くとすべて持っていかれてしまう(笑)。
── そこがまたお芝居の面白いところですね。
青虎 面白くてこわいです。好きにやらせてもらえるがゆえに抱えるプレッシャーもすごいです。でもやっぱり自分で“こうやってみたい”ということができるわけですから、「演出はいいぞ!」って思います(笑)。
── 今月の『裏表太閤記』について、演出補という立場から見どころを教えてください。
青虎 歌舞伎で太閤記ものというと、戦国武将たちはたいてい本名では登場しないですよね。明智光秀が武智光秀に、羽柴秀吉が真柴久吉と名前を変えて出てきます。でも今回はみんな本名なんです。それに、信長が光秀に倒されて、それをまた秀吉が倒して天下人になる、というストーリーは皆さんおなじみですよね。初めて知るストーリーではないので、ハードルは低いと思います。
── 初めてご覧になる方にとっても親切ですね。
青虎 と同時に、歌舞伎独特のいい意味でのばかばかしさもふんだんに盛り込まれています。序幕では古典歌舞伎の『馬盥』(『時今也桔梗旗揚』)や『金閣寺』(『祗園祭礼信仰記』)の要素も入っていますし、長唄の唄入りでの立廻りもありますし、もう歌舞伎何本か分の要素が入っています。二幕目は義太夫狂言になっていて、『熊谷陣屋』や『盛綱陣屋』を観なければ味わえないような重厚な物語がぎっしりと詰まってます。そこから『ヤマトタケル』の「走水の場」を思わせる場面があって、高麗屋三代の場面をたっぷりと味わっていただけます。(松本)白鸚さんという尊敬する大先輩がこの若手の一座に出てくださっているのが本当にありがたいです。秀吉と光秀の本水の立廻りもありますよ。そして大詰では猿つながりで孫悟空が登場、宙乗りもあり、太閤三番叟をはじめ踊りが二本と華やかです。僕が白鸚さんのことが大好き過ぎるというのもありますが、とにかくぜひご覧いただきたいです。これでもかというくらいの盛りだくさんな構成、夏のお中元満杯セットになっております(笑)。
── そういえば初日に向けてなかなか睡眠時間がとれない日が続いているとか。
青虎 そう覚悟していたのですが今のところ確保できています、大丈夫です(笑)。ちなみに明日41歳の誕生日なんですけど、まあそれどころじゃないでしょうね(笑)。
取材・文:五十川晶子 撮影:源賀津己
プロフィール
市川青虎(いちかわ・せいこ)
1983年生まれ。93年8月、国立劇場〈市川右近の会〉『勧進帳』の太刀持で三浦弘太郎の名で初舞台。95年7月三代目市川猿之助(当時。のち猿翁)の部屋子となり、歌舞伎座『小猿七之助』の日吉丸で市川弘太郎を名のる。2022年3月歌舞伎座『新・三国志』関羽篇の諸葛孔明で二代目市川青虎を襲名。近年では演出にも携わる。
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