「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
市川門之助 『天守物語』舌長姥(したながうば)「怪奇な存在だけど愛嬌もあるんです」
第34回
ゾッとするほど美しくて、妖しく恐ろしく、そしてやっぱり美しい、泉鏡花作『天守物語』の舞台。白鷺城のお天守には、世にも清らかな姫君とその眷属たち、異形の者が棲むという。
<あらすじ>
白鷺城の天守閣の最上階には美しい異界の者たちが暮らしている。その主である美しく気高い富姫。その姫を慕う亀姫が天守を訪れると、久しぶりの再会を喜ぶ富姫は土産に白鷹を与えるが……。
この『天守物語』には、この世ならぬ美しさを持った富姫や亀姫のほかにも、朱の盤坊などユニークなキャラクターたちが登場する。中でも舌長姥は、人間の生首を舐めるというおぞましいふるまいをする一方でどこか愛嬌を感じさせる役どころだ。
「十二月大歌舞伎」の第三部で上演される『天守物語』で、この舌長姥を勤めるのは過去3回、同役を勤めている市川門之助さんだ。今月の深ボリ隊はこの舌長姥をロックオン。恐ろしいのに何だか憎めないこの舌長姥。どんなふうに勤めて来られたのか、そしてこのお役の魅力について語っていただいた。
Q. 怖いけれど憎めない、舌長姥の奇怪キャラはどうつくる?
── 門之助さんが『天守物語』の舌長姥を勤められるのは今回で4度目ですね。
市川門之助(以下、門之助) そうなんです。初役の時は40代でした。当時おばあさんの役はまるでやったことがなかったので、正直参ったなあと思いました。でもいろいろと過去の映像や資料を見ていくうちに、これは面白いなあと。お稽古で(坂東)玉三郎のおにいさんからいろいろアドバイスいただいて、ああしようかな、こうしようかなと、勤めるのがさらに面白くなりました。
ところが回を重ねるにつれてどんどんエスカレートしていくんですよ。舌長が首を舐める場面がありますでしょ。もっとこうしてみようと、やっていくうちにどんどんオーバーになってしまってね。よくよく考えてみたら亀姫様付きの姥なので、それなりに品がないといけないのかなとやっていくうちに気づきました。怪奇なところもあるけど、愛嬌もないといけないとか、次第に分かってきました。
かつて宮仕えしていた老婆 キリっとした雰囲気が残るように
── こしらえを見ていきますと、頭は白髪のざんばらの鬘です。
門之助 老婆とはいっても人間ではない者なんですよね。衣裳は白の着付に緋の長(袴)でこれは定式通りですが、真っ赤ではなく濃い紅色なんです。そのあたりでも年齢を表わしているのかな。顔は多少砥の粉の混ざった白塗りで、目じりを垂れ気味に描いて、眉間とほうれい線を描いています。老婆というとどうしても皺の数を多く描き過ぎるんですが、逆に描き過ぎない方がそれっぽく見えるんですね。ここも気をつけなきゃいけないところです。
── 体つきはいわゆる老婆らしく腰を曲げていらっしゃいますね。
門之助 これもね、実はあまり曲げ過ぎないようにしています。人間であった時は宮仕えしていたおばあさんなので、どこかキリッとした雰囲気が残っているように。台詞はとにかく三階の奥まで聞こえなきゃいけないので、おばあさんとはいえ声はしっかりと出します。別のお芝居のときに玉三郎のおにいさんに「それじゃ三階まで届かないよ。劇場に合わせた声を出しなさい」と言われたことがありましてね。
── 舌長の最初の台詞がとても素敵で、想像力をかき立てられます。
門之助 猪苗代のお城から姫路城までやってきたその道のりの台詞ですよね。その道のりを、歩いていくと五百里だけど、我々は風に乗ってやってきたから半日の旅だと。どんなお芝居でもそうですが、必ず台詞の情景を思い浮かべながら、かつテンポよく言うようにしています。お客様にその道中を思い浮かべていただきたいし、またこの人たちは人間ではなく異形の者たちだということを感じていただく台詞でもあります。
── 猪苗代から姫路まで、この亀姫たち一行が風に乗って遊びにやってくる……これはもうさぞ優雅できらびやかな旅路だったのでしょうね。
門之助 僕ね、今でも姫路城を見るたびに「(富姫や舌長が)あそこにいるのか」と思い浮かべるんです(笑)。どのお城を見てもそうなんです。この天守には何が棲んでいるのかなとか、何か人間ならざるものが飛んでいく様子とか、ついつい想像しちゃうんですよ。
溶けかけたソフトクリームを舐めるイメージで
── 舌長がうとうと居眠りしていると、朱の盤坊に「姥殿、姥殿」と起こされます。亀姫から富姫へのお土産に持ってきたのが男の生首なんですよね。道中で揺れて生首のつゆまみれになってしまったから、ぬぐって清めてくれと。
門之助 「汚穢(むさ)や汚穢や」と顔をしかめてはいるけれど、本心は「おいしそうだな」と思ってるんですよね(笑)。早く舐めたい、味わいたい、できれば齧りたいという気持ちがだんだん出てくる。途中で周りを気にして、「汚穢や」と周りに聞かせるように言ってはいますが。この長く伸びる舌のしかけは、もうご存じの方少なくなってるかな、昔は駄菓子屋さんなどで売っていたんですが。
── 息を拭き入れるとピューッと伸びる笛ですね。
門之助 そうそう。あれに色を着けて加工して作られているんです。もちろん音は鳴らないようになってます。でも縮めるとき注意しないとピュッと素早く引っ込んでしまうので、あえてゆっくりゆっくり引っ込めてます。しかけは単純なものほど効果的ですよね。長(袴)の内側にポケットのようなものを作ってもらっていて、そこに入れておいて首を眺めるときに咥えています。それとね、首をつい齧りそうになるときに前髪がポンッと立つんですよ。
── 一瞬、本性、本音が出てしまうんですね。
門之助 そうなんでしょうね。
── 舐め方には何かこだわりがありますか。
門之助 普通にペロペロ舐めるのではもうひとつ雰囲気が出ないなと、体ごと動かしたりしてます。でもそれもまたやり過ぎるといけない。その頃合いが難しいんですが、ソフトクリームを舐めている時に、ああこういうことかなと気づきました。他にも犬の舐め方、猫の舐め方も観察して、やっぱり溶けかけたソフトクリームだなと(笑)。特にコーンの周りにクリームが垂れそうになっているやつね。
── 舌長、あそこで本当に幸せそうに舐めてます。
門之助 うっとりしてますよね(笑)。
── あの首を舐める場面では、客席もザワザワッとなりますね。
門之助 一度玉三郎のにいさんが、「あれやってるときこっち振り向いておくれよ。見たいから」とおっしゃって、振り向いたことあるんです。笑ってらっしゃいました(笑)。
── あの姫君たち周りの人も、このゾッとするような舌長のふるまいをごく普通の景色のように平然として見ているんですよね。
門之助 いつものことなんですよね。きっと彼女たちにとっては、日常のこと。
── そして獅子頭に惹かれて近づいていきます。
門之助 あの場にいる人たちにとって純粋に惹かれる何かが獅子頭から放たれているのでしょうね。舌長も周囲の目もかまわず、年寄りだから何してもいいだろうという感じで近づいて見惚れているんです。放っておくと本能のまま舌を出して舐めていたかもしれないですね。盤坊に注意されると自分でもハッと舌を押さえますから。
── この後、亀姫と富姫は、あちらでふたりで手毬で遊ぶのでお前はここでお相伴していていいよ、と言われるけれど、舌長は、いえお供しますと言いますね。
門之助 あそこの台詞で、あけび、山ぐみ、山ぶどう、手造りの猿の酒、山蜂の蜜、蟻の甘露、諸白……と、いろいろなものの名前が並びます。最初は実物を思い浮かべながら言っていたのですけど、玉三郎のおにいさんから「あれは舌長がとても好きなものを言ってるんだよね」と。自分の好きなものを並べて言っているうちにだんだん高揚してくるのかなと思って、ここでもいろいろ言い方を試してみました。それがちゃんとできているかどうかはわかりませんけどね。きっと、甘さ、匂い、食感などどれも舌長の好物のものなのでしょうね。
── なのにそんな好物よりも、ふたりの手毬唄を聞いていたい、寿命が延びると。
門之助 「欲も得もない」とは言っていますが、「ただ長生きがしたい」というのが何よりの欲じゃないかという感じがしますね。実際に僕自身も富姫と亀姫とのやりとりが面白くて大好きなんですよ。お芝居では舌長はうとうと寝ていたりしていますが、いつもいいなあ、素敵だなあと思いながら見ています。
── そして富姫が鮮やかに白鷹を捕って亀姫に与えますが、下界の鷹狩りの中から矢が射られ、騒然となりますね。
門之助 あそこはもう一瞬にして戦闘態勢です。老いてはいても気持ちはSP。姫たちを護ろうとします。顔つきも緊急事態になりますね。
── 宴は終わり、いよいよお別れの時に。
門之助 引っ込んでいくちょっと前に、舌長は富姫に対してお別れのお辞儀をします。ここで何というか、いろいろな気持ちが自然に本当に湧いてくるんですね。これからも亀姫をよろしく願いしますとか、またお会いしたいですねとか。富姫の玉三郎さんの目の表情なのかなあ。ふだんから玉三郎さんに会うと自然にお辞儀したくなるし愛情が湧いてくるんですよ。
── 姥と富姫の関係にも現れているかもしれませんね。
門之助 亀姫様たちと共にここに遊びにくることはずっと楽しみだったし、だからお別れするのが名残惜しい。またお会いしたい。いろいろな気持ちがこみ上げてきます。
── この姫君たちの逢瀬を姥も心から楽しんでいますよね。
門之助 楽しんでいますね。毎回本当に名残惜しい気持ちでいっぱいになるんです。
── この宴が楽しくてにぎやかだったからこそ、余計にこの後の富姫の孤独が際立つように感じます。
門之助 いやホントにこのお芝居よく出来てますよ。大好きですね。
今回舌長姥を勤めて100回目 何とか自分のものにしたい
── 改めてこの作品の魅力、難しさをどんなところに感じますか。
門之助 鏡花の作品って『海神別荘』などもそうですが、まず活字、文そのものに想像力をかきたてられます。一文一文にすべて込められているので、一言一句、「てにをは」ひとつ違っても、意図が違ってくる。他の狂言の場合でも基本的にそこは気をつけてはいますが、それでも多少自由度があると思うんですね。ですが鏡花の作品はさらに気をつけなくてはならないと思いますね。そして舌長は特に、お客様が喜んでくださるからといってやり過ぎないこと、そこですね。何度勤めても加減が難しいです。以前(二世市川)猿翁さんが、どんなお役も「100回勤めてやっと自分のものになる」とおっしゃったことがありました。僕もこのお役を勤めるのが今回で100回目を迎えます。何とか「これだ」というものを見つけないと。『義経千本桜』の義経もそうですが、何回やっても「ああ、こういうことなんだな」ということが見つからないものです。
この舌長は前回勤めてから10年経っていますからお客様も変わっていると思うんですよ。たぶん前回とはまた違った反応があるのだろうなと思っています。その反応にどこまで合わせるのか合わせないのか、難しいところですが、まずはとにかく今回も玉三郎のおにいさんにいろいろうかがって勤めたいと思います。
── 門之助さんは、今年は『ヤマトタケル』で皇后・伊吹山の姥神を、4カ月にわたって勤めて来られました。その主人公ヤマトタケルを勤めた市川團子さんが、今回姫川図書之助に初挑戦です。
門之助 僕はね、このお役、今の彼にぴったりじゃないかと思っているんです。すごく素直な方なんですよ。猿翁さんのヤマトタケルに追いつこうとずっと頑張ってらしてちゃんとその成果を上げました。でも楽の日だったかな、「あ、ついに團子ちゃんらしさが出てきたな。團子ちゃんのタケルだな」という気がしたんですよ。この図書の純粋で素直ところが彼にぴったり。楽しみなんです。本格的に玉三郎のおにいさんに教えてもらうのは初めてなんじゃないかな。
── 玉三郎さんに教わることができる貴重な機会ですね。
門之助 おにいさんは「こんな感じだよ」と指摘して言ってくださることがいつも的確だなあと思うんです。僕自身もおにいさんとのお稽古の時間が好きなんですよ。僕に何か言ってくださることだけでなく、皆さんがおにいさんに言われていることを聞くのもすごく勉強になる。それと僕ね、なぜかにいさんにはいろいろとお尋ねしやすいんです。以前ものすごく失礼なこと言っちゃってね。『夏祭浪花鑑』のお辰をなさったとき、ただでさえ素敵なおにいさんがある日突然さらに素晴らしく変わられたので、「今日から変わりましたね」って偉そうなこと言ってしまったんです。そうしたら「以前の映像を見直したんだよ」とニコリ。僕が言ったタイミングがたまたまその時に当たったのでしょうけどね(笑)、似たようなことが何度かあるんです。
團子ちゃん、おにいさんに教わって、きっと大きく成長するでしょう。してもらわないと困りますし(笑)。引き出しがグッと増えると思いますよ。楽しみです。
取材・文:五十川晶子 撮影(舞台写真除く):源賀津己
プロフィール
市川門之助(いちかわ・もんのすけ)
1959年9月24日生まれ。七代目市川門之助の長男。’69年2月歌舞伎座『義経千本桜』鮓屋の六代君ほかで二代目市川小米を名のり初舞台。’90年12月歌舞伎座『義経千本桜』四の切の義経で八代目市川門之助を襲名し名題昇進。1972年4月『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』須磨浦組討の遠見の敦盛で国立劇場奨励賞。90年歌舞伎座奨励賞。古典歌舞伎のみならず、スーパー歌舞伎でも個性的な役どころで活躍。2023~24年ハワイ州立大学演劇舞踊科の正規授業を担当。