「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集
尾上松緑『丸橋忠弥』「肝が太くて武骨。そしてロマンチストなんです」
第46回
歌舞伎にはいろいろなタイプの酒呑みや酔っ払いが登場するが、丸橋忠弥は中でも酒豪中の酒豪だ。由井正雪が企んでいる幕府へのクーデターで大役を任されているが、大事の前にそんなに酔っぱらって大丈夫なのか。そもそも本当に酔っているのか。などなどと、この男のことが気になってしかたがない。
<あらすじ>
慶安4年(1651年)に起き、未然に終わった幕府転覆の計画「慶安の変」。これを題材とした講談や講釈を基に河竹黙阿弥が描いた『慶安太平記』は1870年に東京守田座で初演された。この『丸橋忠弥』はその一幕。
江戸城外堀端にある茶屋では、大酒呑みで槍の名手である丸橋忠弥が中間(ちゅうげん)たち相手にすっかり酔っぱらった様子。そこへ切れ者と名高い老中松平伊豆守が通りかかり……。
※中間=使用人・下級武家奉公人
「十二月大歌舞伎」で尾上松緑さんが10年ぶりに丸橋忠弥を勤める。今回は演出家の西森英行さんが参加。『荒川十太夫』など講談シリーズの演出を手がけたことでもおなじみだ。となると『丸橋忠弥』の名場面や名台詞の数々は新演出ではどうなるのか。そして忠弥の性根はどんなふうに浮き彫りになっていくのだろう。
今月の深ボリ隊は丸橋忠弥をロックオン。11月の幕が開いて間もないある日、松緑さんを直撃した。
Q. 呑んでも呑んでも酒に呑まれない、忠弥の“肝の太さ”はどこから生まれる?
── 酔っぱらった忠弥が花道を危なっかしい歩き方で出てきますが、三階席まで酒の匂いが漂ってきそうです。
尾上松緑(以下、松緑) 僕の場合ふだんから酔っ払いの役が多いのですが、自分が酔っぱらったときこんなふうに歩いてるなというのがベースです。今日は角の泥鰌屋で呑んで、次はどこそこで刺身で呑んで、という名台詞がありますが、この人、出てくるまでにトータルでたしか五升ちょっと呑んでいるんですよ。前回勤めたときに、人というものは五升ちょっと呑んで平静を失わずにいられるものなのかと思って、僕、試したんですよね。
── え、五升!いかがでしたか。
松緑 三升ちょっとでノックダウンでした。この時代のお酒って度数が低いんですよ。だから忠弥は五升呑めたのかもしれないですが。とはいえこの後、中間たちとも呑んでいるわけですから並外れた酒豪なんです。忠弥の酒の強さには、どれだけ呑んでも酔わないという解釈と、酔っぱらっても酔っぱらっても呑めるし強いという解釈と、二通りあると思っているんです。僕は「呑んでも呑んでも酔わない」でやっています。どちらにしろ歌舞伎の忠弥の眼目って肝の太さだと思うんですよね。面の皮の厚さ、そのふてぶてしさが彼の男臭さにつながっていくのかなと。
── あの最初の台詞に、蛤で呑んだ、刺身で呑んだとありますが、それらをつまみながら呑んでいる様子が眼に浮かぶようでした。ちょっと一杯やりたくなりました。
松緑 ありがとうございます。お客さんが、七代目(尾上)菊五郎のにいさんの宗五郎(『魚屋宗五郎』)を観た後は酒呑みたくなるとか、直次郎(『雪暮夜入谷畦道』)で蕎麦食べるのを見ると食べたくなるとかよく聞きます。自分も感じましたしね。今回、帰りはうなぎで日本酒でも、と思ってもらえたらこれはもう役者冥利に尽きますね。
生まれてくるのが50年遅かったかもしれない
── こしらえについて教えてください。浪人者ですが月代は伸びていなくて、でも普通の侍でもなく、どこか武芸者のような印象を受けます。
松緑 基本的には中間っぽくしています。それとこの柿色の合羽って下々の者が着るようなものなんですね。笠も背負っていますし。「丸橋忠弥である」ということは隠している格好。それでいて隠しきれない凄みみたいなのが出せればいいかな。
── 端折った裾から覗く白い下がりの絶妙な面積、そこから覗く鍛えられた脛の絶対領域、ここには何かこだわりはありますか。
松緑 本当はもっときちっと着るには、下がりはもう少し短い方がいいんですよ。そして立廻りでは見えていた方がよくて、ぎりぎりだらしない、でも見苦しいまではいかない。そのあたりがみそなのかな。
── そこから覗く両脚も筋肉がゴリッとしていて武芸の達人という感じがします。特別にこの部位は鍛えるんですか。
松緑 ふだんからジムでトレーニングはしています。僕の場合は割と身体がありますが、役者によっては中に「肉」を着るわけです。肉を着ると同じ動きをしても0コンマ何秒か感覚が違うんですよね。なので僕はなるべく肉を着たくないので、着なくてもいいくらいには鍛えています。
── そして忠弥は一本差しです。
松緑 二本だとどこかきっちり感、礼儀正しい感が出ますが、一本だと武骨さが出る。忠弥の場合は武骨さが大事ですし、本来は槍の名手ですから、彼としてはバトルで小刀を使うことはないのではないかなと。刀を差していてもおそらく大刀のみでこと足りるんだろうな。
── 中間たちに酒をごちそうしてやって、またさらに酒量が上がっていきます。
松緑 この忠弥という人は、明るい酒、陰気な酒のどちらかといえば、明るい酒を呑むタイプだと思うんです。呑んだらワッハッハという豪快なタイプ。中間たちに「お前ら、これからの世の中でいい目を見せてやるぞ」って言う。あそこはふだんの呑み会のように楽しんじゃってます。こうしようと細かく決めているわけではないので、ここは毎日変わると思います。
── 中間と話しているとき「なに、俺に天下を取らせたい?」と、一瞬ギラリと目が光ります。
松緑 決行の日が近いというのもありますが、この忠弥という人はダークヒーロー的な役とはいえ弱い者たちの味方でもあるんですね。由井正雪の仲間ですが正雪とは考え方が違うのだろうと思うんですよ。長曾我部家の末裔である自分がないがしろにされているという鬱憤もあって、自分が下々の者を解放してやるんだという思いがある。
どの組織でもあることだと思うんですが、リーダーと副リーダーで考え方が違うことってあるわけですよね。理想論では飯食えないですから、正雪はクーデターを起こすのに金を集めなきゃとか、成功した後の幕府の運営どうするんだとか考える。忠弥はそこまでは考えていない人です。クーデターが成功したら、この人、正雪にとっては厄介者になるかもしれない。非常にプライドが高くて、そしてロマンチストなんですよね。対して正雪は徹底したリアリスト。クーデターが成功してもこの二人が歩む道は同じではなかったでしょうね。
── 正雪にとって忠弥は、クーデターが成功するまでは使い道がある男だと思われていたのでしょうかね。
松緑 そうでしょうね。忠弥は武力派ですから。
── 忠弥は正雪から江戸の大役を任されたのはうれしかったのでしょうか。
松緑 講談の『慶安太平記』の忠弥はとても喜ぶんです。一方で正雪は見限ってるんですよ。駿府へ向かう俺たちの本隊にあいつは入れたくない、だから江戸に置いておこう、そのためには忠弥はプライド高いから何か役職与えなきゃいけない、ならば江戸の総大将にしてやろうと。でも歌舞伎の今回の忠弥は、正雪に心酔というよりは、ひとまず正雪に賭けてみよう、クーデターが成功しなかったら次の手を考えよう、そんなふうに考える忠弥にしたいと思っています。
── 慶安の変は1651年ですから、まだ関ヶ原の勝敗の気分が世の中にも彼らの気持ちにも残っていたのでしょうか。
松緑 忠弥なんて生まれてくるのが遅かった人なんでしょうね。50年くらい早く生まれてきたかったと自分でもわかっているんじゃないかな。
伊豆守と出会ってしまう場面は対比を大切に
── 中間たちと盃を重ねる忠弥のところへ舅の藤四郎がやってきます。「酒を三年断つのを六か年にして半日ずつ飲み、さらに十二か年にして……」という、いかにも酒呑みの言い訳っぽさ満載の台詞がありますがあそこはどうなるでしょうか。
松緑 あの台詞は今回もありますよ。あれでおとっつあんを煙に巻いて追い返します。
── そこへ犬が出てきてペロペロと顔を舐めるので、石を投げて追い払おうとします。
松緑 最初は単に犬がじゃまなんでしょうね。でも一つ二つ投げていくと、ふとこれで濠の深さを測ればいいんじゃないのかと気づく。でもそれも芝居の嘘なんですよ。だってドーンと投げても濠の中に落ちたら底なんて見えないですからね。そして煙管の長さで濠の深さを測るわけですが、何がおかしいって普通は濠に向かって測るものじゃないですか。でも前回は濠に背中を向けるように見得をしていたんです。僕自身それがどうにも不自然で気持ち悪かった。ということで今回は大道具が変わります。
── 煙管で測るという所作がよりリアリティを増すんですね。
松緑 歌舞伎の嘘ということで通してもいいんだけど、世話物だから最低限度の帳尻を合わせることはした方がいいのかなと。
── そこへ松平伊豆守が登場します。伊豆守に傘を差しかけられてからのあの煙管の見得が、まあ綺麗でカッコいいんですが。
松緑 煙管は垂直に立てなきゃいけないし、後に出てくる伊豆守は束(ソク)に立つんです。忠弥との高さの違いや対比が大事です。歌舞伎のお約束でバーッタリで忠弥がきまると、伊豆守がいかにも「さあ皆さん、おなじみの僕が登場ですよ!」って感じで出てくるわけですよ。
── 声もかかりますしね。
松緑 そうなんです。いかにも忠弥めがけて出てきたみたいになっちゃうのがちょっと不自然なので、伊豆守がそこをたまたま通りかかる必然性をもっとはっきりさせようと思っています。この伊豆守って元々大事な役ですが、より重要度が増すんじゃないかなと。
── 今回、勤められるのは(市川)中車さんですね。
松緑 僕、中車さんとは仲いいので、あれこれ相談しながらやっていこうかと。それと、以前なら松平伊豆守といえば。
── 知恵伊豆、ですね。
松緑 はい。ところが今の人は「知恵伊豆」と言われていた人のことを知らない。へたしたら水戸黄門とか大岡越前だって知らない人が増えているわけです。なのでご存じない人のために、松平伊豆守という人が知恵伊豆と呼ばれていたほどの知恵者であると知ってもらうために、筋書にもしっかり書いてもらうことにしています。
── 伊豆守と忠弥の間で見えない火花が飛び交っているようなすごい緊張感です。
松緑 ここはもうお客さん喜ぶところですね。忠弥としては、これはただ者じゃねえヤツだ、会ってはいけないヤツと遭遇しちゃったな、できることならスルーしたかったな、と思うんでしょうね。忠弥はクーデターが万が一、億が一、失敗するとしたら、あいつとあの時出会ったことだろうなと思うんだろうな。僕の中ではふだんから「肝の太さ=動物的直感が働く」なので、忠弥にもそういう直感が働く気がします。
── 伊豆守には「ゆけ、ゆけ」という台詞を二度言われます。
松緑 実はあそこも今回は趣向を変えます。伊豆守にはもっと大上段から正義の圧をかけてもらうことになりそうです。前回をご覧になった方はひょっとすると蛇足じゃないかと思うかもしれないし、次に演じるときは「あそこは前に戻そう」となるかもしれない。でも「知恵伊豆」をあまり知られていない今、今回はこのやり方でやってみようと思います。
── 前回は、忠弥は二幕目で舅にクーデターのことを話してしまいました。そんなに簡単に舅にばらしてしまっていいのかと不思議でした。
松緑 ここの忠弥がどうにも浅はか過ぎて前後で繋がらないので、今回一番大きく変えるところです。忠弥のように武骨な性格のセオリーとして奥さんを大事にするタイプなんでしょう。僕はそういうつもりでやってる。でもね、いくら奥さん大事でも、そのおとっつあんにこんな大事な秘密を明かすようなことしますかね。「今度〇△×を襲撃します」とか僕なら言いませんよ(笑)。
── 今回は忠弥のキャラクターとしての筋が通るわけですね。そしてその後、忠弥の母、おさがが自害してしまいます。ここはどうなるでしょう。
松緑 おさがが自害することは変わりません。前回は、謀反に手を貸すなんて自分の息子が情けないという理由でおっかさん自害したんです。でも今回は、おっかさんの死が忠弥をより前へと向かわせるようなストーリーに変わります。
“毎日が命がけ” 忠弥の大立廻りの凄みとは
── そしていよいよ凄まじい大立廻りが始まります。忠弥は鴨居を外してそれをぶん回して武器として使いますね。
松緑 長押に掛けていた槍を捕り手の一人にさっさと持っていかれてしまうからですね。
── 長い角棒のようなものですね。刀とも槍ともまた違って扱いが難しそうです。
松緑 難しいですね。あれではどうやったって槍の代わりにはならない。なので忠弥としては途中から刀にするんです。ただ僕自身は長物の扱いには慣れていますので、そんなに苦労はしないと思います。
── (尾上)左近さんと(市川)男寅さんが近習頭として忠弥を捕らえます。
松緑 もうちゃんちゃらおかしいですね。あの二人が僕を止められるとはとうてい思えませんから。毎日ビシビシしていこうと思います(笑)。
── 『蘭平物狂』の立廻りもそうでしたが、花道や屋根へ上っての立廻りに戸板倒しにと、もう息をするのも忘れる勢いで見入ってしまいます。20分近い立廻りですが途中ケガすることもあるのでは。
松緑 アドレナリンが出ているのでその時は分からないんですが、前回は幕が閉まってから「いたたた」みたいなこともありました。肋骨にヒビが入っていたりね。一か月無事に勤めることは大前提ですが、といっておっかなびっくりやってもお客さん喜んでくれませんから。蘭平と、この忠弥は、毎日命がけです。
── 歌舞伎には酒呑みのお役がいろいろありますが、松緑さんがなさった中で好きなお役は何でしょう。
松緑 この忠弥はとても好きですね。僕自身は呑まれてしまうタイプですが、だからこそ呑まれない役が好きなのかな。今年やらせてもらった五斗兵衛(『五斗三番叟』)も好きになった役です。
── 松緑さんが勤められる役の数々に、国芳の武者絵のような豪快さ、線の太さを感じます。あえてご本人にうかがいますが、なぜそんな雰囲気が滲み出るのでしょう。
松緑 うーんなぜですかね。昔は1番バッターとか3番バッターに憧れていたんですよ。でも自分を客観的に配置してみると、ああ、自分は5番バッターだなって思うんです。
── 1番でも3番でもなく、4番でもなくて5番バッターなんですね。
松緑 そうなんです。打率気にしないでホームランを狙っていくタイプかなと。昔野球が好きだったので、コンスタントに3割打てるバッターに憧れたんですが、ある時「オレ、たぶん5番なんだろうな」と自覚したんです。5番ってどーんと構えてるイメージがあって。4番が凡退したとしても、まだ次にアイツがいるぞと思われるような存在。今の僕は、若いころ自分でなりたかった理想の僕ではないんですよ。でも今は今の自分が嫌いではない。自分は5番バッター。それを受け入れたからかな。
おやじ(初代尾上辰之助)はもっとシャープでニヒルという感じでした。おやじに憧れて憧れて、でもある時「ああ、オレは初代辰之助にはなれないんだ」と悟って、そう認めたときにすごく楽になりましたし、逆に男臭さみたいなものを自然に身につけられたのかなあ。舞台でもそういう役が増えましたね。というか、いまやそういう役ばっかりなんですけど(笑)。
── そのように思うきっかけとなったお役はありますか。
松緑 忠弥は一つのきっかけですね。『妹背山婦女庭訓』の鱶七も。『妹背山』の蘇我入鹿といえば、殺しても殺しても死なないようなとてつもない魔人です。その入鹿の御殿に一人でズカズカ入っていって、入鹿ですらドン引きするくらい勝手なことをするヤツが鱶七なんですよ。入鹿だって魔力を使えばいいのに、思わず「なんだコイツは」って引いてしまう、そういうヤツです。僕もふだんから鱶七みたいな人ではありたいと思っています。そんなふうに意識しているうちに少しずつそうなってきてるのかな。
武器といわれる眼。なるべく“大人しく”させておきたい
── 要所要所でギラリッと光る眼がカッコいいなと思う一方で、逆に眼が効くために眼線のコントロールが難しかったりしませんか。
松緑 難しいんですよ。っていうか僕自身は自分の眼が効くだなんて思ってないんですよ。よく人に「目に表情が出る」って言われるんだけど、自分では分からないんです。本当はなるべく”大人しく”させておきたい。
── 二つの眼玉、をですね。
松緑 はい。『寺子屋』の松王丸ですと、他の役者さんたちは半眼にしたり眼を伏し目がちにするところで、僕はもう完全に閉じてしまい、眼を”殺して”います。だからその後ガッと見開くときに余計に目が効くのかな。
── 眼線の置き所が、たとえば1㎝違っても客席には伝わってしまいそうです。
松緑 舞台でちょっと「あ……!」ってなると分かってしまうらしいです。なるべく眼の神経を動かさないようにして、もし台詞を間違っても眼をビクッとさせないようにとか、すごく気をつけています。
── ヤバい時ほど動かさないよう気をつけているんですね。
松緑 鱶七だったらヤバいと思っても眼が泳いだりしないと思うんです。だから僕も勝手に泳がないように眼を固定させるようにしてます。人から「いい武器ですね」と言われることもあるんですが、僕からしてみると顔に”暴れ馬”を2頭飼っているようなものですから(笑)。もうちょっと大人しくしてくれるといいんですけどね。
取材・文:五十川晶子
プロフィール
尾上松緑(おのえ・しょうろく)
1975年生まれ、東京都出身。音羽屋。初代尾上辰之助(三代目松緑)の長男。1980年1月、国立劇場で本名で初お目見え。1981年2月、歌舞伎座で二代目尾上左近を名のり初舞台。1991年5月、歌舞伎座で二代目尾上辰之助襲名。2002年5・6月歌舞伎座『勧進帳』の弁慶、『蘭平物狂』の蘭平ほかで四代目尾上松緑襲名。舞踊家としても祖父・二世尾上松緑や父・初代辰之助の後を継ぎ、1989年6月に藤間流家元・六世藤間勘右衞門を襲名。
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